シューベルト晩年のピアノトリオを聴く

文:松本武巳さん

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CDジャケット

シューベルト
ピアノ三重奏曲第2番 変ホ長調 D929

  • アルトゥール・ルービンシュタイン(ピアノ)
  • ヘンリク・シェリング(ヴァイオリン)
  • ピエール・フルニエ(チェロ)

録音:1974年4月、スイス・ジュネーヴ
RCA(国内盤 BVCC-35073)


《比較対象演奏》

  • ジャン=フレデリック・ヌーブルジェ(ピアノ)
  • 庄司紗矢香(ヴァイオリン)
  • タティアナ・ヴァシリエヴァ(チェロ)

録音:2008年1月25日、フランス・ナント
未発売(映像はYouTubeにて全曲試聴可能)

 

■ 知られざる名曲

 

 シューベルトらしい歌心に溢れたピアノトリオである。しかし、曲調や調性が途中で唐突かつ大胆に変化するこのピアノトリオは、一般的な室内楽の基準から判断すると異質かつ長大なピアノトリオであり、それでいて極めてドラマティックな曲でもある。加えて全体の規模が非常に大きく、演奏時間は実に50分近くを要することもあって、名曲でありながら認知度はあまり高くないピアノトリオであるといえるだろう。

 

■ 楽章ごとの寸評

 この室内楽をあまりご存じでない方のために、ごく簡単な楽章ごとの寸評を、まずは記しておきたいと思う。

第1楽章 アレグロ

力強いユニゾンによる第1主題に続いて、チェロが主題を美しく歌い出す。これを聴いただけでも、聴き手が釘付けになるような、印象深くて美しいメロディーである。

第2楽章 アンダンテ・コン・モート

ノスタルジアの極みともいえる楽章であり、全体を通じて孤独感や絶望感に陥りそうな楽章でもある。しかしながら、余りの美しさに強く惹き付けられる楽章でもある。

第3楽章 スケルツァンド アレグロ・モデラート

表面的には力強くて明るく、非常にリズミカルな楽章である。しかし突然楽想が途中から大きく変化し、過去の回想の世界に引き戻されてしまう。

第4楽章 アレグロ・モデラート

あまりの長大さに、出版時にカットが施されたが、それでもなお非常に規模の大きな終楽章である。全体としては明るさが基調でありながら、突如第2楽章の主題が回帰して、ピアノトリオの終結部で使われている。

 

■ 世紀の名盤ルービンシュタイン盤

 

 伝説の名演ともいえるルービンシュタイン、シェリング、フルニエの1974年の録音については、伊東和明さんが、数年前に思い入れのある名文を執筆されておられるので、まずは一部を引用して紹介したいと思う。

 私が死ぬまでにはもっと繰り返して聴きたいと思うCDはあります。例えば、ルービンシュタインによるシューベルトのピアノ三重奏曲第2番です。

 ピアノ三重奏曲第1番と違って、この曲には陰影があるのです。人が今は失った過去の幸福を回顧して遠くを見つめているようなフレーズが軽快で優美な音楽の中に何気なく散りばめられているのであります。第1楽章にそれが顕著で、私はドキッとしながら、あるいは切ない思いをしながらこの曲を聴くのです。過去の自分がどれほど恵まれていて、どれほどの幸福に浸っていたのかをこの曲は私に思い出させてくれるのです。ピアノソナタ第21番のように、未来を感じさせるわけでも永遠を感じさせるわけでもありません。ひたすら過去を向いた曲に思えます。それも、失った幸福を思い出させるという実にやるせない曲なのです。第2楽章は全体が懐古調です。第3楽章スケルツォを挟んで第4楽章は力強く、明るい曲になっているのですが、その中にも第2楽章の主題が回想されるなど、最後まで過去を向くシーンに事欠きません。

 

■ 若い庄司紗矢香らのトリオ演奏

 

 2008年の、フランス・ナントで開催されたラ・フォルジュルネ音楽祭にて取り上げられた際の動画が、YouTubeで全曲試聴可能である。また、確か翌年に日本でも同じメンバーで同曲を演奏したように記憶している。ピアニストのヌーブルジェは演奏当時21歳、庄司も24歳である。チェロのヴァシリエヴァも若手で、当時30歳であった。すなわち、わずか31歳で早逝したシューベルト最晩年のこの名作トリオを、シューベルトの作曲時より全員が若い年齢で取り組んだことになるのだ。しかし、この演奏に感じ取れる勢いは、単に奏者全員が若いからなのであろうか。これが、今回の執筆動機なのである。

 

■ ルービンシュタイン盤

 

 ルービンシュタイン87歳、シェリング55歳、フルニエ66歳のときの録音である。年齢だけを捉えても、まさに、伊東さんが捉えられた形での名演に相応しい陣容であったと言えるだろう。しかし、シューベルトの音楽特有の若さを表出することが可能な老人であることも条件となるが、この面からもこのトリオは何ら欠けるもののないメンバーであったに違いない。ひたすら過去を向く演奏に徹し、比肩なき名演を演ずるに足る、そんなメンバーであり、そんな期待通りの録音でもあるのだ。まさに名盤であるといえるだろう。

 

■ シューマンの残したことば

 

 伊東さんも実は紹介されているのだが、シューマンは、このピアノトリオを能動的でドラマティックな音楽だと捉えていた。この視点における私のお勧めが、庄司紗矢香らの演奏なのである。庄司らの演奏は、非常にアグレッシブな演奏に終始しており、そのくせ良い意味で繊細さも持ち合わせているのだ。庄司らは、ルービンシュタインらの演奏とは明らかに異なった方向性を目指している。一方で、決して弛緩した演奏ではなく、それでいてノスタルジックな回顧に浸る演奏でもないのである。つまり、この庄司らの演奏が、シューマンが残したことばに最も近い演奏のように、私には思えるのである。

 

■ さいごに

 

 このシューベルト晩年のピアノトリオは、残念ながらあまり聴く機会に恵まれていないように思われる。しかし、多くの魅力をもったこの長大な室内楽には、たいへんありがたいことに、少ないながらも多方面から成果をあげている録音が存在しているのだ。シューベルトのピアノソナタは、近年復権が目覚ましい。その一方で、シューベルトの交響曲は今まさに忘れられかけていると言えるだろう。さらに、まさに大量に残された名作リート群も、一部の連作歌曲とわずかな楽曲以外は、近年演奏頻度が著しく低下していると思われる。そんな中で、シューベルトのこの室内楽曲が、今後も埋もれることなく引き続き一定の光が当てられることを願ってやまない。

 

(2018年6月15日記す)

 

2018年6月15日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記