二戸麻衣子(にとまいこ)ファーストアルバムを聴く
文:松本武巳さん
Brilliant
- ショパン「ポロネーズ第6番《英雄》」作品53
- ショパン「夜想曲第2番」作品9-2
- ショパン「ワルツ第6番《子犬》」作品64-1
- エルガー「愛の挨拶」
- ベートーヴェン「ピアノソナタ第8番《悲愴》作品13より『第2楽章』」
- ドビュッシー「二つのアラベスクより第1番」
- ショパン「夜想曲第20番《遺作》」
- ショパン「幻想即興曲」作品66
- ブラームス「ワルツ第15番」作品39-15(ソロピアノ版)
- ドビュッシー「ベルガマスク組曲より第3曲《月の光》」
- ラヴェル「水の戯れ」
- サティ「ジムノペディ第1番」
- リスト「愛の夢」
- リスト「パガニーニの主題による練習曲より第3曲《ラ・カンパネラ》」
- シューマン「子どもの情景作品15より第7曲《トロイメライ》」
(YAMAHA C7(2003年製)による演奏、別途1928年製YAMAHA SEMI CONCERT GRANDにより5〜10、12、13の8曲を収録)
MARDAK(国内盤2枚組 MK150224)
録音:2015年2月24-26日■ 日本人ピアニストを紹介する
二戸麻衣子は、川崎市在住で、東京音大付属高校から同音楽大学を経て大学院を修了した若い女性ピアニストである。この経歴を見れば誰しもが小川典子を思い浮かべるであろう。しかし、演奏スタイルは決して似ているとは言い難い。かなり硬質なタッチで演奏を展開する小川とは異なり、日本人女性としては数少ない、太く深い音で迫るタイプのピアニストである。いわゆる「可愛い美人ピアニスト」タイプの演奏家とは、大きく異なった本質を持ったピアニストである。当の本人はとても美しい美人女性なのだが、演奏を聴く限りにおいては、全体的に骨太で男性的な演奏を根幹とする、捉えようによっては豪放磊落なピアニストである。そのため、今回ここに試聴記として取り上げることを考えたのである。
■ 選曲について
いわゆる得意な小品を並べて、1枚のディスクに仕立て上げたようにも見えるだろうと思う。しかし、曲の配置を見てみると、どうも明確な意図があるように思えるのだ。そして、その意図に合わせた演奏内容となっている。このことは、冒頭に明示しておきたい。本人に聞いたわけではないので、まさに推測の域を出ないが、最後のトロイメライをホロヴィッツ同様にアンコール曲として切り離すと、最初の3曲がショパン、最後の2曲がリストである。また、折り返し点に当たる第7曲と第8曲には、ともにショパンが置かれている。前半はそれらの間にベートーヴェンとドビュッシーとエルガーが、後半はブラームスとドビュッシーとラヴェルとサティが置かれている。かつ、冒頭と最後(第14曲)に、非常に技巧的な楽曲(英雄ポロネーズとラ・カンパネラ)が配置されているのである。
私は、パッケージを見たときにこれらが浮かんできたので、まず第7曲までを続けて一気に聴き、一旦プレーヤーを止めて、しばらく経ってから第8曲以後を聴いたのであるが、もちろん演奏者本人の見解ではないので、私自身の聴き方に過ぎない。なお、1928年製ピアノを弾いた特典盤は、第5〜9曲を聴いた後で、第10,12,13曲を聴いてみたことを報告しておく。このように聴いた時、私にはこのディスクの楽曲配置は、とても個人的にしっくりしたとしか言いようがないのである。
■ 全体の演奏について
実は二戸の演奏を、私はすでに10回近く聴く機会を持った上に、二戸本人と連弾した経験(バッハのゴルトベルク変奏曲)や、二戸に伴奏してもらった経験(ヤナーチェク「消えた男の日記」、シューベルト、シューマン、フォーレの歌曲、イタリアオペラのアリア、日本歌曲、ナポリ民謡等)がかつてあるために、普段の彼女の演奏志向やスタイルをある程度承知しているものと、密かに自惚れているのだが、はっきり言えることは、演奏会本番よりもテンポをあえて落とし、技巧に十分な余裕を持たせつつ、本来の特質である太く深い打鍵を存分に生かした演奏になっているのである。この余裕が、ディスク全体を上手く引き締めていると思われるのである。
そのため、技巧的な曲の場合だと、曲自体の持つ曲芸性をある程度抑制させ、曲の本質を聴き取れるように配慮し、間に挟んだ可愛らしい小品の演奏効果も同時に高めているのだ。当初想像した以上に、深く考えられた演奏であり、かつ迫力のある演奏であった。たとえば二戸なら、ラ・カンパネラは普段は5分以内で弾き切るのだが、このディスクでは5分37秒をかけ、曲の本質をかなりの程度明らかにし、単なる超絶技巧ショーではないことを証明しているし、冒頭の英雄ポロネーズでも、歌うべきところでテンポを上手く落としており、落ち着いて鑑賞できるのである。
■ 彼女の演奏の特質
彼女は、一般的な意味での「女性ならではの繊細な演奏」を、たぶん本人自身も決して志向していないと思われる。そもそも彼女の本質は骨太で強く迫ってくるようなタイプの演奏家なのである。しかし、一方で、若く美しい容姿をもった女性である点を上手く生かして、演奏にまさに華を添えているのである。そのため、聴き手は、本来豪快な楽曲では男性ピアニストの演奏と同じような迫力と爽快感を感じつつ、一方で可愛らしい小品では美しい女性的で繊細な演奏を、同時に心ゆくまで楽しめるのである。解説書には美しいドレスを纏った二戸の写真が6枚採用されている。しかし、私は彼女が大好きだと公言して憚らないビールジョッキを持った写真こそが、このディスクの真髄を表していると思うのである。もしも二戸の演奏に感動又は感銘を受けた方は、彼女がビールジョッキを持ったときの、本当に心から幸せそうな写真を探してみて頂きたい。私がここで書いていることが、決して誹謗中傷でないことが理解して頂けると信じる。
これでは、あんまりだと抗議したい向きには、たとえば2曲目に収録されたあの有名なショパンのノクターンを聴いてみて欲しい。二戸は決して感情に溺れず、インテンポで押し切りつつ、曲自体の持っているロマン性を浮き上がらせている。このような弾き方は、日本人女性の演奏ではあまり記憶がないのだが、ここはたとえば、あのサンソン・フランソワがノクターン全集のディスクにおいて、非常に大人しい冷静な演奏を展開していることを、ぜひ思い出してほしい。つまり、音楽が好きな人間であればほぼ全員が食傷気味であるとも言えるような楽曲は、むしろ小細工しないで堂々と弾き切る方が、大きな感銘を与えるのであると思えるのだ。この意味で、二戸のノクターンは出色の演奏である。
■ 出色の演奏と若干の疑問について
私が当該アルバムで最も気に入ったのは、幻想即興曲であった。これは、世界の一流演奏家と肩を並べていると言って決して過言でない出来栄えである。また、英雄ポロネーズもラ・カンパネラも十分に感動を与えてくれた。また、もし彼女の爆演を聴きたいと考える方がおられたら、リストの愛の夢をお薦めしたい。それも1928年製のピアノを弾いた方である。この曲ではバッカスの神様がお出ましになられ、彼女の背後から愛を囁いている様子が見て取れるのだ。まさに豪快そのものである。(因みに2003年製のピアノ演奏の方では、バッカスはお出ましになられていない)
しかし、ベートーヴェンのソナタは収録時間を勘案しても、やはり全楽章の演奏を残して欲しかったと思う。もちろん、当該アルバムの収録ビジョンから言って、第1楽章などはビジョンに合わなかったと考えたであろうことは想像がつく。しかし、CDはトラックを飛ばすことが自由なのであるし、やはりここは全曲を聴いて判断したかったのである。実に残念であったと告白しておきたい。
あとは、若干の楽曲の細かい音符について、私の知らない版を用いていると思われる音符が演奏から若干聴き取れたので、これらについてはできれば録音に際して使用した楽譜のエディションを、公開して欲しかったとも思うのだ。
最後に、ブラームスであるが、もう一曲対になる曲を入れて欲しかったと思われ、とても心残りである(例えば作品118又は119の中の1曲)。本当に小さな小品であるワルツ第15番だが、かなり心に残る優れた演奏であっただけに、晩年の小品をぜひ1曲聴きたかった。これが、まさに心残りである。
(2015年8月30日記す)
2015年9月1日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記