ピアノのためのオペラ編曲集(リスト他)をポンティの怪演!?で聴く
文:松本武巳さん
オペラティック・ピアノ
1.モーツァルト(リスト編曲)
「ドン・ジョヴァンニ」《ドン・ジョヴァンニの回想》
2.ヴェルディ(リスト編曲)
「リゴレット」《リゴレット・パラフレーズ》
3.チャイコフスキー(リスト編曲)
「エフネギー・オネーギン」《ポロネーズ》
4.モニューシコ(タウジッヒ編曲)
「ハルカ」《幻想曲》
5.オッフェンバック(モシュコフスキー編曲)
「ホフマン物語」《舟歌》
6.ワーグナー(モシュコフスキー編曲)
「タンホイザー」《ヴェヌスブルクの音楽》
7.ビゼー(モシュコフスキー編曲)
「カルメン」《ジプシーの歌》
8.チャイコフスキー(グレインジャー編曲)
「くるみ割り人形」《花のワルツにもとづくパラフレーズ》
9.ワーグナー(リスト編曲)
「ローエングリン」《祝典と結婚式の歌》
10.ワーグナー(ブラッシン編曲)
「ワルキューレ」《魔の炎の音楽》
11.ワーグナー(モシュコフスキー編曲)
「トリスタンとイゾルデ」《イゾルデの愛と死》
12.ワーグナー(タウジッヒ編曲)
「ワルキューレ」《ワルキューレの騎行》
13.マイヤベーア(タールベルク編曲)
「悪魔のロベール」《幻想曲と変奏曲》
14.マイヤベーア(タールベルク編曲)
「ユグノー教徒」《幻想曲と変奏曲》
15.チャイコフスキー(パブスト編曲)
「エフゲニー・オネーギン」《パラフレーズ》
マイケル・ポンティ(ピアノ)
録音:1970-75年
VOX(輸入盤2枚組 CDX-5047)■ キワモノのピアノソロ編曲もの集成盤
まじめなクラシック音楽愛好家が聴いたら、それこそ真顔で激怒するか、あるいは卒倒してしまいそうな、そんな痛快なディスクを紹介しよう。こうなると、やはりフランツ・リストとその一派が圧倒的な存在感を示しているようだし、リストとピアノ演奏で対決したタールベルク氏もちゃんと登場しているのだ。しかも、このディスクは一人のピアニストによって全曲が録音されているので、演奏の方向性・嗜好性の問題も生じないのである。後は好きか嫌いか、許せるか許せないか、である。
ピアニスティックな響きがそもそも好きで、いろいろと堅いことを言わない、そんなクラシックファンがいたら、絶対に楽しめることを請け負うし、そんな風にリラックスして聴けて、かつピアノによる超絶技巧のオンパレードを楽しむことも出来てしまうであろう。ちなみに音楽にスポーツ的要素を持ち込むことが嫌いな方や、原曲を勝手に書き換えることが許せない方は、聴かないことが身のためだと、心から助言したい、そんなキワモノのディスクでもある。
各曲の詳細な解説などは、まさか不要であろう。そんな野暮なものよりも、もしも当ディスクに興味を抱いた方がいらしたら、ディスクを入手し、気軽にトレイにディスクを載せてほしい。元のオペラの旋律はとても著名なので、むしろ解説などしない方が楽しめると思うのである。■ マイケル・ポンティ
マイケル・ポンティ(1937– )はドイツ出身のアメリカで活躍したピアニスト。超絶的な技巧によって知られた。アメリカ陸軍報道官の子として生まれ、1954年からゴドフスキー門下のギルマー・マクドナルドにピアノを師事、さらにザウアーの門下のエリック・フリンシュにも師事した。1964年、ブゾーニ国際コンクールで優勝し演奏活動を開始。
ポンティは、米VOXへの大量の録音で知られている。米VOXは、知られざるロマン派音楽の作品網羅という、先駆的かつ画期的な録音制作に着手し、ピアノ協奏曲のソリストとしてポンティを起用したため、録音を通じて新たな音楽愛好家を生んだ。一部は国内盤でも発売された。スクリャービンのピアノ曲全曲録音を世界で初めて達成、さらにチャイコフスキーとラフマニノフのピアノ曲全集も録音した。
82年来日時に、ショパン、リスト、ムソルグスキーなどのロマン派作品が録音され、リサイタルでも残されたディスクとは異なる真のポンティの世界を見ることができた。私も来日時の演奏を聴くことが叶った幸運な一人である。90年代にフランスDANTEレーベルからライヴCDが7枚発売された。70年代後半以後のミュンヘン等でのライヴ音源である。ポンティは、高さ 3.7mもある巨大な縦型のコンクール製据置ピアノである、ドイツ製のクラヴィンス・ピアノを使って、ショパン、リスト、ムソルグスキーなどを録音したこともあった。
ポンティは2000年に脳梗塞のため右半身が不自由になった。もっとも別の情報源に依れば、1990年代後半に右手の故障により、演奏活動を停止したとある。どちらが正しいかは残念ながら不明。現在はリヒャルト・シュトラウス所縁の地である、南独ガルミッシュ=パルテンキルヒェンに在住しているようだ。
クラヴィンスピアノ(クラヴィンス社のホームページより引用) ■ 余話あるいは追想
私は、いずれも数年前に、ガルミッシュ=パルテンキルヒェンに行く機会が2回あった。当地は、ミュンヘンからドイツ国鉄のローカル線で南に1時間半程度かかる場所にあり、一方、インスブルックからもオーストリア国鉄(ドイツ国鉄乗り入れ)で、やはり2時間弱の場所にある。ドイツ最高峰ツークシュピッツェへの登山口でもあり、1936年の冬季オリンピック開催地でもある。また、ヴァイオリンの故郷ミッテンヴァルトはインスブルック側の隣町である。1度目の訪問の時に、この町が冬季オリンピックのために、ヒトラーによって強制合併されたといっても、非常に小さな田舎町であることがすでに分かっていたので、2度目の訪問時に若干の下調べをした上で、ポンティの居住地を探してみた。もしも会えた時に備えた準備もした上で。
実はわりと簡単にそれらしき家を発見できたし、わずか数十メートル先に彼らしき人影を発見したにもかかわらず、私は勇気を出して声をかけることが、どうしてもできなかった。そこには、社会に疲弊した目の虚ろな、しかしとても優しそうな老人の姿があった。私にはポンティその人に思えたが、なぜか輪郭は往年のポンティそっくりであったにもかかわらず、あまりに寂しげな目の動きに、ポンティ本人である確信が持てず、ついに声をかけることができなかった。せっかく数秒間無言で見つめ合ったにもかかわらず、私は金縛りにあったように声が出なかったのである。ただ、脳梗塞の後遺症があるような動きには見えなかったものの、まさに退役した老人の姿がそこにあった。
もちろん、そこで出会った老人がポンティ本人であったかどうかは全く確証がないし、再度この町を訪問する予定は、少なくとも現時点で持ち合わせていない。ただ、そんなドイツの田舎町に旅行に出かけた際に、私はわざわざ彼を探そうとしたくらい、子どもの頃に彼のレコードに熱狂した自身の思い出が強かったのだと思う。そして、このガルミッシュ=パルテンキルヒェン訪問の結果に、今も満足しているのである。(2つの町が合併してできたことがはっきりわかる駅の行先案内)
(ガルミッシュ、パルテンキルヒェンともにR.シュトラウスと所縁がある)
(ミュンヘン行とインスブルック行が同時に表示された駅の時刻表)
(全てガルミッシュ=パルテンキルヒェンにて、著者自身による撮影)(2016年11月16日記す)
2016年11月17日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記