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ムソルグスキー 組曲「展覧会の絵」(ピアノ原典版)
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1.1949年12月8日、モスクワ(露Melodiya《生誕100周年記念ボックスDisc1》)
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2.1952年10月3日、モスクワ(伊Urania)
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3.1956年11月14日、プラハ(仏PRAGA)
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4.1958年2月9日、ブダペスト(米West Hill Archives)
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5.1958年2月19日、ブダペスト(又はブカレスト)(Seven Seas国内盤)
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6.1958年2月25日、ソフィア(蘭PHILIPS)
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7.1958年8月8日、モスクワ(露Melodiya《スタジオ録音》)※画像はVictor国内盤
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8.1958年11月14日、キエフ(米TNC、独Profil)
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9.1968年11月19日、ロンドン(英BBC Legends)
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10.1968年12月12日、モスクワ(露Melodiya《生誕100周年記念ボックスDisc33》)
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11.1969年2月10日、ナポリ(伊DINO Classics)
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12.1970年1月20日、ニュー・ヘヴン(カナダSt-Laurent Studio)
スヴャトスラフ・リヒテル(ピアノ)
録音:1949年〜1970年(7.のみスタジオ録音、他はライヴ録音)
(他に数点のライヴ録音が、発売された以外にも確認されている)
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■ 『展覧会の絵』のピアノ原典版について
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『展覧会の絵』は、ムソルグスキーが画家ヴィクトル・ハルトマンの遺作展を見た際の、10枚の絵の印象をピアノ曲にしたものと言われている。イタリア、ロシア、フランス、ポーランドなどの風物詩が描かれている。また、曲と曲をつなぐ「プロムナード」は、ムソルグスキー自身の歩く姿を表現していると言われている。
『展覧会の絵』は、作曲者の生前に一度も演奏されず、出版もされなかったが、リムスキー=コルサコフが、ムソルグスキーの遺稿の整理に当たった際に『展覧会の絵』が目に留まり、1886年になってから出版された。この出版譜にはリムスキー=コルサコフによる改訂が施されており、現在では「リムスキー=コルサコフ版」として、原典版とは一応区別されている。なお、改訂についていろいろと言われているが、実際に譜面を見比べると、リムスキー=コルサコフの改訂はかなり控えめであり、決して原曲を損なうようなものではない、いわば校訂に近いものであることをお断りしておく。
後にラヴェル編曲版が大きな人気を得るに伴って、ようやく原曲のピアノ曲の方も少しずつ演奏されるようにはなってきたものの、ラヴェルの管弦楽版自体、そもそもリムスキー=コルサコフ版を基礎としている。かつ、ホロヴィッツによるピアニスト自身の手が派手に加わった絢爛豪華な超絶技巧版が、当時有名かつほぼ唯一の『展覧会の絵』の録音であったことも手伝って、勇気をもって手がけるピアニストは少なく、むしろ管弦楽版がオリジナルであるかのような一般的聴衆の誤解すら、最近まで確かに存在していたのである。
このような事情もあり、たまにピアノで演奏されることがあっても、その場合はリムスキー=コルサコフ版による演奏であったのだが、リヒテル演奏によるソフィアでのライヴ録音が、このピアノ曲に新たな可能性を開いたと言えるだろう。ここで取り上げた1958年2月のブルガリア・ソフィアでのライヴ録音のことである。当時のリヒテルは、鉄のカーテンの向こう側の幻のピアニストと言われており、西側諸国ではまだほとんど聴く機会が持てなかった。そんなリヒテルが出したソフィアでのライヴ録音の『展覧会の絵』は、まさに原典版による演奏であったうえに、演奏自体もかなり衝撃的かつ攻撃的な演奏であり、結果的にこの録音の登場によって初めてムソルグスキーによるピアノ原典版での演奏が、世界的にメジャーになる歴史的契機となったのである。
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■ リヒテルを西側に知らしめたソフィアでのライヴ録音
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フィリップス社から発売されたソフィアでの1958年2月25日のライヴ録音は、今なおこのピアノ曲の代表的録音であるとの地位が全く揺らいでいない。確かに立派な演奏である上に、この曲の演奏史を変えた歴史的な価値が高いことは間違いないのだが、録音技術の向上した現代の水準でこの録音を聴いたとき、演奏自体の瑕疵が特に前半に多少目立つ(曲の推進力や楽曲全体の構造への影響はほとんどないが、いわゆるミスタッチが結構目立っている)ことと、超高速での演奏かつ随所で炸裂する爆音にとても驚かされるものの、真冬のコンサートであるためか会場から聞こえてくる聴衆の咳がかなり目立つ上に、あまりの即物性ゆえに、私個人としてはそんなに繰り返して聴きたくはないディスクとなっている。
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■ リヒテルの『展覧会の絵』のディスクごとの寸評−その1
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1.と2.の古い録音は、プロムナードの高速にとにかく驚かされる。まるで陸上のトラック競技を走っているような猛烈なスピードなのである。一方で、10枚の絵の表現は緻密かつ深い情緒を感じさせ、とても落ち着いた優れた表現である。なお、1.の1949年の録音は、もとはプライヴェート録音であったが、2015年にリヒテル生誕100周年を記念して、メロディアから発売された50枚組の大型ボックスセットで施されたリマスターが非常に優れており、十分聴くに耐えるレベルまで音質が向上している。このセットには10.の録音も収録されているが、あまりにも高額なセット(フルプライス盤で当初70,000円前後した)での発売であるため、なかなか聴く機会が得られないことは残念でならない。
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■ リヒテルの『展覧会の絵』のディスクごとの寸評−その2
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つぎに、3.と8.の演奏について触れたい。3.は1956年11月14日のプラハでのライヴ(PRAGAは実はフランスに本社がある)、8.は1958年11月14日のキエフでのライヴ録音である。後者は、再発のProfil盤により録音月日が判明した。初発売のTNCには単に1958年録音と記されていた。両者は偶々ちょうど2年の時期的な開きがあるようだが、この2枚のディスクこそが、リヒテルの『展覧会の絵』の真骨頂を表した演奏であると私は確信している。長大な曲全体を通じて、極めて緻密なうえに繊細かつ丁寧な演奏であり、加えてリヒテルの高い芸術性をも感じさせる秀演であるのだ。ただし、プラハ・ライヴの音質は、キエフ・ライヴよりもかなり良好であり、ライヴ特有の雑音も目立たない優れた音質である。その意味で、リヒテルの『展覧会の絵』の代表盤は、1956年のプラハでのライヴ録音であると言っても差し支えないだろう。
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■ リヒテルの『展覧会の絵』のディスクごとの寸評−その3
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続いて、1958年2月の3つの録音(4.5.6.)である。この3点の録音は、6.のソフィアでの伝説ライヴと演奏の方向性がほぼ同じグループに分類され、非常に攻撃的かつ超高速演奏であり、まさに音の炸裂があちこちで確認できるのである。ただ、5.の国内盤は2月19日ブダペストでのライヴ収録とクレジットされているが、4.の2月9日のブダペスト録音と混同した可能性がある上に、そもそも2月19日はルーマニアのブカレストでリサイタルが開かれていたようである。つまり、5.の国内盤は2月19日のブカレストでのライヴ録音の可能性と、2月9日のブダペストでのライヴ録音(つまり4.と同一)の両方の可能性があると思われる。この3点の演奏(特に4.と5.)は非常に似通っている上に、リマスターのレベルが逆にかなり異なっているため、ここでは、5.は2月19日のブカレストでのライヴであると一応考えたい。
なお、4.のブダペスト・ライヴにおいて、リマスターの優秀さが際立っており、6.の伝説的ソフィアでのライヴ録音は、当時の録音水準に達してはいるが、同じ演奏の方向性であるならば、4.の方が現代の耳に馴染んでくる。一方の5.の国内盤は、音質自体が当時の水準よりも下回っており、4.とは別録音であったとしても、演奏の方向性も合わせて判断すると、この録音の価値はあまり高くはないだろう。つまり、6.のソフィア・ライヴの歴史的価値を今なお認める立場からは、今では4.のブダペスト・ライヴにその地位を譲った方が良いように思えるのである。
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■ リヒテルの『展覧会の絵』のディスクごとの寸評−その4
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今度は、1958年8月8日のモスクワにおける、リヒテル唯一のスタジオ録音である。セッション用に事前に周到に計画され準備された演奏であり、いわゆるハプニングは起こらない。その反面、緻密な構成に支えられて、ミスタッチや音が割れることもなく、盤石の演奏であると言えるだろう。安心に聴ける実に優れた演奏ではあるが、凄絶なライヴ録音を知る者にとって、無いものねだりを求めたくなる、そんな録音である。100点満点への不満と言ったらちょっと言い過ぎなのかも知れないが、もともと『展覧会の絵』という曲には、そんな側面が存在しているのかも知れないと思う。一方で、初めて聴くと言う人がいたら、絶対に推薦できるディスクであると言えるだろう。
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■ リヒテルの『展覧会の絵』のディスクごとの寸評−その5
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最後に、1968年のロンドンでのライヴ録音以後の4枚のディスク(9.〜12.)であるが、いずれも穏当な楽曲解釈と、適切なテンポで楽曲が円滑に進行する意味で、4枚を同じ範疇に入れても差し支えないだろう。ただ、これら4枚のディスクは、いずれのディスクも箇所が異なるものの、技術的な綻びが見え始めており、決して聴き辛くはないものの、細部が曖昧になる部分も散見され、普通の演奏とまでは言えないまでも、それまでの伝説的なディスクを知る者にとっては多少物足りないディスクである。実際に1970年を最後に、リヒテルが『展覧会の絵』を演奏する機会は、ほとんど無くなっていったものと思われる。
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■ むしろ特異な演奏であったソフィア・ライヴ
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前述の通り、1958年2月25日のソフィアでのライヴ録音は、この曲の演奏史を変えただけでなく、ピアノでこの曲を弾く場合、ホロヴィッツの呪縛から多くのピアニストを解放し、かつリムスキー=コルサコフ版を過去の物に葬った功績、さらに60年代以後、多くのピアニストが取り上げる人気演目となっていった功績などは、決して永久に消えるものではない大きな功績である。
一方で、上記のソフィア・ライヴと同じ方向性を見せたリヒテルの演奏は、同じ1958年2月のブダペスト(9日)と、ブカレスト(19日)での録音以外には残されておらず、このソフィア・ライヴがリヒテルの『展覧会の絵』の代表的演奏であるとは、意外なことに言えないのである。この激烈な演奏が、リヒテルの演奏家としての『謎』をむしろ増大させ、リヒテルの持つピアニズムの本質から聴き手を遠ざけてしまったとも、むしろ今となっては考えられるのである。
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■ リヒテルとホロヴィッツ、さらにブレンデルやアシュケナージについて
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そういえば、ホロヴィッツとリヒテルは、ともにウクライナのキエフ(キーウ)生まれである。ピアニストとしてだけでなく人生そのものが、ともに波乱万丈であった二人が、キエフを題材とした『展覧会の絵』の演奏で、歴史的役割を果たしたのだとしたら、決して単なる偶然ではなく、かつ二人の名演奏家にとって無価値な話でもないだろう。実際に、われわれがロシア人とか旧ソ連の音楽家であると認識している音楽家の多くが、実際にはウクライナ人であることを思い起こすとき、島国であるわれわれにとってとても理解が難しい、国籍・人種・宗教などの問題が、想像を絶するほどに複雑かつ困難な錯綜した問題であることだけは理解したい、そんなきっかけの一つとしても捉えられるだろう。
その意味で、同じく、中欧・東欧系のコスモポリタンを自認していたブレンデルが、1950年代半ばにVOXに録音した『展覧会の絵』は、リムスキー=コルサコフ版に依拠した演奏であったのだが、80年代半ばにPHILIPSに録音した再録音盤では、今度はムソルグスキー原典版による演奏であったことを指摘しておきたい。このことと、アシュケナージがピアニストとして原典版で2度録音を残し、さらに指揮者として自身による編曲版を作曲した上で録音を残したことは、この『展覧会の絵』に関する傑出した成果の一つとして、最後に並べて紹介しておきたいと思う。
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(2023年9月29日記す)
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