ケンペのスメタナ「売られた花嫁(全曲)」を聴く

文:松本武巳さん

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LPジャケット スメタナ
売られた花嫁(全曲)(ドイツ語版)
マリー:ピラール・ローレンガー
ハンス:フリッツ・ヴンダーリヒ
ケツァル:ゴッドロープ・フリック
RIAS室内合唱団
ルドルフ・ケンペ指揮バンベルク交響楽団
録音:1962年5,6,10月(バンベルク、ベルリン)
EMI(イギリス盤 SLS777)(LP)
 

■ ドイツ語版の方が名盤が多い、スメタナの代表作オペラ

 

 スメタナの代表作であるオペラ「売られた花嫁」は、もともとドイツ語訳で上演されることも多く、ルドルフ・ケンペ指揮の他に、ハインリヒ・ホルライザー指揮、ヤロスラフ・クロンプホルツ指揮、カール・エルメンドルフ指揮のものなど、多くの優れたドイツ語全曲録音盤が残っている。また、1983年のウィーン国立歌劇場での上演(イヴァン・フィッシャー指揮)も、ドイツ語版での上演なのである。

 一方、チェコ語による原語上演で、それなりに有名な全曲録音盤をあれこれ思い浮かべてみるのだが、確かにいくつかの好演は思いつくものの、決定的名盤なるものには、残念ではあるが全くたどり着けないのである。このことが今回、このオペラ全曲盤を取り上げようと考えた、最初の経緯だったのである。

 

■ 国民楽派の代表作というより、むしろドイツ後期ロマン派の典型

 

 スメタナの代表作の一つであるオペラ「売られた花嫁」は、全編チェコ語で書かれたオペラとして、チェコ国民オペラを代表する作品であると一般には言われているのだが、その基本的な作曲技法は、終始後期ロマン派音楽の技法に則ったものであることは間違いないだろう。必ずしも、典型的な国民楽派の音楽とは言えないのである。

 このオペラの中には、ポルカ、フリアント、スコチナーといった、チェコの民族舞踊特有のリズムをもった曲が多く含まれているが、いずれも登場人物や村人たちの情景を描写するために、随所で効果的に用いられているのに過ぎないのである。非常に有名な序曲を始めとして、基本的に古典派のソナタ形式にオペラ全体が依拠して作曲されており、チェコ音楽固有の舞踏や民謡などの旋律との類似性は、オペラ自体からは明確には見いだせないのである。

 

■ そもそもドイツ語版の方が流れが良い一因

 

 この「売られた花嫁」が作曲されたのは、スメタナ39歳の時の1863年であった。スメタナは、当時のオーストリア・ハンガリー帝国に生まれ育った関係で、成人するまでチェコ語はほんのかたこと程度しか話せず、青年期にスウェーデンに渡って活動した後に、チェコに帰国してからようやく本格的に母国語を習得したのである。それまでのスメタナの半生は、実はドイツ語が母語だったのである。

 「売られた花嫁」を作曲していた当時に、ほぼ同時に意識的にチェコ語の習得も一気に進んだのであって、スメタナがチェコ語を中心として人々と会話し、発表する文章をチェコ語で書くに至った時期が、一般には1864年頃であると考えられているので、その意味でもこのオペラ「売られた花嫁」の作曲時は、まだまだスメタナにとって、ドイツ語をチェコ語に置き換えつつ作曲を進めていたようにも思われるのである。つまり、そもそもこのオペラはドイツ語で歌う方が、ある意味全体の流れが良く見通せるのである。この点において、スメタナ最晩年の畢生の大作、連作交響詩「わが祖国」とは、そもそも成立時の作曲家自身の事情が大きく異なっているのである。

 

■ ケンペの名録音について

 

 旧プラハ・ドイツ・フィルハーモニー管弦楽団として創立されたバンベルク交響楽団を、この全曲盤で用いて録音していること、これだけでもこの録音への期待が、事前から十分に込められているように思う。そんなケンペのオペラ「売られた花嫁」全曲盤は、1962年に録音され、作曲からちょうど100年後の1963年に発売された、まさに永遠の名盤であると言えるだろう。出演者はピラール・ローレンガー、フリッツ・ヴンダーリヒ、ゴットロープ・フリック、他といったとても豪華なメンバーによる録音でもある。

 マリー役のピラール・ローレンガーは、私にはショルティの指揮で歌ったモーツァルト「魔笛」のパミーナ役こそが、まさにローレンガーの当たり役だったと思われるのだ。この「売られた花嫁」でのマリー役も、ローレンガーの性格に見事に合致した役だったと言えるだろう。伸びのある美声を駆使して歌う第三幕でのアリアなどは、ローレンガーにとってまさに聴かせどころであったと言えるだろう。

 ケツァル役のゴッドリープ・フリックも、非常に上手い立ち回りを演じている。ワーグナーの「指環」のハーゲン役で知られるように、そもそも生来的に骨太の声を持っており、常に圧倒的な存在感を示しているのだが、ここではかつてケンペとモーツァルトのレクイエムで共演したときのような、決して変に音楽を崩すことのない素晴らしさが満喫できるのである。このことは、実はオペラの立ち回りでは、意外に難しいことであると思うのだが、この録音以前からのケンペとの多くの共演歴が、歌手の困難な部分を上手く回避している主因だとも言えるだろう。フリックとケンペは、とても相性が良かったのだと思われるのだ。

 ハンス役のヴンダーリヒは、いつもながらのうっとりするような美声を惜しげもなく聴かせてくれている。巧みな歌い回しもいつも通り完璧ではあるが、ケンペの細かいサポートがあってこその完璧さであるとも思えてくる。また、第二幕でのフリックとの長い掛け合いの部分などは、この名盤のなかでもまさに白眉と言える名場面であるだろう。第二幕だけ切り離して聴くのも一興である。文句のつけようがない。

 ケンペの指揮は、著名な歌手間のバランスを非常に巧くとって、常に間に割って入るように繊細かつ濃厚なサポートをしており、かつ音楽の進行がどっしりと重くなり過ぎないように配慮し、一方で音楽が決して軽薄にもならないように、まさに細部にまであれこれ気を配りつつ、全体を流れ良く進行させているように感じられ、その全体のバランス感覚は本当にものの見事であると言えるだろう。そして、ケンペのオペラ指揮者としての能力は、このオペラの終結部の壮大な盛り上がり部分の指揮で、誰の目にも否応なく証明されているのである。まさに、ブラボーと叫びたい心境である。

※参考文献
裄野條著「指揮者ケンペを聴く」アルファベータ社刊
(特に157ページから162ページまで) 

 

(2017年1月12日記す)

 

2017年1月12日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記