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リスト 伝説曲 第1曲『小鳥に説教するパオロの聖フランシス』
伝説曲 第2曲『波を渡るパオロの聖フランシス』 他 アーヴィン・ニレジハージ(ピアノ)
録音:1973年5月6日、サンフランシスコ(ライヴ)、他 Telefunken(西ドイツ盤6.42626AW)LP
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■ スラム街のピアニスト
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私が高校生の頃、突如アメリカのCBS-SONYから、衝撃的なコピー文とともにニレジハージの新譜が現れた。そのLPには衝撃的な演奏内容が刻み込まれていたが、実は演奏以上に衝撃的であったのは、スラム街から突如半世紀ぶりに現れた完全に過去の人が、ある日突然コンサートに復帰したとの宣伝文句であったのだ。
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■ 出自は、リストの再来と騒がれたハンガリーの神童
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ニレジハージは1903年にハンガリーで生を受け、わずか12歳でベルリン・フィルと共演し、その勢いで1920年にはアメリカに渡り、カーネギーホールでセンセーショナルなデビューを果たした。当時に残した数点の録音(主にピアノロール)からは、癖はあるものの確かな技巧を感じさせる優れたものが多い。
しかし、まもなくマネージャーとトラブルになり、さらに私生活でもトラブルに見舞われるようになる。そもそも常識に若干欠けるうえに、酒と女にのめり込んでいったようである。これ以後、彼は10回の結婚歴を持つにいたるうえに、生活も貧困を極めるようになっていった。映画に出演したり、覆面コンサートを開催したりしたものの、徐々にニレジハージは過去の人となってしまっていったようである。ただし、1920年代後半から約半世紀の間は、今もってほとんど研究が進んでいない謎の多い時期のために、現時点で判明していることを紹介したに過ぎない。 |
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■ 事実上の一連の復帰演奏会
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1973年に開かれたニレジハージの小さなコンサートを、会場内で俗にいう膝上録音をしたリスナーが関係者に持ち込んだテープがきっかけとなり、ニレジハージは半世紀ぶりに再び脚光を浴びることとなった。そのきっかけとなった曲が、リストの「2つの伝説曲」であったのだ。ニレジハージは妻の病院代を捻出するために、コンサートの世界に復帰を試みたようである。しかし隠遁生活半世紀のうち、後半の20年程度はピアノの鍵盤にすらほとんど触れておらず、技巧面での衰えは明白であったが、復帰当初はまだまだ調子のよい時は、かなりのインパクトを与える演奏をすることが可能であったようだ。 |
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■ 破綻した演奏−しかし無視しえない音楽
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アメリカから発売された、オリジナルのLPは残念ながら有していないし、ソニーから出た2枚組のレコードにはあまり満足しなかったというより、音楽の進行が破綻しかかっていたように記憶している。ところが、西ドイツのテレフンケンから、アメリカで最初に出されたレコードのライセンス盤が出たのである。曲目はオリジナルと同じであるし、ジャケット写真も文言がドイツ語に変わった以外は非常に似ているので、私の感想はほぼこのレコードを基準にしている。
この演奏をなんと評価するかは確かにとても難しい。あえて言えば、近年のポゴレリチの演奏を聴いた方なら分かるであろうが、現在のポゴレリチの演奏スタイルをさらに大きく崩した、究極のデフォルメスタイルで演奏しているとでもいえば良いであろうか。しかし、その一方で2曲ともに全体の進行がきちんと見通せる演奏であり、演奏に部分的な破綻や瑕疵はあるものの、目を見張るような聴き手が引き付けられる部分もあって、とても不思議な演奏となっているのだ。
特に、第2曲の「波を渡るパオラの聖フランシス」の演奏に関しては、非常に迫力あるニレジハージの弾き方や強い打鍵が、実際には架空の世界に過ぎないものを、まるで現実のように思わせる不思議な力を持った、演奏者の底力を感じさせる緊張感溢れた演奏であり、一度聴いたら耳にしっかりと残る演奏となっている。
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■ 来日公演と、ニレジハージ協会の破綻
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ニレジハージは、1980年に高崎芸術短期大学の招聘で初来日を果たした。その際に、ニレジハージ協会が大学を中心に設立され、ニレジハージ・コンクールも開催されるようになった。この来日時には、東芝から日本録音のレコードも発売されているようだ。また、ニレジハージの多くの遺品が協会に寄贈され、高崎芸術短期大学に大切に保管されていたのだが、同大学が創造学園大学と名を変えたあとの2013年に、大学は経営破綻し閉学となってしまったために、寄贈された多くの貴重な資料が散逸の危機に瀕してしまったのである。
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■ ニレジハージ復権に向けて
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このジャケット写真は、高崎芸術短期大学(創造学園大学)からニレジハージの遺品である貴重な多くの資料を引き継いだ日本人が、新たに興したイギリスのレーベルSonetto
Classicsから、日本発売仕様で出された(JSONCLA0002)という番号の2枚組ディスクのジャケット写真であり、ここで取り上げた1973年の復活リサイタルの前年の1972年のリサイタルにおけるライヴ録音である。今後も引き続き、ニレジハージの復権・再評価を目指して、継続して音源の発売が計画されているようである。
私としては、全盛期の録音はもとより、1950年代半ばに完全引退状態に陥る前の、少ないとはいえ演奏活動を継続していた1920年代後半から50年代前半までの、隠れた音源が出てくることを念願してやまない。少なくとも、この当時は技巧面では高いものを維持していたようであるし、確かにそんなに目立たないささやかな活動であったとはいえ、貴重な優れた録音がどこかに残されているのではないかと、今後も引き続き首を長くして待ち続けたいと考えている。そうでないと、活動初期と最晩年の録音しか我々は耳にすることが出来ず、ニレジハージの正当な再評価が困難であるからである。
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■ ニレジハージを絶賛した人たちと、批判した人たち
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抜粋して各々代表的な数人を取り上げたい。もしかしたら何らかの参考に資するかも知れないと考える。
《絶賛派の例》
- アルノルト・シェーンベルク
- セルゲイ・ラフマニノフ(ただし謎解きのような発言で、実は批判派の可能性あり)
- ハロルド・ショーンバーク(当初。後に批判派に転ずる)
- ホルヘ・ボレット
- ギャリック・オールソン
《批判派の例》
- オットー・クレンペラー
- グレン・グールド
- ヴラディミール・アシュケナージ
- アール・ワイルド
- 武満徹
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(2018年12月27日記す)
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■ 参考文献
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ケヴィン・バザーナ著(鈴木圭介訳)「失われた天才」(春秋社) Tomoyuki Sawado氏運営のサイト
http://www.fugue.us/Nyiregyhazi_top.html
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