フリッツ・ヴンダーリヒ‐非業の死から早や50年を迎えて

文:松本武巳さん

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CDジャケット

EIN LIED GEHT UM DIE WELT(歌は世界をめぐる)

  • レオンカヴァッロ「マッティナータ」
  • カプア「オー・ソレ・ミオ」
  • ロッシーニ「踊り」
  • デ・クルティス「忘れな草」
  • ジョルダーニ「サンタ・ルチア」
  • J.S.バッハ=グノー「アヴェ・マリア」
  • マイ「歌は世界をめぐる」
  • 民謡「ティリトンバ」
  • デンツァ「フニクリ・フリクラ」
  • シュトルツ「我が心、汝をよぶ」
  • スポリアンスキー「今宵かぎりは」
  • シュトルツ「ブロンドでも茶色でも、女はみんな大好き」

フリッツ・ヴンダーリヒ(テノール)
ハンス・カルステ指揮 グラウンケ交響楽団
録音:1965年1月(ミュンヘン)
西ドイツPolydor(輸入盤249 085)

 

■ フリッツ・ヴンダーリヒ没後50周年

 

 今年は、世紀のテノール、フリッツ・ヴンダーリヒ没後50周年にあたる。1930年にドイツで生まれ、1966年にわずか35歳のときに、階段を踏み外して転落したために事故死したヴンダーリヒの歌声を、今なお単に懐かしむだけでなく、現役歌手のように聴き親しんでいるファンは、数多いと思われるが、私自身も彼の名を死後に知ることとなった世代であり、彼と同時代を共有したわけではない。彼の波乱万丈の人生の詳細を知りたい方や、そもそも彼の音楽に興味のある方は、現在フリッツ・ヴンダーリヒ協会が生地Kusel(クーゼル:ドイツ連邦共和国ラインラント=プファルツ州クーゼル郡にある市。同郡の郡庁所在地で、クーゼル連合自治体の行政庁所在地でもある)に存在しており、協会のホームページも開設されているので、そちらを訪問されるのが最も賢明であると思われる。(ドイツ語だけでなく、一部は英語に翻訳されている)

 

■ ヴンダーリヒのオペラ録音

 

 ヴンダーリヒの十八番は、やはりモーツァルトのオペラ「魔笛」のタミーノ役であろう。名盤としての誉れ高いベーム盤(1964年録音)で歌っており、このことをもって「ああ、あの声か」と瞬時に思い出す方も結構多いだろう。タミーノ役は、彼の公式デビュー曲でもあるのだ。ベームとは、ベルクの「ヴォツェック」でも共演している。ヴンダーリヒのレパートリーは、片やモンティヴェルディやグルックから、プフィッツナーやオルフまで、一方ではワーグナーやシュトラウスから、ヴェルディやプッチーニ、チャイコフスキーまでの恐ろしく膨大なものであり、わずか35年の生涯でありながら、夥しいオペラのディスクに参加しているのは、残された我々には救いであったし、今なおこれらの残された録音の大半が、第一線の優れた録音として現役で生き残っているのだ。まさに、オペラ歌手としてのヴンダーリヒは、前代未聞の活躍の真っ最中であったのである。

 

■ ヴンダーリヒの声楽曲や宗教曲録音

 

 一方で、クレンペラーの畢生の録音の一つといわれる、マーラーの「大地の歌」の録音や、カラヤンとのベートーヴェン「ミサ・ソレムニス」の録音なども決して忘れがたい。さらに、オペレッタの録音もカールマンやレハールやシュトラウスを数多く歌っており、さらに、宗教曲の録音も夥しく残され、「マタイ受難曲」を始めとするJ.S.バッハや、ヘンデルやハイドンの録音も多いし、ベートーヴェンの第9でも、例えばクレンペラーやベームと共演している。到底信じ難いような夥しい大量の録音と、恐るべきレパートリーの幅広さである。ヴンダーリヒが如何に優れた演奏家であったか、いちいち録音の中身を検証するまでもなく、誰もが理解できるであろう。

 

■ ヴンダーリヒのリート録音

 

 さて、本題に入ろうと思う。実は、私が初めて彼の演奏であると意識してレコードで聴いたのは、シューベルトの「美しき水車小屋の娘」であったのだ。次に聴いたのは、シューマンの「詩人の恋」であった。いずれも、ドイツグラモフォンに残した、ヴンダーリヒの早すぎる最晩年の録音であった。これらは、いずれも世評は極めて高いと今なお言えるだろう。そのことは事実でもあるし、否定するつもりも決してない。しかし、私自身のヴンダーリヒとの出会いが、リートのレコードであったのはやや不幸な出会いであったと言わざるを得ない。この世界には、当時同世代ながら若干年長でもあった、ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウの録音が、ヴンダーリヒにも増して夥しく既に存在していた時期であり、かつ両者は所属するレコード会社も同じであったために、二人の音域が違うことを加味したとしても、どうしてもヴンダーリヒの方がやや平凡に聴こえてしまったのは、やむを得なかったであろうと思うのだ。
 また、ヴンダーリヒは他の分野での恐るべき活躍ぶりから判断しても、リートの世界は全盛時とされる年齢が、一般にオペラやオペレッタよりも若干高めであると考えられていることもあって、どうしてもフィッシャー=ディースカウの後塵を拝することになったと思わざるを得ない。そして、残念ながらヴンダーリヒが円熟したリート演奏を聴かせる機会は、永遠に訪れることはなかったのである。そのため、私はヴンダーリヒを決して短いとは言い難い一定の期間、わずか35歳で早逝したがために有名な、準一流歌手であると誤解してしまったのである。

 

■ ヴンダーリヒのポピュラーミュージック

 

 そんなヴンダーリヒに対して、私が開眼したのが、実はこのポピュラーミュージックのレコードであったのだ。この種のレコード録音で、当時絶対的な評価を得ていたのは、一にディ・ステファノ、二にデル・モナコであったのではないだろうか?もちろん、これらイタリアの不世出のテノール歌手による、まさに朗々とかつ奔放に歌い上げたレコードは、確かに非常に優れたものである。
 しかし、ドイツ人歌手であるヴンダーリヒの歌ったポピュラーミュージックは、イタリアのテノール歌手とは異なる、曲自体の魅力を再考させるほどの歌い振りであり、斬新な一味違った曲の切り口でもあったのだ。少年時代の私は、まさにこのレコードを聴いて目を見張ったのである。思えば、ヴンダーリヒは幼少時の父親の自殺などもあって、生活がかなり苦しかった少年時代を過ごしたのだが、アルバイトでダンスホール等の伴奏者を務めたり、フレンチホルンやトランペットの演奏にも長けていたり、生活の苦労の中で培った生きるための多彩さと能力を、もとより持ち合わせていたのである。そのため、多種多様の聴き手に瞬時に合わせる能力を、ほとんど本能に近い形で子どものころから身に付けていたのであろう。それが、オペラでもオペレッタでも声楽曲でも宗教曲でもリートでもポップスでも、あらゆる分野で一流の演奏を披歴できたヴンダーリヒの芸術の本質なのであろうと思えてならないのである。
 その結果、それまではほぼイタリアのテノール歌手の専売特許であった分野で、イタリア人とは異なった切り口から、高いレベルで演奏を披露し得た初めてのドイツ人歌手であったのかも知れないとも思うのである。私は、今なおヴンダーリヒの声そのものを深く愛しているし、現在でも多くのディスクを聴くことが良くある。こんなきっかけを作ってくれたこのレコードを、没後50周年の年に、私はどうしても紹介したいと思うのだ。私が、ポピュラーミュージックを紹介する機会は、今後もたぶんそんなに多くないであろうと思われる。しかし、ヴンダーリヒについて書くとき、どうしてもこのレコードを外すことは、私にはとてもできないのである。もちろん、このレコード録音の個々の楽曲に対する評論などは、蛇足であると思われる。

 

■ さいごに

 

 実は、このディスクは現時点(2016年12月)で入手可能なのである。ドイツグラモフォンから今年の夏に出された、32枚組の大ボックスセット(ドイツグラモフォンへのスタジオ録音全集)の、最後の5枚はポピュラーミュージック(初出時の発売はドイツポリドール)であり、このディスクも2枚目(通算29枚目)に収録されているのだ。この5枚の中には、なんとヴンダーリヒのトランペット演奏まで聴くことができる、そんな貴重なディスクも含まれているのだ。確かに決して安価とは言い難いが、32枚組のギッシリと詰まった中身で1万円程度であり、1枚当たりはわずか300円程度でもあるので、年末はこの大ボックスを1枚ずつ聴くのもヴンダーリヒを回顧する意味でも、なかなか良いのではないだろうか。因みにディスク31のCDは、ヴンダーリヒとヘルマン・プライが共演したクリスマス音楽集でもあることを、ついでに書き添えておきたいと思う。死後半世紀を経過してもなお、彼の歌声は現役なのである。

 

(2016年12月6日記す)

 

2016年12月6日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記