フィッシャー=ディースカウの「冬の旅」13種類聴き比べ

文:松本武巳さん

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シューベルト
連作歌曲集「冬の旅」

 

1.1948年

CDジャケット
CDジャケット

ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(バリトン)
クラウス・ビリング(ピアノ)
録音:1948年1月19日(西ドイツ・ベルリン、放送用録音)
MOVIMENT MUSICA(初出CD),audite(正規盤初出CD)

 

2.1952年

CDジャケット

ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(バリトン)
ヘルマン・ロイター(ピアノ)
録音:1952年10月4日(西ドイツ・ケルン、ライヴ録音)
Audite(CD)

 

3.1953年

CDジャケット

ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(バリトン)
ヘルタ・クルスト(ピアノ)
録音:1953年11月6日(西ドイツ・ベルリン、ライヴ録音)
MELODRAM(CD)

 

4.1955年

CDジャケット

ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(バリトン)
ジェラルド・ムーア(ピアノ)
録音:1955年1月13-14日
EMI(初出はLP)

 

5.1955年

CDジャケット

ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(バリトン)
ジェラルド・ムーア(ピアノ)
録音:1955年7月4日(フランス・プラド音楽祭ライヴ録音)
INA(CD)

 

6.1962年

CDジャケット

ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(バリトン)
ジェラルド・ムーア(ピアノ)
録音:1962年11月10,17日
EMI(初出はLP)

 

7.1965年

CDジャケット

ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(バリトン)
イェルク・デムス(ピアノ)
録音:1965年5月11-15日
DG(初出はLP)

 

8.1971年

CDジャケット

ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(バリトン)
ジェラルド・ムーア(ピアノ)
1971年8月18-20日録音
DG(初出はLP)

 

9.1978年

CDジャケット

ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(バリトン)
マウリツィオ・ポリーニ(ピアノ)
録音:1978年8月23日(ザルツブルク音楽祭ライヴ録音)
ORFEO(CD)

 

10.1979年

CDジャケット

ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(バリトン)
ダニエル・バレンボイム(ピアノ)
録音:1979年1月19-21日
DG(初出はLP)

 

11.1979年

DVDジャケット

ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(バリトン)
アルフレッド・ブレンデル(ピアノ)
録音:1979年1月
TDK(DVD)

 

12.1985年

CDジャケット

ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(バリトン)
アルフレッド・ブレンデル(ピアノ)
録音:1985年7月17-24日
PHILIPS(初出はCDとLP)

 

13.1990年

CDジャケット

ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(バリトン)
マレイ・ペライア(ピアノ)
録音:1990年7月15-18日
SONY(初出はCDとLD)

■ フィッシャー=ディースカウと冬の旅
 

 古今の歌曲(リート)の中でも、シューベルトの連作歌曲集「冬の旅」ほど有名な曲は存在しないだろう。多くの歌手がレパートリーにし、夥しい録音がこれまでに存在しているが、先年亡くなったディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(1925.5.28−2012.5.18)ほどに、この歌曲集を重視し録音を繰り返した歌手もいないであろう。録音はスタジオ録音7種類を始めとして、実に13種類にも及んでいるのである。このうち、現時点での正規盤は12種類であるが、1種類だけライセンスが無いとされる盤も、ある事情から正規ライヴ盤に一部が収録されており、現実にはここで取り上げる13種類は、全て正規盤として扱って良いものと考える。

 

■ 1948年、最初の録音について

 

 1948年、最初の「冬の旅」は放送用の録音である。フィッシャー=ディースカウ22歳の時のことであった。ピアニストのクラウス・ビリングは、放送局の専属ピアニストであり、同時期にいくつかの伴奏を行っている。この録音を初めて聴いたとき、あまりにロマンティックな前時代的な歌い方に驚いたと言うよりも、果してフィッシャー=ディースカウの録音なのかどうかをそもそも疑った。しかし、発売された直後の来日時に、このディスクの話がインタビュー記事として掲載されており、現実にフィッシャー=ディースカウの演奏であったことは間違いないようである。ポルタメントを思いっきり掛けて歌っており、その掛け方も前時代的な歌手の掛け方に近いものであった。まさにこの初録音では、フィッシャー=ディースカウは朗々と歌曲を歌い上げているのである。また、この録音では音程がやや不安定であり、後年の完璧な歌手であるとのイメージは、ここでは感じ取れない。ビリングのピアノは早めのテンポで弾いており、さすがに放送局の専属ピアニストだけあって、上手く全体をまとめる演奏に徹している。

 

■ 1952年録音について

 

 1952年のヘルマン・ロイターとの共演では、もはや後年の演奏スタイルに変化しており、フィッシャー=ディースカウの世界が広がりつつあることが聴き取れる。歌詞を非常に重視し、聴き手に積極的に語りかける歌いっぷりは、われわれが良く知る彼のスタイルそのものである。ロイターは本職が作曲家だけあって、いろいろな工夫を伴奏の中で凝らしているのが聴き取れる。

 

■ 1953年録音について

 

 1953年のヘルタ・クルストとの共演では、そもそもクルストは当時オペラの練習ピアニストとして知られており、そこでの共演も元々多かったようである。クルストのピアノは、音価の強調の仕方がやや独特であり、音符より休符を念頭に置いているかのような、少々癖のある弾き方をしているため、伴奏者がクルストであることは、聴き手にとって一聴するだけでも分かるが、決して不快感や違和感があるような癖ではない。

 

■ 1955年、初めてのスタジオ録音

 

 1955年にジェラルド・ムーアとの最初の冬の旅が録音された。フィッシャー=ディースカウに取って、冬の旅の最初のスタジオ録音ということもあってか、今までよりも冷静に歌っており、良く言えば安定感に溢れたディスクとなっている。伴奏者ムーアは、基本的に伴奏に徹し、余計な表情付けなど行わずに、淡々と進行しているのだが、そこに緊張感を持たせることに成功しており、これが後年のシューベルト歌曲全集の録音に繋がっていったものと思われる。

 

■ 同年のプラド音楽祭におけるライヴ録音

 

 1955年、上記の半年後に同じムーアとフランスで開催されているプラド音楽祭に出演し、その際のライヴ音源が発売された。この時、有名な第5曲「菩提樹」を歌っている途中で突然停電が発生し、演奏をそのまま続けたものの、第5曲の録音が残念ながら残されなかった。このディスクでは、「菩提樹」のみ1953年のクルスト盤の演奏を流用している。このことは、CD添付の解説書にも記載されているのだが、曲目一覧には特段の注記が付けられていない。伴奏のムーアは、淡々とテンポを遵守して弾き進めている。

 

■ 1962年、2度目のスタジオ録音

 

 1962年に、ムーアとステレオ録音で2度目の録音を行った。フィッシャー=ディースカウとムーアは、とても相性が良かったらしく、両者の特長が相俟って、演奏全体に明らかに相乗効果をもたらしている。フィッシャー=ディースカウの声の艶と張りは、これまでの録音中で最も強く感じ取れ、まさに若々しい演奏であり、俗にいう心技体の充実した極めてハイレベルの録音である。このディスクを13種類もある彼の冬の旅の代表的録音と判断して、間違いないだろうと思う。

 

■ 1965年、3度目のスタジオ録音

 

 1965年、ドイツグラモフォンに移籍し、イェルク・デムスのピアノで録音している。デムスの歌曲伴奏は賛否相半ばしており、彼独特の弾き崩しが気になる人も多く、特に日本では批判派が多かったように見受ける。しかし、少なくとも当盤でのピアノ演奏を聴く限りでは、行き過ぎた崩し方や、極端な表現を感じることはほとんどないと言えるだろう。一方のフィッシャー=ディースカウは、伴奏者がデムスに代わったためか、これまでの端正な演奏とは明らかに異なり、ダイナミクスを大きく取る演奏スタイルを明確に示している。従って、これまでの方向性とは異なる舵を切った初めての録音として、フィッシャー=ディースカウの演奏の変遷を調べるうえで、貴重な録音となっている。その分、聴き手の好悪は分かれるかも知れない。

 

■ 1971年、4度目のスタジオ録音

 

 1971年、現役をすでに引退したムーアとの録音が、ドイツグラモフォンにより行われた。ムーアとは1966年から「シューベルト歌曲大全集」を録音中で、その一環として4度目のスタジオ録音が行われた。フィッシャー=ディースカウは大全集の1巻としての録音であることを明確に意識し、これまでで最も確実性の高い、安定感に溢れた演奏を残した。完璧な演奏ではあるが、余計な表情付けを意図的に回避しており、面白みには少々欠ける演奏でもある。ピアニストのムーアは、引退後の演奏であるにも関わらず、今までとは多少異なり、節度の中にも自己主張を適度に行っており、これまでで最も説得力のある伴奏を行いつつ、フィッシャー=ディースカウをしっかりと支えており、本当に相性の良いコンビであったことが窺える、優れたディスクである。

 

■ 1978年、ザルツブルク音楽祭でのライヴ録音

 

 1978年に、ザルツブルク音楽祭でマウリツィオ・ポリーニの伴奏で冬の旅を歌い、世紀の共演が実現した。フィッシャー=ディースカウにしては感情の起伏が大きく、表現の振幅も大きい。ポリーニは、当時も現在もほとんど伴奏や室内楽を行っておらず、この冬の旅は決して悪くはないものの、意外に平凡な演奏に終始している。貴重な一期一会の演奏ではあるが、代表盤と言うためには何かが少々足りない、そんなディスクでもある。

 

■ 1979年、5度目のスタジオ録音

 

 1979年の1月に、2人の著名なピアニストと録音をほぼ同時に残した。ダニエル・バレンボイムとは色々な録音で何度も共演してはいたが、シューベルトはこの冬の旅が唯一の共演である。フィッシャー=ディースカウは、この録音では一切力むことなく淡々と最後まで歌い切った。そのため、フィッシャー=ディースカウの歌唱を聴くべきディスクではないと言えるだろう。しかし、伴奏を受け持ったバレンボイムの音色と表現の多種多様な変化は聴きものである。この盤の価値はピアニストにあると言うべきであろう。

 

■ 同年、初めての映像収録

 

 同年同月に、映像でも冬の旅を残した。映像の方のピアニストは、初共演のアルフレッド・ブレンデルであった。ブレンデルのシューベルトの楽曲に関する自己主張と、フィッシャー=ディースカウの楽曲解釈には、若干の齟齬が感じられるものの、両者は綿密な演奏上の調整をきちんと行っており、聴き手に違和感を感じさせるようなことは決してない。両者の協調性が見て取れる演奏である。

 

■ 1985年、6度目のスタジオ録音

 

 1985年に、再度アルフレッド・ブレンデルと、今回はスタジオ録音を行った。ブレンデルのピアノはシューベルトの旋律をとても美しく歌うものの、フィッシャー=ディースカウとの協調性は、前回の映像ほどには感じ取れず、時おり両者の解釈の不一致も感じさせる。全盛期を過ぎた歌手と、まさに絶頂期であったピアニストの共演は、残念ながら最高の名演を残すには至らなかった。どちらに責任があるかではなく、声のコントロール能力の落ちてきたフィッシャー=ディースカウが、ピアニストの要求に応えきれなかった辺りが、実情ではないだろうか。

 

■ 1990年、7度目で最後のスタジオ録音

 

 1990年、最後のスタジオ録音が、映像収録とともに行われた。今回のピアニストはマレイ・ペライアで、ソニークラシカルへの録音であった。フィッシャー=ディースカウは抑揚を大きく付け、表情の振幅も大きく取るのだが、残念ながら声の衰えとコントロール能力低下は隠せず、音楽が唐突に切れるように進行してしまっている箇所がいくつか見受けられる。ピアニストのペライアは音色が大層美しくはあるのだが、フィッシャー=ディースカウとの音楽的な協調は今一歩であり、希代の大歌手の引退が間近いことを聴き手に直感させるような、やや残念な演奏に終始してしまった。

 

■ 直後の引退と、20年後の逝去

 

  フィッシャー=ディースカウは、この最後の冬の旅の録音から2年後の1992年12月をもって、歌手活動から潔く引退した。その後しばらくは、指揮者として活動していたが、やがて活動を停止し、2012年に86歳で生涯を終えた。まさに偉大な歌手生活であった彼の足跡は、永遠に「冬の旅」の演奏遍歴で、今後も確実に辿れるであろう。

 

(2016年11月4日記す)

 

2016年11月4日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記