マゼールのデビュー盤「3つのロメオとジュリエット」を久しぶりに聴く

文:松本武巳さん

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CDジャケット ベルリオーズ
 劇的交響曲「ロメオとジュリエット」作品17(抜粋)
チャイコフスキー
 幻想序曲「ロメオとジュリエット」
プロコフィエフ
 バレエ組曲「ロメオとジュリエット」作品64(5曲)
ロリン・マゼール指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1957年2月,6月、ベルリン
DG(輸入盤 479 4306)※DG初期録音集(18CD)のDisc1&2に収録
 

■ マゼール26歳のデビュー盤

 

 ロリン・マゼールのデビュー盤は、ベルリン・フィルを指揮してドイツグラモフォンに録音した、彼が弱冠26歳のときの2枚組LPである。デビュー盤が26歳の若さであることはまだしも、いきなりベルリン・フィルとの共演であり、かついきなりドイツグラモフォンとの契約でデビューしたのだ。デビュー盤は、いわば究極の企画盤であり、3つの著名なロメオとジュリエットを振った2枚組のレコードであった。惜しむらくは、モノラル録音最終期のため、初出後の再発売でもモノラル録音となっており、早すぎたデビューが惜しまれる、なんとも贅沢なそして将来を真に嘱望されたデビューであった。

 

■ ベルリオーズ

 

 抜粋ではあるが、この大曲を全体の見通し良く聴き手にも分かりやすく聴かせる上に、全体的にかなりシャープな表現に徹している。またベルリン・フィルに対峙して、弱冠26歳の青年が、楽曲の細部まできちんと目を光らせて、十分な響きをオーケストラ全体からバランスよく引き出しており、若きマゼールの将来に対して末恐ろしいほど大きな期待感を抱かせるのに十分な出来栄えであった。やや惜しいと思うのは、あまりにも楽曲を盛り上げるところでオーケストラ全体を炸裂させるように思い切り煽っているために、どうしても全体的にやや予定調和的な面や、多少単調な面が出てしまうことだが、これは欠点というほどのものでもない小さな瑕疵だろう。

 

■ チャイコフスキー

 

 デビュー盤の3曲の中では、残念ながらもっとも単調で一本調子な指揮ぶりと言えるだろう。もちろん方向性は十分に見えてくるのだが、ややチャイコフスキーの音楽に対して、一般的に期待する方向性とはズレが生じているように思えるのだ。早い話がチャイコフスキーの音楽の持つロマン的な側面であるとか、そもそも楽曲のタイトルでもある「幻想」性がやや影を潜めてしまい、演奏にメリハリを大きくつけることに指揮者の意識が集中してしまったように聴こえてくるのだ。ただし、あくまでもデビュー盤の3曲の中での感想であって、このチャイコフスキーを単独で評価するならば、一般的な水準を大きく超えていることは疑いがない好演である。

 

■ プロコフィエフ

 

 これは正直なところ、ものすごい名演であり、後年彼自身が残した決定盤との誉れ高い、70年代の全曲盤をも超越した秀逸な演奏であると思う。わずか5曲の抜粋であることが、今思えば残念でならない。バレエの演目としてのロメオとジュリエット全体を、完璧に見通しているかのような、非常に求心力の強い指揮ぶりであり、マゼールの才能が実はこのような面に長けていたことを髣髴とさせてくれる。彼が幼少時から、バレエの演目をこの曲に限らず愛好していたであろうとしか思えない、そんな素晴らしい指揮ぶりである。モノラル録音であるにもかかわらず、現在でもなお完全に通用する優れた抜粋盤であると思う。

 

■ マゼールその後

 

 衆目のほぼ一致する見解は、有り余る才能を持て余してしまい、最後まで自らの確たる方向性を決めかねたまま、そのくせ残した録音は多くの変節を重ね、深い理解や感動を聴衆に与えることもなく、意外にも早く旅立ってしまった。こんな感じであろうと思う。

 これは言い換えると、演奏に最後まで深化がみられなかったこと、活動する時代ごとに演奏スタンスが大きく異なってしまったこと、確かに名盤もある程度は残したものの、むしろ迷盤の方がはるかに多く生産してしまったこと、典型的な器用貧乏であったこと、などとも言えるであろう。

 あるいは、楽曲の上辺をなぞるだけの冷めた演奏に終始してみたり、異様なほど細部にこだわった特異な演奏をしてみたり、聴き手の期待が大きくはぐらかされたり、裏切られたりし、最後まで振り回されたと考える人もいるであろう。早い話が、若いころのあまりにも颯爽とした登場から、当時期待されたような巨匠への道を順調に歩むことなく、あっけなく人生を終えてしまった、今風に言えば「残念な人」であったのだ。

 

■ 今マゼールの足跡を振り返ると

 

 前段落で紹介したような内容は、確かにすべて正しいのであろう。ただ、マゼール自身は、果たしてどのように自分のキャリアを形成していこうと目論んでいたのだろうか。このように考えてみると、実は彼はときおり、コンサートのプログラミング自体が意味不明な、時代背景も長さも楽器構成もバラバラな楽曲ばかりを、まさにごった煮にしたようなプログラムを組んでコンサートを開いてみたり、その一方で恐ろしく長大な規模の大きな楽曲を好んでみたり、どう考えてみても意図的にバラバラであったように思えるのである。

 そして、私は今亡くなってしまったマゼールを思い起こしてみて、こんな風に彼は言いたかったのではないかと思うのだ。「人間て、計画通り物事をきちんと進めることができる機械じゃないんだよ。だけど、好き勝手な人生を送るほどいい加減でもないんだよ。自分が本当に気ままにやりたいことをたまにはしたいと思ったら、残りの仕事を真面目に取り組むことによって、気ままなやりたいことも自由にさせてもらえるんだよ。」と。

 そう考えてみたとき、彼の場合、一般的な音楽家が余芸であると考えることの多い方向性の中に、彼の本当にやりたい仕事が含まれていたように思うのである。そして、その仕事とは、彼のデビュー盤とその後の仕事の評価をすり合わせてみると、彼が真に好んでいたのは、音楽それ自体よりもむしろクラシックバレエではなかったのだろうか、そんな風に思えてくるのである。マゼールをパリオペラ座バレエ団のピットに、ぜひ一度で良いから座らせてみたかったというのが、残されたマゼールの数多くのディスクを思い出すとき、今もって私が本気で考えていることなのである。

 

(2017年9月29日記す)

 

2017年9月29日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記