メンデルスゾーン交響曲『讃歌』の初期録音3種類を聴き比べる

文:松本武巳さん

ホームページ What's New? 旧What's New?
「音を学び楽しむ、わが生涯より」インデックスページ


 

LPジャケット

メンデルスゾーン
交響曲第2番 作品52『讃歌』
ヘレン・ドナート
ロートラウト・ハンスマン
ヴァルデマール・クメント
ニュー・フィルハーモニア合唱団
ヴォルフガング・サヴァリッシュ指揮ニュー・フィルハーモニア管弦楽団
録音:1967年6月、ロンドン
PHILIPS(オランダ盤 802 856/57LY)LP

LPジャケット

メンデルスゾーン
交響曲第2番 作品52『讃歌』
チェレスティーナ・カサピエトラ
アデーレ・シュトルテ
ペーター・シュライアー
ライプツィヒ放送合唱団
クルト・マズア指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
録音:1971-1972年、ライプツィヒ
ETERNA(旧東独盤 826381-382)LP

CDジャケット

メンデルスゾーン
交響曲第2番 作品52『讃歌』
エディット・マティス
リゼロッテ・レープマン
ヴェルナー・ホルヴェーク
ベルリン・ドイツ・オペラ合唱団
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1972-1973年、ベルリン、イエス・キリスト教会
DG(国内盤 UCCG4927)

 

■ メンデルスゾーンの大作交響曲

 

 今回は、メンデルスゾーンが1840年に作曲した独唱と合唱を伴う大規模な交響曲を紹介したい。楽曲は2部構成の特殊な形態を持っており、第2部カンタータ楽章の歌詞は、マルティン・ルターが1534年に完成した旧約聖書ドイツ語版の文言を元にしており、神への賛美を歌い上げる内容となっている。1840年6月、ライプツィヒで開催されたヨハネス・グーテンベルクの印刷技術完成400周年記念祝典に際して、ライプツィヒ市から委嘱され作曲した交響曲である。1840年6月25日にメンデルスゾーン自身の指揮により、ライプツィヒの聖トーマス教会で初演された。初演にはシューマン夫妻も立ち会っている。同年12月3日に再びメンデルスゾーン自身の指揮で、今度はライプツィヒのゲヴァントハウスで再演されたために、初演版と改訂版の2つの版が当初より存在している。作曲順では5曲の交響曲中4番目であるが、出版された順により第2番と通常表記されている。

 独唱と合唱の付いたこの交響曲は初演時こそ好評かつ人気を博したようだが、それ以降は注目を集めることが急速に少なくなってしまった。しかし東独ライプツィヒに、国際メンデルスゾーン協会が1958年に設立されて以来、この交響曲は再評価され、再び脚光を浴びて広く知られるようになった。この交響曲は全2部10曲から構成された大規模なものであり、ときおり、ベートーヴェンの交響曲第9番と比肩されることがある。第1部は3楽章のシンフォニアで構成され、第2部はカンタータ楽章となっている。改訂版では第6、8、10曲が新たに書き加えられており、初演版とはテクスト自体が異なっている。

 

■ 3種類しかない初期の録音

 

 1970年代前半までの主な録音は、改訂版に依拠したここで取り上げた3種類しかないと思われるので、聴き比べてみたいと思う。近年は主な指揮者やオーケストラに留まらず、かなり広く演奏されるようになっているが、ここで取り上げる初期の3種類の録音がもしも存在しなかったら、現在の隆盛自体がないものと思われるので、いずれの録音も功績は各々非常に大きいと考えられる。そこで、この試聴記では3種類の録音それぞれの利点をできるだけ表面に出して紹介し、欠点の指摘などはなるべく控えたいと考える。

 それにしても、わずか3種類とはいえ、サヴァリッシュがロンドンで録音したものを先鞭として、引き続きマズアが本拠地ライプツィヒで録音し、ほぼ同時期にカラヤンがベルリンで取り組んだ事実は、そこに当時の政治情勢を加えるまでもなく、各々の見事なまでの陣容を見比べるだけでも驚きを隠せないのではないだろうか。なお、これらに続く録音は、ドホナーニがウィーン・フィルを用いた1976年の録音であり、さらにシャイー、アバドと続くので、取り上げた指揮者一覧を見るだけでも、さすがメンデルスゾーンとでも言おうか、半端ではない蘇演後いきなりの活況であると言えるのではないだろうか。

 

■ サヴァリッシュ盤

 

 とにもかくにも、第1部のがっちりとした構成力にまずは深く感心させられ、指揮者の底力に驚かされる。第2部でも、ソプラノのドナートはカンタータに対する優れた適性を見せており聴き映えがする一方、クメントは若干オペラ寄りの歌唱であるかも知れないが、そもそもこの交響曲の作品自体が、テノールパートに限ってはオペラティックな書法を見せているとも考えられるため、聴き手は違和感をほとんど持つことがないだろう。サヴァリッシュの人選は実に適切であったと言えるだろう。

 かなり地味な録音であるにもかかわらず、半世紀にわたり再発売を繰り返しただけの価値がある録音であるとも言えるだろう。なお、サヴァリッシュには、EMIレーベルへのベルリン・フィルを用いた再録音が存在するが、初録音のこちらの方が深く楽曲に切り込んでおり、後年の再録音より優れた出来であると言えるだろう。

 

■ マズア盤

 

 第1部は、ややヘタレ気味でいつもの芯のない演奏に終始するマズアか、などとつい思いがちであるが、第2部カンタータ楽章が実に優れた内容であり、かつ声楽陣の充実度もきわめて高いと思われる。マズア自身は1980年代末に同じオーケストラと再録音し、ペーター・シュライアーはこちらでも歌っているのだが、全盛時のシュライアーの張りのある声を聴くだけでも、このマズア旧盤を聴く価値があるように思われる。また、声楽陣や合唱団に無理を強いていないのも、この録音の強みと言えるだろう。かつ、シュライアーが声楽全体をうまくまとめてリードしており、加えて指揮者が強い個性を表に出さないことが、良い意味でこの盤の価値を高めていると言えるだろう。好みだけで言うならば、私はこの盤を実は一番愛好しているのだ。

 

■ カラヤン盤

 

 冒頭から、実に壮大なカラヤンサウンドが繰り広げられ、圧倒的な存在感が示される録音である。その一方で、この盤はアンチカラヤンからもかなり好意をもって評価されている録音の一つであると思われる。カラヤン自身は、この交響曲の実演は一度も行ったことがない上に、この交響曲の録音には多少苦労を重ねたかのような録音データも残されているのだが、全体をバランスよくまとめあげた優れた録音であると言えるだろう。好悪が分かれやすいカラヤンとしては、非常に安定した高評価を長年にわたり獲得している録音であると言えるだろう。

 この交響曲は、ベルリンのイエス・キリスト教会を用いた録音であり、この後間もなくして、カラヤンとベルリン・フィルの録音は、基本的にフィルハーモニーへ録音会場が移されていることも附記しておきたい。しかし、第1部冒頭をサヴァリッシュやマズアと比べたときに、カラヤンの絢爛豪華さは際立っているが、この交響曲の場合は第2部にカンタータが置かれていることもあって、大きな違和感が生じないのも強みと言えるだろう。ただし、声楽陣の一部は結果的にミスキャストであったように思えてならない。エディット・マティスはいつも通りの優れた歌唱を見せているものの、なんとなく全体的に声楽部分がしっくりとこないのである。かといって、誰かが明白に足を引っ張っているわけでもないので、全体的なバランスの問題ではないだろうか。マティスが浮いてしまうような場面が散見されるのだ。この点に限ってはとても残念だと言えるだろう。

 

■ その後の『讃歌』のディスクについて

 

 2005年頃までは、著名な指揮者による録音が散発的に発売されていただけであったが、ごく最近に至って、非常に幅広い興味深い新録音が次々と発売されているように思われる。ただ、依然としてこの交響曲の録音はヨーロッパ、特にドイツ語圏に限られているようにも思える。今後、この流行が世界中に広がっていくのかどうかは現時点では分からないが、それでも自分の好きなディスクを自由に選ぶことができる程度にはディスクが充実してきたと言えるだろう。今後が楽しみな楽曲の一つである。

 

(2020年5月24日記す)

 

2020年5月24日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記