シノーポリが本領を発揮した「カペレとのマーラー交響曲第9番」他

文:松本武巳さん

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CDジャケット マーラー
交響曲第9番ニ長調
リヒャルト・シュトラウス
死と変容 作品24
ジュゼッペ・シノーポリ指揮シュターツカペレ・ドレスデン
録音:1997年4月6−8日(ドレスデン・ゼンパーオパー)(マーラー)
2001年1月10-11日(ライプツィヒ・ゲヴァントハウス)(シュトラウス)
Profile(輸入盤 PH07004)
 

■ シノーポリのわずか4年後の再録音

 

 シノーポリが達成したマーラー交響曲全集の、スタジオ録音における交響曲第9番(フィルハーモニア管、1993年)からわずか4年足らずしか経ていないにもかかわらず、恐ろしく演奏内容の異なるライヴ録音である。1992年以来首席指揮者を務めたシュターツカペレ・ドレスデンとのライヴ録音は、極端なテンポ・ルバートを根底に置いた極めて主情的な指揮者の楽曲解釈と棒捌きが、かつての録音より一層顕著に深化した形で表されており、えもいわれぬ耽美的世界が充満している。93年のスタジオ録音との端的な違いを演奏時間で示すならば、第1楽章が5分近く、第2楽章が2分近く、第3楽章が約1分、第4楽章が2分強、全楽章の演奏時間が伸びた結果として、全曲トータルでは93年スタジオ録音盤が82分余りであるのに対し、この97年のライヴ録音は実に92分余りもかかっていることが、真っ先に挙げられるだろう。

 

■ シノーポリの濃密濃厚な世界観

 

 ここで聴くことのできる音楽は、音質は極めて柔らかく、一見非常にロマンティックなのだが、それでいて決してねっとりした音楽にはなっておらず、恐ろしく濃密濃厚な高級ジュースのような、むしろ気品の漂うとても上質な響きで全体が覆われている。その美しくも儚くロマンティックな怪しげな香りは、本当に聴き手の心に絶妙な感覚で入り込んでくるのだ。まるで一見してリヒャルト・シュトラウスの音楽のような、官能的かつ爛熟した後期ロマン的な味もあちこちから感じ取れるし、その一方で若干現代音楽的なやや無機質的な感じも、音楽の一部からは漂ってきたりするので、かなり謎の多い音楽として仕上がっていると言えるだろう。

 

■ カペレのイメージとやや異なる音盤

 

 われわれが、カペレの演奏に対して一般的に考えるであろう、とても端正でバランス良い音楽作りと、マーラーの音楽の本質がもとよりかなり遠いところにあると考えられるためか、実はこれまであまり多くのマーラーの録音を、カペレはいわゆる一流オーケストラの割には残していないと言って良いだろう。ここでのカペレの演奏は、細部まで緻密で極めて丁寧ではあるが、実に恐ろしいほどゆったりと、まさに悠久の調べのように音楽が流れていくのである。間違いなくシノーポリの狙い通りの世界に嵌った音楽として、このマーラー演奏は結実しているものと思われる。うっかり聴いていると、異次元の別の世界に連れて行かれそうで怖い演奏でもある。金管楽器が炸裂したりすることもなく、本来の長い伝統のあるカペレらしく、聴こえてくる音色は全体の調和を大事にし、うまく融合させて音がきれいに溶け合っている。この点では毎度お馴染みのカペレの特長を、この録音でも遺憾なく発揮していると言えるだろう。わずかだが金管が高音部で割れているところなどがある程度で、ライヴ録音としては非常に瑕疵が少ない優秀な演奏でもある。

 

■ カペレの特質を表した部分

 

 たとえば、第2楽章における木管楽器の落ち着いた調和を感じさせる響きなどは、聴いていてたまらなく懐かしい思いに浸らせられる。これぞ、シノーポリのワールド全開の、究極の癒し系演奏と言えるかもしれないが、同時にカペレの特質でもあるとも言えるだろう。弦楽器が重なり合って分厚く、かつ非常に緻密な響きを出して、朗々と歌うところなどは、カペレ本来の音に満ち溢れているのだ。しかしながら、それでいて演奏に危うげな箇所は、難曲にもかかわらずほとんど感じ取れない。シノーポリだけでなく、カペレの奏者も強固な意思を有した優れた演奏であることは間違いないだろう。

 

■ シノーポリとカペレの成果

 

 まるで「薔薇の騎士」のような、後期ロマン的な爛熟の香り漂う官能美と自己陶酔の世界を、シノーポリはマーラーの交響曲を通じてカペレから引き出しているのだが、それでいて指揮者や奏者のアクの強さを感じるような、いわゆる自己中心的な雰囲気はほとんど感じ取れない。どこまでも精緻なカペレのアンサンブルを維持しつつ、濃密濃厚な表情を出し切っており、カペレが本領を発揮したときの底知れぬ魅力に、満ち溢れているのだ。最終楽章の弦楽器による高音部の音の流れなどは、ほとんど天上の音楽まで昇華された、両者の美意識を感じてならない。しかしながら、たとえどこまで陶酔的であろうと、たとえばワルターとウィーンフィルの作り出した世界などとはまるで異なった、異次元の陶酔感なのであって、ここにシノーポリが全集を録音するまで拘った、指揮者シノーポリのマーラー感が存分に示されているのではないだろうか。

 

■ 死の直前のライヴ録音であるリヒャルト・シュトラウス

 

 余白には、カペレと所縁の深いリヒャルト・シュトラウスの「死と変容」が収められている。こちらは、シノーポリが指揮中に亡くなるわずか3ヶ月前の、ライプツィヒでのライヴ録音である。オペラや主要な管弦楽作品を、シノーポリはカペレと録音しているが、「死と変容」は両者の録音としては唯一のものである。この「死と変容」の演奏は、一般に良く言われるシュトラウス特有の匂い立つような色気が音楽のあちこちに充満していて、まさに退廃的な後期ロマンの香りと美を遺憾なく醸し出しており、とても蠱惑的な出来栄えとなっている。シュトラウスのライヴ録音は、マーラーの録音とは正反対に、シノーポリが残した旧スタジオ録音よりもやや短い演奏時間となっているのが、たいへん興味深い。

 

(2016年12月6日記す)

 

2016年12月6日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記