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ヒルディング・ルーセンベリ
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交響曲第2番(シンフォニア・グラーヴェ) ヘルベルト・ブロムシュテット指揮
ストックホルム・フィルハーモニー管弦楽団 録音:1964年1月16日 Swedish Society
Discofil (SLT 33160, LP, issued1964)
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交響曲第3番(4つの年代) ヘルベルト・ブロムシュテット指揮
ストックホルム・フィルハーモニー管弦楽団 録音:1966年12月1日 HMV (CSDS 1071, LP,
issued1967)
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交響曲第4番(ヨハネの啓示)
ヘルベルト・ブロムシュテット指揮 スウェーデン放送交響楽団、他
録音:1966年4月23‐24日 HMV (SCLP 1059-60, 2LP,
issued1967)
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■ ヒルディング・ルーセンベリについて
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ヒルディング・ルーセンベリ(Hilding
Rosenberg、1892年6月21日-1985年5月18日)はスウェーデンの作曲家。若い頃はコンサートピアニスト、音楽教師であったが、1915年にストックホルム音楽院に入学し、作曲をエルンスト・エルベリに、対位法をヴィルヘルム・ステンハンマルに、指揮法をヘルマン・シェルヘンに師事した。第一次世界大戦後には、ヨーロッパを旅行し指揮者として有名になった。1920年に奨学生としてベルリン、ドレスデン、ウィーン、パリで学び、シェーンベルクやヒンデミットと交流を持った。ドレスデンでシェーンベルクの室内交響曲を聴き「前衛音楽」に覚醒し、最初の弦楽四重奏の作曲に反映されている。スウェーデンに「無調」をもたらした作曲家として、20世紀のスウェーデン音楽界において最も影響力の強い作曲家となった。
1932年にはストックホルム王立歌劇場の音楽監督兼副指揮者に任命され、2年後には首席指揮者になったが、この時点から指揮よりも作曲が重要な位置を占めるようになった。初期の作品にはシベリウスの影響が見られるが、すぐにスウェーデンの作曲家が後期ロマン派のスタイルから離れる先駆者となり、やや急進的であると見なされるようになった。作品は、弦楽四重奏のための14の作品(1920年-1972年)、交響曲8曲(1917年-1974年)をはじめ、あらゆるジャンルを網羅している。劇場用の楽曲(約50曲)も多数作曲し、9つのオペラ作品も含まれる。1951年から1953年までスウェーデン王立音楽アカデミーの副会長を務め、1951年にはウプサラ大学から名誉博士号を授与、国際現代音楽協会の名誉会員でもあった。ストックホルムのブロンマで亡くなった。
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■ 交響曲第2番
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シンフォニア・グラーヴェの副題を持つ交響曲第2番は、1934年に作曲された。まだ作風に前衛的な手法は目立っておらず、全体的に平明で聴きやすい交響曲だと思われる。全体は3楽章で構成されており、現代音楽が苦手な人でも、この交響曲であればさして抵抗なく聴けるのではないだろうか。
ブロムシュテットは、長い旋律線を上手く表現しつつ、北欧特有のコスモポリタン風の作風も決して無視しておらず、非常に聴きごたえのある交響曲に仕立て上げていると言えるだろう。そして、第3番ほどには表現がシャープにならないように、楽曲の全体的な調和にも十分配慮した音楽づくりであると言えるだろう。この若い頃のブロムシュテットの指揮を聴いていると、後年になってブロムシュテットが積極的にオネゲルの音楽を取り上げるようになったことがなんとなく理解できる、そんな優れた演奏であり、そして北欧の音楽とオネゲルの音楽に通じる共通性も、この交響曲の演奏から垣間見えてくるように思えるのだ。
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■ 交響曲第3番
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4つの年代の副題を持つ交響曲第3番は、1939年に作曲され、1943年に改訂、さらに1949年に第3楽章が追加で作曲された。ロマン・ロランの詩を楽章冒頭に朗読する形式を初稿では取っていた。ちなみに第1楽章「幼年」、第2楽章「少年」、第3楽章「青年」、第4楽章「壮年」というものである。ただし、最終稿では、作曲者自身により標題音楽としての作品解釈を禁じている。全体を通じて重々しく、激しい音楽であるが、最後の最後に明るく抒情的な盛り上がりを見せる。
ブロムシュテットの音楽つくりは、極めて謹厳実直なもので、非常にシャープな音楽表現を含めて、良く言えば一分の隙も見せない緻密で完璧な音楽作りであるが、一方で音楽全体を通じて一切のゆとりや安らぎを感じ取れない、まさに現代音楽としてこの交響曲を解釈し、演奏していると言えるだろう。この曲は、作曲者自身の自作自演も残されているのだが、作曲者自身が描く表現よりも遥かにシャープに仕立て上げている。その若いブロムシュテットの徹底ぶりには、好悪を超えて誰しも感心せざるを得ないだろう。
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■ 交響曲第4番
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ヨハネの啓示の副題を持つ交響曲第4番は、バリトン、合唱、管弦楽のための作品で、ヨハネ黙示録を題材として1940年に作曲された。この曲には「怒りの日」の旋律も現れ、交響曲というよりはむしろオラトリオに近い。1940年に書かれた力強い作品で、同年はナチスがデンマーク・ノルウェーを制圧し、フランスが陥落した年でもある。冒頭は4度音符で始まるが、1948年から49年にかけて改訂し、聖書のテキストを引用した結果、力強く表現力豊かな発声とともに、予想とは裏腹に結果的に古風なスタイルをもたらしたと言えるだろう。80分近い演奏中にこの交響曲から、聖書の威厳と洗練され豊かな想像力が同時に流れていることを、誰しも痛感させられるであろう。
若きブロムシュテットの指揮は、いわゆる宗教音楽とは一線を画した現代の交響曲作品として、極めて堅牢な構成力を基礎としており、まるで意図的に現代音楽の世界に留まらせようとしているかのようだ。ところが、ブロムシュテットが楽曲と一定の距離を置いて取り組もうとすればするほど、一方では聖書の世界観に引きずり込まれていくのが、はっきりと聴きとれる。しかし、その若きブロムシュテットの奮闘が、結果的にこの交響曲の二面性を引き出すことにも成功しており、ブロムシュテットの意図とはもしかしたら異なるかも知れないが、優れた演奏になっていると言えるだろう。なお、初演者である作曲者自身による自作自演盤も存在するが、非常に音質が悪く、このブロムシュテット盤が、作曲当時の世界観を正しく表現した唯一のディスクとなっているように思えてくる。
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■ 若きブロムシュテットによる3曲の交響曲録音についての現状
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私にとって、これら3曲の交響曲録音は、まだ若いブロムシュテットの楽曲への意欲が表に出た優れたものと考えている。特に、後年のオネゲル演奏に通じる第2番や、今なお代表的録音の一つであると思われる第4番の2曲に関しては、実は未CD化なのである。一方で、ブロムシュテットの意図が表現し尽くせたとは少々思えない上に、ある程度優れたディスクが他に存在している第3番のみが、CD化されているのである。この点を最後に指摘し、若い頃のブロムシュテットが母国スウェーデンの現代作品についてどんな風に取り組んできたかを、参考程度かもしれないが紹介した次第である。繰り返すが、第2番と第4番のCD化を強く望みたいと思う。
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(2024年11月23日記す)
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