『大公トリオ』は、リヒテルが他の室内楽曲でも何度か協演した経験のある、気心の知れたボロディン四重奏団のメンバーとの演奏である。このディスクの演奏は、1992年12月7日に、モスクワのプーシキン・ミュージアムで行われたコンサート(Music
Festival DECEMBER NIGHTS, Moscow
1992)に於けるライヴ録音である。音質は全体的に聴きやすいものとなっており、拍手もきれいに入っている。
『大公トリオ』は、ボロディン四重奏団の2人が、古典的な均整の取れた、それでいて引き締まったアンサンブルを聴かせていて、そこに晩年のリヒテルの高雅なピアニズムが相まって、たいへんバランス良く見事に調和している室内楽演奏だと言えるだろう。かつて発売された同コンビによるシューベルトのピアノ五重奏曲『ます』に於いて、リヒテルもボロディン四重奏団も、いくばくかの気負いや若干癖のある表現などが、私にはどうしても気になったのだが、この『大公トリオ』では過剰な表現を両者ともに意識的に避けて、最低限の自己主張に抑えられている一方で、アンサンブルの妙を尽くしたバランス重視の優れた演奏となっていると言えるだろう。
一例を挙げると、第1楽章第2主題のピアノ・ソロによる呈示部分であるが、ここはピアニストが前に出過ぎてしまい、全体のバランスを崩すことがけっこう多い箇所だと思うのだが、リヒテルはこの部分を非常に軽いタッチと明るい音色で、繊細かつ愛情を込めて演奏しており、結果的に室内楽曲としてのテクスチャーを、聴き手にもはっきりと見える形で示していると言えるだろう。
さらに、第3楽章変奏曲に於いて、リヒテルは豊かな和声を十分に意識しつつ、変化に富んだ抒情的な表現を用いて主題を心ゆくまで歌っており、今回久しぶりに聴き返してみても実に惚れ惚れとしてしまう。最晩年のリヒテル特有の、協調性と包容力に富んだ慈しみに満ちたピアノ演奏が、決して出しゃばることなく、とても注意深く共演者のソロ・パートを自然な雰囲気で引き立てているのも、晩年のリヒテルならではの優れた室内楽曲演奏であると思う。
終楽章に於いては、このピアノ・トリオ作曲の経緯(アマチュア・ピアニストでもあったルドルフ大公に献呈)から、ピアノ・パートが比較的易しく書かれているなどとの誤解を、まさに一掃することに成功していると言えるだろう。ここでのリヒテルは、第3楽章までとは一転して、とてもリズミカルな音形や意外に複雑な和音構成を、きちんと前後のバランスを整えつつ、最後のコーダに向けて徐々に高揚させて行っている。ピアニスト・リヒテルの本領を完全に彷彿とさせる演奏であり、有名な『大公トリオ』の演奏を見事に締めくくっているのである。本当に久しぶりに聴いたにもかかわらず、たいへん大きな感動と感銘を受けたので、今回ぜひ紹介しようと思い立った次第である。
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