名ピアニスト、アンヌ・ケフェレックによる「リスト作品集」を聴く

文:松本武巳さん

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LPジャケット

リスト

  • 「メフィストワルツ」第1番
  • 「愛の夢」第3番
  • パガニーニによる練習曲より第4曲「アルペジオ」
  • 巡礼の年第3年より第4曲「エステ荘の噴水」
  • 2つの伝説曲より第2曲「波を渡るパオラの聖フランシス」
  • 超絶技巧練習曲より第5曲「鬼火」
  • 巡礼の年第1年より第6曲「オーベルマンの谷」

アンヌ・ケフェレック(ピアノ)
録音:1974年2月19-20日、フランス・パリ
ERATO(輸入盤 STU70870)LP

 

■ アンヌ・ケフェレック

 

 フランスの女性ピアニスト、アンヌ・ケフェレック(1948- )による、26歳のときの録音である。先輩格のフランス・クリダ(1932-2012)が、史上初のリストピアノ作品全集(全6巻24枚のLP集で、実際には一部の著名作品集ではあるが、当時としては偉業だった)を完成間近の頃に残した、ケフェレック唯一のリスト作品集のLPである。エラートによるとても美しい録音で、現代でも全く問題なく通用するレベルの音質であり、あらゆる意味で完成度の高い、1枚の優れたLPアルバムであると言えるだろう。名ピアニストであるアンヌ・ケフェレックの知られざる名演奏として、今回はこのアルバムを取り上げてみたい。

 

■ ケフェレックの家族等について

 

 父アンリ・ケフェレック(1910-1992)は著名なフランスの作家で、生涯に80を超える作品を残している。アンヌの弟のヤン・ケフェレック(1949- )も同様に著名な作家であり、彼のデビュー作は32歳のときに書いた「ベラ・バルトーク」の伝記であった。また彼の最初の妻は、チュニジア出身のフランスの名ピアニストであった、ブリジット・エンゲラー(1952-2012)である。このように、文化的に非常に恵まれた境遇で育ったアンヌ・ケフェレックは、教養を感じさせる気品ある演奏で知られていると言っても過言ではないだろう。実際に、日本でも多くのレクチャーコンサートを開催するなど、教育的な活動も同時に継続している、とても知的なピアニストであると言えるだろう。

 

■ 選曲について

 

 2曲目に置かれた「愛の夢」第3番を除けば、一般的に超絶技巧の塊のような曲ばかりで構成されたアルバムである。しかし、冒頭におかれた「メフィストワルツ」の時点で、すでに演奏の方向性が、夥しい他のリスト演奏とは一風異なるスタンスで演奏されていることに気づくであろう。かつ、宗教的な知識があると、演奏理解が何となく進みそうな曲を多く配していることにも気づくであろう。そのくせ、いわゆる敬虔な宗教的なスタンスの曲と、悪魔的な宗教を冒涜するような曲を、巧みに取り混ぜて編成しており、結果的には宗教そのものの知識の有無に関わらず、ピアニストの演奏の意図が正しく伝わるような工夫がなされた、良く考えられた巧みな選曲であると言えるだろう。

 

■ 演奏の方向性について

 

 凡そ技巧的にバリバリと押し通すような演奏では決してない。しかしながら、若いケフェレックはかなりの高度な技巧を、この録音では明らかに見せているのも確かである。一方で女性らしいとても繊細な演奏ではあるが、そのくせ決して小ぶりではなく、かなり大きなスケールで演奏全体が貫かれているのだ。きわめて幻想的で蠱惑に満ちた、まるで耳元で囁かれるような魅惑に満ちた演奏であり、聴き手を演奏に引き込んでいく力がとても強いディスクであると言えるだろう。特に難曲で有名な、超絶技巧練習曲の第5曲「鬼火」などは、非常に柔らかく幻想的に開始し、徐々に鬼火の世界に入り込ませる手法を取っており、高度に卓越した演奏スタイルであると言えるだろう。

 

■ 独特の世界観の虜になるような不思議な魅力

 

 「天使の衣装を纏った悪魔」とでも言えば良いのだろうか。この演奏は、明らかに悪魔的な演奏である。しかし、今までリストの名演奏で一般的に感じてきた悪魔とは、あまりにも異なった「天使のように優しい悪魔」なのである。伝説によれば、その昔リスト自身のピアノ演奏に痺れて失神状態に陥り、完全に骨抜きになってしまった淑女たちが、リストの周囲に屯していたそうである。その歴史的事実を想起させる部分が、このディスクにはあるのだ。

 しかしこの演奏は、リスト自身の演奏とは性別が真逆で、普段は最愛の妻や子どもに囲まれ、浮気など決して考えが及ばない真面目な紳士たちを、過ちの別世界に精神的に誘い込んでいき、結果的に悪魔の虜にさせられてしまいそうな、まるで異次元の神隠しの世界に連れ込まれるような、一種独特なリスト演奏なのである。最愛の家族の前で聴くのは避けた方が賢明な、そんな演奏であるように思えてならない。ただし、女性の聴き手がこの演奏に対して何を感じるのかは、残念ながら私には全く想像がつかない。

 

(2019年9月22日記す)

 

2019年9月22日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記