リストの秘曲「十字架への道行」の最新盤を聴く

文:松本武巳さん

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CDジャケット

リスト
十字架への道行S.53 (1878-1879)
(併録:ペルト「ソルフェッジョ、スンマ、ふたりの嘆願者、石膏の壷をもつ女性」)
カスパルス・プトニンシュ指揮エストニア・フィルハーモニー室内合唱団
カレ・ランダル(ピアノ)
録音:2019年1月14-18日、エストニア・タリン、聖ニコラス教会
Ondine(EU盤ODE1337)

 

■ 隠れファンが存在する秘曲

 

 キリスト教(カトリック)の信者であるかどうかと無関係に、実は隠れファンが一定数いるのではないかと思われるこの曲の最新録音盤を、今回はネタバレにならない程度に紹介したいと思う。近年ゴールデン・ウィークの風物詩ともなっている、東京国際フォーラムでの熱狂の日(ラ・フォル・ジュルネ)でも複数回取り上げられたことがある、リストの知られざる名曲であると信じている。しかも、伴奏のピアノ・パートは、リストとしては信じられないくらい簡単に書かれているために、アマチュアが取り上げることも十分に可能な曲であろう。よほどのキリスト教(カトリック)アレルギーでもない限り、一度聴いてみても損はないと信じている。

 

■ カトリックにおける十字架への道行について

 

 ゴルゴタの光景に思いを馳せながら、心から「悔い改めの祈り」を唱える。そこには死を間近にした十字架上のイエスと、神の子を見つめ、罪びとであるわたしたちを思い、人類のために祈る聖なるおとめマリアの姿がある。聖パウロは十字架上のイエスの偉大な説教師で、彼は手紙の中で次のように記している。「わたしはあなたがたの間で、イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリスト以外、何も知るまいと心に決めていたからです」。こんな聖パウロの思いが、わたしたちにも与えられますように祈りを捧げ、罪を悔やみ、聖なる生活を送る決意を起こさせてくださるように、悲しみのマリアの助けを願う宗教行事である。とくに四旬節中の金曜日に行うよう勧められていて、その起源は、古代・初代キリスト教の教父たちまでさかのぼり、中世をとおして高い人気を呼んでいた。

 以前は、巡礼者が直接エルサレムまで巡礼の旅に出かけ、キリストの苦しみと死に関連した場所を訪ねていた。しかし、多くの人がそのような巡礼に参加することはできなかったので、時が経過するにつれて、イエスの生涯の最後の出来事を象徴する絵を要望するようになっていった。多くの聖人が十字架の道行への信心を持ってはいたが、イタリア・ポートモリスの聖レオナルド(1676〜1751)が、フランシスコ会の司祭として十字架の道行について説教し、実に571カ所に十字架の道行を設置したと報告されている。その後、道行の各留のタイトルと数について一致した意見はなかったが、18世紀までに教皇庁によってその数が14留に決められた。

 1958年、フランス南部ピレネー山脈の麓にある、聖地ルルドの十字架の道行が整備された際に15留が設けられ、それ以後は15留を加えた十字架の道行も行なわれるようになり、教皇ヨハネ・パウロ2世を含む多くの典礼学者もこれを推奨した。その内容は、以下の通りである。

ピラトはイエスに死を宣告する
イエスは十字架を受け入れる
イエスは初めて倒れる
イエスは聖母マリアに会う
キレネのシモンは十字架を担うのを助ける
ヴェロニカはイエスの顔を拭く
イエスは再び倒れる
イエスはエルサレムの婦人たちと会う
イエスは三度倒れる
イエスは服を剥がされる
イエスは十字架に釘付けにされる
イエスは十字架上で死去される
イエスは十字架から降ろされる
イエスは墓に葬られる
イエスは復活する(追加)

 

聖地ルルドの「十字架への道行(抜粋)」01

聖地ルルドの「十字架への道行(抜粋)」02

聖地ルルドの「十字架への道行(抜粋)」03

聖地ルルドの「十字架への道行(抜粋)」04

聖地ルルドの「十字架への道行(抜粋)」05

聖地ルルドの「十字架への道行(抜粋)」06

聖地ルルドの「十字架への道行(抜粋)」07

(聖地ルルドの「十字架への道行(抜粋)」。2007年ルルドの聖母出現150周年で家族撮影)

 

■ リスト作曲の経緯

 

 若い頃は絢爛豪華なピアノ演奏で、多くの女性たちを失神させたことで知られるリストだが、晩年になって突然僧籍に入り、作品も宗教性を帯び内容も晦渋になっていった。これらの晩年の作品は、諦観の中に悦楽が入り混じった摩訶不思議さに溢れている。リストの「十字架への道行」は、晩年出家し宗教への関心が高まり、バチカンからローマに旅行した際に書かれたいくつかの宗教作品の中の一つである。グレゴリオ聖歌やパレストリーナからの影響に加えて、リスト独自の宗教観が融合された非常に内省的なリスト晩年の作品である。

 

■ リストの「十字架の道行」について

 

 リストの「十字架の道行」は、グレゴリオ聖歌、ラテン語祈祷文、コラールなどを適宜引用しており、非常に親しみやすい音楽であると言えるだろう。導入部と14の場面から構成されている。全体で40分弱程度の比較的短いオラトリオで、ソリスト、合唱とピアノ(またはオルガン)で演奏される。

 捕らえられたキリストが十字架を背負いゴルゴダの丘へ向かうとき、途中で起きた諸々の事象は14の留(Station)に記録されており、これを順に追うことでキリストの苦しみを追体験できるのである。このリストのオラトリオも、導入部「王の御旗」と14の場面で作られている。ピアノのパートは非常に易しく書かれており、超絶技巧を駆使したピアニスティックな音はまるで書かれていない。単旋律やほとんど無調の部分が大半であり、必要最小限の音によって描かれていく。しかしながら、恐ろしく美しい瞬間が何度も何度も迫って来て、聴き手は否応なしに禁断の快感を得てしまうのである。

 リストが常日頃尊敬していたJ.S.バッハからの引用も確認でき、特に第6留の「ヴェロニカはイエスの顔を拭く」では、マタイ受難曲の中心をなすコラールと同じ旋律を用いているくらいである。第11留の「イエスは服を剥がされる」や、第14留の「イエスは墓に葬られる」に於ける、快感以外の何物でもない恐るべき官能美には、誰もが息を飲むであろう。このオラトリオを聴くにあたって、決してここで紹介する新盤でなければならないわけではないのだが、このような禁断に近い官能美を体感するに相応しい、非常に美しいセッション録音(カトリック教会での録音)であり、一聴をお勧めしたい。

 

(2020年12月13日、体調不良の日に記す)

 

2020年12月13日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記