庄司紗矢香のチャイコフスキー&メンデルスゾーンを聴く
文:松本武巳さん
1.
チャイコフスキー作曲 ヴァイオリン協奏曲ニ長調 作品35
2.
メンデルスゾーン作曲 ヴァイオリン協奏曲ホ短調 作品64
庄司紗矢香(ヴァイオリン)
チョン・ミュンフン指揮フランス国立放送フィルハーモニー管弦楽団
録音:2005年10月パリ
ドイツグラモフォン(国内盤 UCCG-1273)■ 最新録音の試聴記です
冒頭から大変申し訳ないが、実はこの録音について書くのは若干気が引けるのだ。端的に言えば、ほぼ完全に失敗作だと思っているからである。そこで、なるべく良い点や、見るべき部分に着目しながら書き進めることにしたい。残された録音の欠点や失敗をあげつらうことはたやすいが、その中から少しでも良い点に着目し、そのことをきちんと読み手や聞き手に伝えることの困難さは、常に評論には付きまとう問題だと考えているので、今回はぜひその視点から書き残したいと思う。それは当然のことではあるが、この録音が全てにおいて救いがたいものではなく、また一方で庄司紗矢香とチョン・ミュンフンが、本来持っているであろう実力をも勘案してのことである。もちろんコンビとしての相性自体は、それらとは完全に別次元の問題であるが・・・
■ チャイコフスキーの協奏曲
録音のレベルが低い等々の批判も散見されるが、この点はさておき(オーディオ装置とか室内のリスニング環境について詳細を公表した上で、録音についてあれこれと論評するような環境に私の住環境が達していない上に、遺憾ながらそのようなことに一義的な興味を持っていない)、何と言っても全般的にテンポが遅すぎるのではないのだろうか? いろいろな過去の名演と比較してみても、私が遅いと思っているパールマンの2度目の録音よりも更に若干遅めである。ハイフェッツの高速演奏と比べるのは如何かとは思うが、最速の彼とは30分少々の楽曲でありながら7分以上も違っている。このことが第1の問題点。
つぎに、指揮者がテンポを落として歌おうと意図する箇所と、ソリストがそのように感じている部分との整合性が結果として無さすぎたように思う。両者が、実際に鳴っている音の段階でチグハグに合っていないなどということは流石にほとんど起こっていないが、明らかにこの曲の根本の捉え方と言うか、方向性と言うか、ポリシーが異なっているとしか思えない。
ただし、このテンポでとりあえずアンサンブルとしては最後まで合わせて弾ききっているために、この録音の最大の長所は、ソリストが通常ならば弾き飛ばしがちな部分や、オケが指揮者に煽られて乱れがちの部分が往々にして残されるこの曲の、書かれた楽譜の正しい情報が、聴いているだけで正確に捉えられることであろうか? 実はこの点は意外なほど大事なことだと思っている。評論家が皮肉を込めて『楽譜どおり弾いていた』と論じることがままあるが、決してそのような観点で書いているわけではなく、この協奏曲の全容を捉えようと試みた場合に、実はこの録音は楽曲の本来的な姿がかなり正確に浮き彫りになってくるのである。これはそうそうあることではない。この点は正当に評価したいと思う。
■ メンデルスゾーンの協奏曲
一方で、私はこの協奏曲の演奏に関しては、まずまずの演奏であったと考えているが、良く言われている疑問点の中に、なぜチャイコフスキーが先に収録されているのか、作曲された時代から言っても、メンデルスゾーンのあとにチャイコフスキーではないのか? という疑問である。しかし、私は、機会があればいつか書きたいと思っているが、彼女は使用楽器の理由から、メンデルスゾーンをメインに据えたのだと基本的に理解している。もしも機会があればこのことを含む、彼女の演奏家論を書いてみたいと思っている。
また、この協奏曲は、テンポ設定だけを捉えてみても、遅めの方が歌うところが存分に歌えるなどの利点も多く、少なくとも私は、彼女の実演(ケント・ナガノの指揮で2005年に東京・初台のオペラシティ・コンサートホールで演奏)の際よりも進歩が感じ取れたので、彼女の代表音源にはなりえないとしてもまずまずの録音であろうと思う。
■ フランス国立放送局に関すること
実は、国立放送局のスタジオで収録されたのだが、私はこの3月、ルーブル美術館と同様に、Radio Franceも見学してきたのである。そしてこのCDが録音されたスタジオも覗いてきたのである。現在、パリに在住している彼女であるが、この放送局の所在地と、ルーブル美術館の建っている場所と、彼女の住まい(3つ目の場所は単に噂レベルで、実際に知っている訳では無いので、念のため。)の3箇所を、パリの地図を浮かべながら想像することは、外国人にはなかなか困難である。これは東京にずっと住んでいる方ならば、赤坂と、初台と、渋谷と、上野と、池袋と、錦糸町の違いを、言葉抜きに直感的に感じることがあろうと思うのだが、ほんのわずかでも彼の地での実体験を積めた私は、上記のことを感じることが出来たと思い、内心では若干ほくそ笑んでいるのである。
■ 最後に
これでとりあえず彼女の全録音を紹介したわけであるが、彼女が得意としている楽曲とか、私が実演で感動した際の楽曲の録音がまだほとんどされていない現状であり、彼女の評価を現時点ですることの困難さを痛感する。ただ、美少女として単に眼前に存在しているだけで鳥肌が立ったような時代を、遺憾ながらすでに通り過ぎてしまった現在、演奏する楽曲の内側と外側に向けられる彼女のエネルギーが、少なくとも聴き手から捉えてみるとき、そのバランスが若干きちんと受け取りにくい段階に達しているのだと考える昨今の状況から、いつ完全な大人の演奏家として、われわれの前で芸術家としての有無を言わせぬ堂々たる構成感や技術力でわれわれを唸らせてくれるのか、その日を指を銜えて待っていたいと念願しているのである。機会があれば、彼女自身のキャラクターについても書くことがあればと念願しつつ、全4枚の試聴記を終えたいと思う。お付き合いくださった皆様に感謝を捧げます。
(2007年3月30日記す)
2007年3月30日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記