バドゥラ=スコダとデムスによる、モーツァルト作品集を聴く

文:松本武巳さん

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LPジャケット

モーツァルト

  • 2台のピアノのためのソナタK.448
  • 4手(連弾)のための「アンダンテと変奏曲」K.501
  • 4手のためのピアノソナタK.358
  • 4手のためのピアノソナタK.381

パウル・バドゥラ=スコダ、イェルク・デムス(ピアノ)
録音:1951年
Westminster(輸入盤 XWN 18044)LP

 

■ ウィーン三羽烏

 

  パウル・バドゥラ=スコダとイェルク・デムスは、年齢と出身地の近いフリードリヒ・グルダ(1930-2000)とともに、ウィーンの三羽烏と称され、戦後の一時期は3人纏めてもてはやされた。しかし、グルダは他の二人と歩みを同じくせず、独立したやや特異な活動を続け、2000年には早々に鬼籍に入ってしまったのである。

 一方のバドゥラ=スコダとデムスは、ともに今年(2019)亡くなるまで、多くの機会に連弾や2台のピアノのための作品の演奏で共演するだけでなく、古楽器への共通した興味や、果ては作品研究のための書籍の共著まで残すなど、長年にわたって各々のソロ活動に留まらず、二人は活動をともにする場面が終生継続したのである。この二人による、ごく初期の1951年の録音であるウエストミンスター・レーベルへの、モーツァルトの2台のピアノのためのソナタ(のだめカンタービレで有名になった曲)と3曲の連弾曲の録音を、ここで取り上げてみたい。

 

■ イェルク・デムス(1928.12.2-2019.4.16)

 

 デムスは1928年12月2日、オーストリアのザンクトペルテンで生まれ、最初は母の手ほどきでピアノを始め、11歳よりウィーン音楽アカデミーにてウォルター・ケルシュバウマーらに師事し、同時に作曲や指揮も学んだ。在学中の1942年に早くもウィーン楽友協会でデビューを果たした。アカデミー卒業後はイーヴ・ナットや、ワルター・ギーゼキングといった名ピアニストのもとで更に研鑽を積み、1953年からウィーンを本拠として本格的な演奏活動を開始した。

 ちょうどこの頃、アメリカの新興レコード会社であるウエストミンスター・レーベルが、ウィーンの若い奏者を多数起用して、夥しい量の室内楽録音を行っていたが、デムスはバドゥラ=スコダとともに数多くのレコーディングを行い、これらのレコードによって世界的な知名度を獲得したのである。1956年イタリアのブゾーニ国際コンクールで優勝後は、海外でも定期的にツアーを挙行し、同時に音楽祭にも数多く出演したのである。

 ソロ活動としては、バッハ、モーツァルト、シューマンなどのドイツ音楽を多く演奏し、録音も多く残したが、一方でドビュッシーの全集も残しているし、フランクの演奏で極めて優れた録音を残したのが特に目立っていると言えるだろう。また室内楽や声楽家のピアノ伴奏者としても積極的に活動し、シュヴァルツコップやフィッシャー=ディースカウ、スークらの伴奏者としても非常に知られた存在であったのである。

 

■ パウル・バドゥラ=スコダ(1927.10.6-2019.9.25)

 

 フリードリヒ・グルダ、イェルク・デムスとともにウィーンから華々しく登場した3人のピアニストの一人で、ウィーンの伝統を正統的に受け継いだ最後のピアニストだったと言えるだろう。モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルトのピアノ曲における演奏解釈は、各々の作品の内容や様式を正しく伝えており、後世の規範となる解釈として、非常に高く評価されていると言えるだろう。

 バドゥラ=スコダはピアニストとしてだけでなく室内楽奏者、指揮者としても活躍し、更に音楽学者としても、自筆譜や古楽器などの収集を行い、数多くの貴重な専門研究書を著した。教育者としても、ピアニストのみならず多くの演奏家を育てており、アンヌ・ケフェレック、イモージェン・クーパー、ジャン=マルク・ルイサダらを育てたことでも知られている。

 バドゥラ=スコダは1927年10月6日、ウィーンに生まれた。1945年からウィーン音楽アカデミーで学び、1947年には早くもオーストリア音楽コンクールに優勝し、エトヴィン・フィッシャーの指導を受けた。1949年にはフルトヴェングラーやカラヤンらと共演している。音楽学者としては『新モーツァルト全集』において、ピアノ協奏曲第17番、第18番、第19番の校訂者を務めた功績が光っている。1976年に、オーストリア政府よりオーストリア科学芸術功労賞を授与された。

 

■ 颯爽とした瑞々しい二人のデュオ演奏

 

 この二人の名ピアニストは、実際にかなり多くの共演を果たしている。ここで取り上げたモーツァルトの作品集も、晩年まで継続して何度か録音を含めて共演しているのだ。しかし、この古いウエストミンスター・レーベルへのモノラル録音は、他の演奏では決して味わうことのできない、二人の若手奏者の瑞々しい共演が残されているのだ。後年の熟した演奏が決して悪いわけではないが、1950年代前半にはこの1枚に留まらず、モーツァルトでの共演盤が別に存在しているし、シューベルトの連弾曲のレコードも残している。この時期に残した共演盤は、忘れてしまうには余りにも惜しい優れた録音が数多く残されていると言って良いだろう。

 最晩年まで二人は共演を数多く行い、録音もそのたびに重ねたせいか、この古いウエストミンスター録音は忘れられがちではあるが、ここで見せている二人の共演振りは、若干即物的な部分が垣間見られるものの、楽曲全体の推進力、きわめてストレートかつ健全な解釈、若さ特有のキリっとしまった堅固な構成力、そして特筆すべき実に瑞々しい音楽性、などがあちこちに充満しており、私は後年のどの録音よりも際立って優れている内容であると信じているし、二人が終生著名な演奏家であり続けることのできた、この二人の活動の原点でもあると考えているのである。

 

■ 二人を偲んで

 

 私は、若いころから随分と、この二人のピアニストの演奏会に出かけた。確かに二人とも、技巧的には若干弱い面があり、さらに古楽器に傾倒した時期などもあって、決して継続してこの二人のピアニストを聴き続けてきたわけではない。むしろ一時期は、どちらかと言えば敬遠した時期もあったのは確かだ。

 しかし、ピアノの演奏自体は多少の紆余曲折を経たものの、加えて最晩年は技術的破綻が二人とも増えたことも確かに否めないが、むしろ演奏に滋味が増して、演奏会場で楽しいときを過ごさせてくれることが多かったのだ。私は残念ながら、二人の共演は生では経験していない。しかし、長年にわたって本当に多くの楽曲の優れた解釈を生で聴き、経験を積ませてもらったと思い深い感謝を捧げたい。お二人のご冥福を心よりお祈りしたい。

 

(2019年12月24日記す)

 

2019年12月26日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記