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アンドレ・プレヴィン
1.ピアノ協奏曲
ヴラディーミル・アシュケナージ(ピアノ) 2.ギター協奏曲
エドゥアルト・フェルナンデス(ギター)
ダルトン(エレクトリックギター)、フラワーズ(ベースギター)、モーガン(ドラムス)
アンドレ・プレヴィン指揮 ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1988年6月、ロンドン LONDON(国内盤 F00L-20496) |
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■ プレヴィン逝去の報に接して
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アンドレ・プレヴィンは1929年にドイツのベルリンで生まれた。ナチスが政権を掌握後はフランスに移住し、当地で音楽教育を受けた後1938年に渡米し、1943年にアメリカの市民権を得た。父親の従兄弟は、映画音楽の作曲家チャールズ・プレヴィン(「オーケストラの少女(1937)」の音楽で有名)であり、彼の影響を受けたのか、プレヴィン自身も若いころは映画音楽の作曲家兼アレンジャーとして名を馳せた。同時にジャズピアニストとしても著名な存在であり、「マイ・フェア・レディ」や「ウェスト・サイド・ストーリー」などのレコードアルバムを出している。
指揮法は主にピエ―ル・モントゥーから学び、1962年にセント・ルイス交響楽団を指揮してハリウッドから転じ、さらに1967年にはヒューストン交響楽団の音楽監督に就任した。その後は主にクラシックの指揮者としての道を歩んだ。日本にも、NHK交響楽団の客演指揮などで何度も来日し、多才ぶりを遺憾なく披露してくれたが、2019年2月28日に90歳を目前に逝去した。そんなプレヴィンの長い音楽生活を偲んで、追悼盤としてプレヴィンが作曲し指揮も務めたピアノ協奏曲とギターの協奏曲の、やや珍しいディスクを紹介したいと思う。
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■ ギター協奏曲
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1971年に作曲されたプレヴィンのギター協奏曲は、ジョン・ウィリアムズによって初演された。当時のプレヴィンの指揮者としての名声は、すでにジャズピアニストとして以上にあったものの、クラシカルな作曲としてはこのギター協奏曲が最初期のものであろう。このギター協奏曲は、終楽章でジャズ・バンドがオーケストラと混在して演奏する、一風変わった協奏曲である。この1988年録音のディスクでは、名手エドゥアルト・フェルナンデスがギターを担当している。
第1楽章は、ごく普通のギター独奏とオーケストラが絡む整った内容の楽曲であると言えるだろう。プロコフィエフの作風に少し似た感じを受ける。第2楽章は、ギターが叙情的な旋律を奏でるとても静かな雰囲気の曲で、この楽章はアメリカ現代音楽を感じさせる内容だが、やや全体的なまとまりに欠けるような気もしてくる。
第3楽章は、クラシックギターが登場したかと思えばエレキギターが何の関連もなく突如横やりを入れてくるなど、エレキギターとドラムスのトリオが、クラシックギターとオーケストラの演奏に唐突に侵入してきて、クラシックと非クラシックが錯綜した音楽となっている。両者の融合を図ろうとするよりも、あえて意図的に水と油の関係を演出しているような趣がある。しかしクラシックギターのパートはあくまでもクラシカルな流儀で押し通している。この第3楽章をどのように評価するかで、この協奏曲の価値が決まるように思える。
なお、初演者ジョン・ウィリアムズによる演奏よりも、このフェルナンデスの演奏の方がよりこなれた演奏になっており、聴き手がイラつくような場面は一切みられない優れた演奏である。作曲当時の現代音楽の主流とまでは言えないが、かなりの実験的な音楽であるとは言えるだろう。しかし聴いていて苦痛を感じるようなところはほとんどなく、比較的魅力的な現代音楽の一つと言って差支えないだろう。
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■ ピアノ協奏曲
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この1984年に作曲されたピアノ協奏曲は、長年録音上のパートナーであったアシュケナージに捧げられていて、このディスクでもピアノはアシュケナージが務めている。アシュケナージとは、ラフマニノフとプロコフィエフのピアノ協奏曲全集の伴奏指揮を務めただけでなく、ラフマニノフの2台のピアノのための作品集では、両者がピアノでたいへん息の合った共演をしており、このディスクは今なお名盤の一つとして高く評価され続けている。
ピアノ協奏曲は、プレヴィン自身もピアノを弾くためか、ギター協奏曲よりもはるかに実体の伴った深い内容を持っていると言えるだろう。素晴らしく繊細なオーケストレーションを駆使した作品となっている。プレヴィンはクラシックの分野だけでなく、終生映画音楽やジャズの世界でも広く知られた存在であった。このアシュケナージに捧げられたピアノ協奏曲は、映画音楽的旋律の豊富な繊細かつ美しい曲である。
一見プロコフィエフのピアノ曲を連想させるような楽曲であり、一方で映画音楽的な要素の旋律の豊富な場面では、今度はラフマニノフを思わせるような雰囲気を持っている、非常に聴きやすい協奏曲である。実にプレヴィンらしい曲であるといえ、重ねてアシュケナージとの過去の共演への感謝をも前提とした、そんなピアノ協奏曲であるとも言えるだろう。特別な個性を感じさせる前衛的な現代音楽ではではなく、むしろやや懐古趣味的なモダニズム的要素を強く感じさせる、そんな時代背景を感じさせる楽曲であると言えなくもない。
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(2019年4月10日記す)
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