コンヴィチュニー&カペレで「ショスタコーヴィチ交響曲第11番」を聴く

文:松本武巳さん

ホームページ What's New? 旧What's New?
「音を学び楽しむ、わが生涯より」インデックスページ


 

CDャケット
ショスタコーヴィチ
交響曲第11番 作品103「1905年」
フランツ・コンヴィチュニー指揮
シュターツカペレ・ドレスデン
録音:1959年
BERLIN Classics(輸入盤 0090422BC)
 

■ 冒頭に真剣なお断りを

 

 私はショスタコーヴィチの音楽について、まるで明るくない上に、これまでの人生でも、さして大きな興味や関心を抱いたことがない、そんなド素人であることを冒頭にお断りしておきたい。ショスタコーヴィチはピアノの名手でもあるが、私の興味や関心とはほとんど相容れないまま、人生を過ごしてきたことを、心からお断りしておきたい。いつもとは視点が全く異なる、完全な素人による、戯けた感想文の一つに過ぎない。
 事実、ピアノ曲についても、かつてごく小品を3曲ほど弾いてみたことがあるだけであるし、コンサートに行こうと考えた場合でも、ショスタコーヴィチの交響曲がプログラムに入っている場合には、行くかどうか最後まで悩んでいる、そんなレベルなのである。このサイトでピアノ音楽について、長年にわたってあれこれと書き散らかさせて頂いているが、そんなピアノに関する知識とは、量的にも質的にもまさに雲泥の差であるのだ。何卒冒頭、この点に関しお断りさせて頂きたい。
 そこで、ウィキペディア等を参照並びに引用しつつ、自身のためのメモを兼ねて、ショスタコーヴィチの交響曲第11番について、ここで予習しておきたいと思う。

 

■ ショスタコーヴィチの交響曲第11番に関するメモ書き

 

  1957年に作曲された標題交響曲。交響曲と言うよりは交響詩に近い。栄華を極めたロマノフ王朝に請願するため、ペテルブルク宮殿に向かって行進していた無防備の民衆に対して軍隊が発砲し1000人以上を射殺した、いわゆる「血の日曜日事件」を題材としている。この交響曲は、革命歌や自作合唱曲からの引用が多い。長らくプロパガンダ音楽であると看做された。1958年、ショスタコーヴィチはレーニン賞を受賞。1957年10月30日、モスクワのモスクワ音楽院大ホールにおいて、ナタン・ラフリン指揮ソヴィエト国立交響楽団により初演された。曲は4楽章構成で切れ目なく演奏され、緩-急-緩-急の構成となっている。

第1楽章「宮殿前広場」

 冬のペテルブルク王宮前が描かれる緩徐楽章。血に染まる金曜日(新暦の日曜日)の静かな、しかし不気味な予兆を秘めた音楽で、帝政ロシアの重圧を思わせる。革命歌「聞いてくれ!」が印象的に引用され、その後「囚人」の引用が低弦に出て終結する。

第2楽章「1月9日」

 低弦の蠢きに始まり、民衆の請願行進を描き出す。自作の無伴奏混声合唱曲「革命詩人による10の詩」第6曲「1月9日」が引用され、途中からは、とても不吉なトランペットの合図とともに、軍隊による一斉射撃が始まり、宮殿前には大量虐殺の無惨な光景が繰り広げられ、それが突如静まり返ると、続いてチェレスタと弦楽器により、民衆の死を映し出す残忍な楽章である。

第3楽章「永遠の記憶」

 犠牲者へのレクイエムというべきアダージョ。革命歌「君は英雄的にたおれた」をヴィオラが歌う。中間部では革命歌「こんにちは、自由よ」が引用され、復讐の呼び声のような力強い讃歌へと発展するが、その後音楽は再び弱まり、冒頭のレクイエムというべきアダージョが回帰して終結する。

第4楽章「警鐘」

 金管による決然とした革命歌「圧政者らよ、激怒せよ」に始まり、やがて弦楽器による「ワルシャワ労働歌」が聞こえてくる。不屈の民衆の力を誇示するかのように圧倒的なクライマックスが築かれるが、イングリッシュホルンに悲しげなメロディが奏され、最後はチューブラーベルの乱打が帝政ロシアへの警鐘を示し全曲を閉じる。

 

■ 指揮者コンヴィチュニーに関するメモ書き

 

 フランツ・コンヴィチュニー(1901-1962)は、現在のチェコ共和国モラヴィア北部のフルネクに生まれ、戦前はドイツ、戦後は東ドイツを中心に活躍した指揮者。オペラ演出家のペーター・コンヴィチュニーは、彼の子息である。
 音楽一家に生まれ、地元ブルノでヴァイオリンを学び、後にライプツィヒ音楽院に進み、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のヴィオラ奏者として活動を開始した。1949年以後、ゲヴァントハウス管弦楽団の首席指揮者を務めた。その間、1953年から55年までシュターツカペレ・ドレスデンの首席指揮者も兼務した。1952年東ドイツ国家賞受賞。1961年4月にゲヴァントハウス管弦楽団が初来日した時の指揮者で、大阪国際フェスティバル及び東京日比谷公会堂で、ベートーヴェン交響曲全曲演奏を行った。1962年7月28日に演奏旅行中のユーゴスラヴィア・ベオグラードで心臓発作により急死した。彼は終生信心深いカトリック教徒であったようだ。

 

■ 第1楽章「宮殿前広場」

 

 これぞ、嵐の前の静けさと、迫りくる予兆への緊張感こそが聴きものなのであるが、この楽章の場合は、やはりもう少し良い音で聴きたいと思うのは人情であろう。たとえば、ネーメ・ヤルヴィ指揮のグラモフォン盤や、マリス・ヤンソンス指揮のEMIの方が、楽章の雰囲気と緊張感が良く伝わってくるのは、やむを得ないであろう。

 

■ 第2楽章「1月9日」

 

 恐ろしい題材をそのまま音楽にした第2楽章を、コンヴィチュニー盤はモノラルの乏しい音質でありながら、まさにそのままの形で過不足なく、聴衆の深奥にグイグイと抉るように押し付け迫ってくる、そんなド迫力の恐怖の世界に、決して夜には聴かない方が身のためかと案じるくらい、大袈裟ではなく心から恐怖に慄き恐れてしまう。このコンヴィチュニー盤の底知れぬ迫力は到底信じがたい。標題の内容は、この曲の予習のためのメモ書きに記してある通りだが、それにしてもこの迫りくる訳のわからぬ恐怖感は、一体何者なのか、、、、、深夜に聴くと、きっと睡眠中に秘密警察の足音の悪夢に苛まされて魘され続けること間違いないと言い切れる、そんな恐るべき演奏である。
 怖い物見たさの期待感からでも良いから、まぁ聴いてみて欲しい。神の救済など得られるはずもない、露ほども期待すること自体がそもそも間違っている、そんな無慈悲な救いようのない絶望感、特に開始から13分前後の演奏は、本当に心臓が止まりそうになるくらいである。1959年のドレスデン旧市内は、依然として廃墟のままだったと思われるが、敗戦直前に絨毯爆撃を受けた後、共産化されても見せしめに近い形で、東側時代は廃墟のまま放置された、そんな場所に置かれたシュターツカペレ・ドレスデンならではの、この曲を通したプロパガンダとは180度異なる、世界中への発信を目的とした恐怖政治と救済の訴えがなせる、信じがたい技だったのかも知れない。
 ただ、この曲の作曲当時の1956年10月に、日本がモスクワでソ連と国交回復(日ソ共同宣言)を成し遂げたその日の夜に予定されていた、記念のレセプションは急遽中止となり、同夜クレムリンはハンガリーへのソ連軍出動を秘密裏に指令した、あの有名かつ悲劇的なハンガリー動乱と、それこそ完全に重なるのである。その意味でも、この交響曲はショスタコーヴィチがクレムリンに迎合したプロパガンダ音楽とは程遠い、深い作曲意図が隠されていると言わざるを得ない。そして、その方向性を正に理屈抜きに語った録音が、この作曲直後のコンヴィチュニーとカペレによるモノラル録音なのである。

 

(ハンガリー国会議事堂前の動乱記念碑−地下が記念館)

 

ハンガリー国会議事堂前の動乱記念碑

 

(処刑された首相イムレ像とハンガリー国会議事堂)

 

処刑された首相イムレ像とハンガリー国会議事堂

  (いずれも2015年1月1日、著者自身による撮影)
 

■ 第3楽章「永遠の記憶」盤の感想

 

 私にはレクィエムやミサとは異なり、むしろやり場のない民衆の怒りを表している音楽だと理解するが、ある意味、これを当事者目線から一旦冷静に突き放して、第三者として見つめ直したうえで、ショスタコーヴィチは表現することに特化しているとも言えるだろう。それゆえ、悲しみを超越した美しい音楽が繰り広げられているので、音楽による魂の救済を多少なりとも得られる、そんな楽章である。
 コンヴィチュニーは、さらにこれをもう一段距離を置くことで、音楽全体を構築し直し演奏しているため、非常に引き締まった印象を与えてくれる。彼は終生信心深いカトリック教徒であったようだと経歴で記したのは、この部分での演奏を聴いていて感じた音楽性と重なるように感じたからである。こんな形で、何とか魂の救済を図ろうとする方向性と、彼の信心が深いところで被さっているように思えてならないのだ。

 

■ 第4楽章「警鐘」

 

 ここは、多くの意見の通り、ショスタコーヴィチはクレムリンに、作曲の真意や意図がばれないように仕組んだ、まさに一見プロパガンダ音楽であろう。無意味と言えば無意味だが、しかし生演奏で聴く場合でも、迂闊にも夜にこの交響曲を聴いた人が安眠するためにも、必要なお口直し(衝撃緩和剤)である。第3楽章までの真実の世界が、聴後にまで余りにも重く圧し掛かってくることを恐れて、あえて作曲したバカバカしさとも言えるが、まさにクレムリンを欺くために必要不可欠だった音楽でもあり、その音楽の方向性によって、真実の犠牲者への追悼も含めて、音楽の持つ重さと恐怖心から聴く者全体を救済しようと言う、そんな意味だと捉えれば、交響曲第5番の終楽章同様、ショスタコーヴィチの作曲の意思は伝わっているとも言えるだろう。
 コンヴィチュニーとシュターツカペレ・ドレスデンはそんな作曲者の意図を完全に見透かしたかのように、やや自虐的にではあるが、ド派手にオケを鳴らしまくって、乗りに乗った演奏を繰り広げている。ただし、その余興的な派手さからは、なぜか第3楽章では出なかった涙を反対に誘うのである。まるでピエロが悲しきワルツを踊るが如くに。。。ショスタコーヴィチが苦手な私にとって、この録音は長きにわたって最大かつ最高のディスクであり続けている。

 

(2016年11月12日記す)

 

2016年11月13日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記