リヒャルト・シュトラウス「ヨゼフの伝説」を聴く(見る)

文:松本武巳さん

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1.シノーポリの追悼CD

CDジャケット

リヒャルト・シュトラウス
バレエ「ヨゼフの伝説」
ジュゼッペ・シノーポリ指揮シュターツカペレ・ドレスデン
録音:1999年9月、ドレスデン、ゼンパーオパー(ライヴ)
DG(輸入盤463 493-2)

 このCDは、シノーポリ追悼盤の1枚として発売されました。店頭で初めてジャケットを見たとき「なんだ、こりゃ?」とビックリしました。ジャケットの絵が、あまりに下手で、買う気を削がれる思いがしましたが、シノーポリ追悼盤であったので、とりあえず買ったことを覚えています。この「ヨゼフの伝説」は、ディアギレフのロシア・バレエ団の依頼によって作曲されたバレエ音楽で、1912 年にディアギレフのロシア・バレエ団を観たホフマンスタールは友人のハリー・ケスラー卿とともに、聖書に基づくヨゼフとポティファルの妻の話をバレエにしようと考え、ディアギレフに売り込みました。ヨゼフはニジンスキーが踊り(現実には後述の通りレオニード・マシーンが踊りました)、作曲は R.シュトラウスという計画でした。R.シュトラウスも既にロシア・バレエ団を体験していたため、作曲を開始したのですが、ケスラー卿の書いた台本は受けが良くなく、完成が危ぶまれたものの、1914 年 2 月にオルガン、チェレスタ、ウィンドマシンを含む大オーケストラの為の作品として完成しました。

 粗筋は、ポティファルの宮殿での祭典の場で、美の饗宴が行われており、花嫁のベールを外す者を婚礼の踊りで競っていました。女たちの踊りで、ひとりのダンサーが躍り出て「燃えるような欲望」を披露します。彼女はポティファルの妻のベールを取ろうと手を伸ばすのですが、激しい身振りで拒絶されてしまいます。次にトルコ人のボクサーたちが熱狂的な踊りをみせますが、凶暴な争いとなり、鞭を入れられながら宮殿の中に連れていかれてしまいました。奴隷が黄金のハンモックを用意すると、牛飼いの格好をしたヨゼフが現れ、4つの踊りを披露します。ヨゼフが踊っている間、氷のようだったポティファルの妻の心も次第にヨゼフに共感し、性的な欲望を募らせるようになります。ヨゼフが踊り終わったとき、彼女は彼にベールを取らせ、そして彼の首に手を回しネックレスをかけてやりながら、何気ない仕草で彼のうなじに触れ、性的欲求を測ろうとするのでした。

 祭典の終わった夜、ヨゼフが眠る地下室に、ポティファルの妻がこっそりとやって来、ランプを消し、ヨゼフの首を触ります。ヨゼフは目覚めたものの、守護天使が現れたのだと勘違いしてしまいます。ポティファルの妻は一瞬逃げようとするが、ヨゼフの唇に自分の唇を重ねました。ヨゼフは怯え、逃げようとしましたが、彼女は追いかけ誘惑を繰り返します。彼は何とか逃れようとしましたが、ついに彼女の眼前で裸になってしまいます。彼女は自分の身体を押しつけようとし、彼は逃れようと揉み合います。そのとき召使いたちが現れ、ポティファルの妻はヨゼフに唆されたと非難し、召使いの腕の中に倒れ込みます。多くの奴隷女性たちが、ヨゼフを非難する踊りを踊り、そこにポティファルが現われ、ヨゼフを鎖に繋ぎます。意識を取り戻したポティファルの妻は、ヨゼフの上着に涙を落としながらヨゼフを告発します。ポティファルの妻は、これから行われる火の拷問の準備を、恐れおののきながら見つめています。血のように赤く燃えさかる炎は、次第に中心が純白の光に変わっていきます。突如天の光が差し込み、黄金をまとった守護天使が現れヨゼフを導いていきます。ポティファルの妻は驚き、真珠の首飾りで自らの頸を絞めます。葬送の行列とともにヨゼフは消えていきました。音楽としては、「薔薇の騎士」「ナクソス島のアリアドネ」「影のない女」に通じる雰囲を感じさせます。また「サロメ」に通じる部分もあり、「7つのベールの踊り」とそっくりであるくらいです。「ヨゼフの伝説」はバレエ曲として作られていますが、聴き方によってはオペラといっても通用する音楽です。

 1幕もので、旧約聖書創世記39章のヨゼフの物語に着想を得て、ホフマンスタールとケスラーが共同で執筆した脚本に基づく作品です。創世記のヨゼフの物語の舞台は紀元前エジプトですが、バレエ初演時には16世紀ヴェネツィアに変更されていました。官能的な世界と清純で神秘的な世界とのコントラストを強調する目的があったようです。この作品の前後に、大編成オーケストラを駆使した作品が集中的に作曲されています。もうひとつのバレエ音楽「ホイップクリーム」と比べても、音楽に充実した内容と緊張感があり、モーツァルト風の作風から「サロメ」「エレクトラ」の世界へと立ち帰ったような書法まで、随所に幅広く見られます。異国趣味という点では「影のない女」や「エジプトのヘレナ」を予感させるものも、持っているように思われます。厚みのある和音を被せて演奏される場面が多い一方、技巧的要素はさして前面に押し出されていません。時おり聴かれる大胆なリズムや和声は、この作品の性格付けに大きく寄与しています。実はR.シュトラウスが一番苦労したのは、主人公ヨゼフの舞踏の音楽を作曲することであったそうです。この作品の基礎は旧約聖書で、ポティファルの妻に誘惑され、それを押し退けて捕らえられる部分までを主要なモティーフにしています。ただし相当変更が加えられている上、聖書にないエピソードも盛り込まれており、聖書とは異なった別作品と見た方が良いでしょう。物語は「サロメ」と類似していますが、誘惑した女性が悲劇的結末を迎えるところは同じでも、物語自体はハッピーエンドで終るところが大きく異なります。ポティファルの妻が自殺する場面の音楽は、「サロメ」の終幕の音楽を彷彿とさせますが、強烈な響きが消え去った後にチェレスタの音が残り、音楽はヨゼフの救いを暗示する本当の終幕へと続きます。

 

2.DVDによるバレエ版(1977年) 

DVDジャケット

リヒャルト・シュトラウス
「ヨゼフの伝説」(バレエ版)
ヨゼフ:ケヴィン・ヘイゲン
ポティファル:フランツ・ウィルヘルム
ポティファルの妻:ジュディス・ジャミソン
守護天使:カール・ムジル
ウィーン国立歌劇場バレエ団
振付・演出・映像監督:ジョン・ノイマイヤー
ハインリッヒ・ホルライザー指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
収録:1977年8月
DG(輸入盤 00440 073 4315)(DVD)

 1977年に収録されたジョン・ノイマイヤーによる振付・演出の作品です。かつてLDでも発売されています。ノイマイヤーの振付はクラシックバレエのファンでも受け入れやすい振付でした。私は、前衛的なバレエは苦手ですが、現代もの自体は意外に好みですし、作品の題材がとても面白く引きこまれてしまいました。物語の舞台がエジプトということもあってか、バレエダンサーの衣装の露出度が高く、かつ男性主体の演目であるためか、ヨゼフ役のダンサーが結構カワイイ感じなのですが、守護天使に愛され、ポティファルの寵愛も受け、その妻にも好かれてしまうこの役は、本質的にカワイクないとダメだと思います。加えて同時に肉体美も誇れる人でないとダメですので、ケヴィン・ヘイゲンは、この役柄にぴったりのダンサーだと思いました。全体的に夢の世界と現実が入り混じった不思議な感覚が全編を覆っています。また、女性主役の黒人女性ダンサーも役柄に合っており美しかったと思います。

 バレエ「ヨゼフの伝説」は、そもそも旧約聖書の「エジプトのヨゼフ」を基にしてバレエ・リュスが初演した作品で、レオニード・マシーンの主演第一作でした。バレエ・リュスでの設定は16世紀のヴェネツィアだったのですが、ノイマイヤーは「エジプトのヨゼフ」そのままにエジプトを舞台としたわけです。ヨゼフが絨毯に巻かれてポティファルの前に差し出された所など、非常に面白かったです。踊り手を選ぶのが難しい(美男子かつ肉体美も誇るダンサーが必須)が、ぜひナマで観たい作品です。なお、音楽を担当しているのがウィーン・フィルですので、純粋に音楽を聴くことでも満足できるDVDだと思います。

 

3.ハンブルクでの新演出バレエ公演(2008年)  

 

 ノイマイヤーが率いるハンブルク・バレエ団は、毎年シーズン最後の2週間をノイマイヤーによる新作振付の初演やバレエ学校の公演、世界のバレエ団を招聘しての公演を行い、ノイマイヤーの代表作を披露しています。2008年のバレエ週間は、6月29日から7月13日まで行われ、初日の6月29日には30年ぶりにノイマイヤーの「ヨゼフの伝説」の新演出が上演されました。オリジナルの「ヨゼフの伝説」は、1914年にディアギレフのロシア・バレエ団が世界初演しました。主役ヨゼフをレオニード・マシーンが踊り、振付はミハイル・フォーキン、音楽はリヒャルト・シュトラウス、衣装をレオン・バクストが担当していました。1931年にはジョージ・バランシンも「ヨゼフの伝説」に挑んだようです。ノイマイヤーはかつて1977年にウィーンで、ケヴィン・ヘイゲン主演でバレエ上演し、女性主役は黒人ダンサーのジュディス・ジャミソンでした。

 今回の新演出版のキャストは、アレクサンダー・リアブコがヨゼフ、クシャ・アレクセイがプロティファーの妻、アミルカル・モレ・ゴンザレスがプロティファー、エドヴィン・レヴァツォフが守護天使を演じました。「ヨゼフの伝説」のバレエとしての最大の見せ場は、ヨゼフがプロティファーの館に登場直後に披露するソロの部分でしょう。「バレエ史上最長」といわれる約10分間のソロで、ヨゼフ役のダンサーは、さまざまな超絶技巧に加えて優れた音楽性を見せ、さらに超人的なスタミナの持ち主でなければ務まりません。またノイマイヤー版のヨゼフは、1977年当時も今も、男性ダンサーが非常に露出度の高い衣装を身にまとい(ドイツのプレスによれば「スリリングかつエロティック」と評しています)、主演男性は若さと美貌と肉体美を同時に持ち合わせなければなりません。音響の優れたハンブルクでの新演出による公演は、海外のプレスからも好評をもって迎えられたようですし、リヒャルト・シュトラウスの作った音楽も非常に栄えたようです。

 

4.さいごに 

 

 リヒャルト・シュトラウスの音楽は、個人的にはあまり嗜好に合いません。しかし、このバレエはとても好きで、音楽としてもバレエとしても愛好しております。また、今回比較したCDとDVDは、別々の角度から、リヒャルト・シュトラウス作品の演奏に関して、偶然ではありますが結果的に、本家を標榜する2つのオーケストラの聴き比べにもなっております。なお、今回の試聴記での表記は、キリスト教の通例を無視し、慣例的表現に従うことにしました。それは、私が理解している旧約聖書に記された物語とは、そもそも根本的に異なる、別個の優れた創作物であると信じるからに他なりません。この点を最後になりましたが、お断りしておこうと思います。

(2009年10月3日記す)

 

※参考文献

ハンブルクでの新演出公演に関し

  1. ダンスマガジン(バレエ専門月刊誌=日本語)
  2. チャコットの紹介記事(バレエ用品メーカー運営の情報サイト=日本語)
  3. フィナンシャル・タイムズ(アジア版=英語)
  4. 南ドイツ新聞(ミュンヘン=ドイツ語)
  5. ダンソマニ(パリ・オペラ座バレエ団のフォーラム=フランス語(一部日本語))
 

2009年10月5日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記