ブラジルの名花ヤーラ・ベルネッテの残した録音を、ケンペ指揮の協奏曲を中心に聴く

文:松本武巳さん

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CDジャケット

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ニコライ・メトネル(1880-1951)
ピアノ協奏曲第2番作品50
ヤーラ・ベルネッテ(ピアノ)
ルドルフ・ケンペ指揮ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1971年3月23日
エヴェレット・ヘルム(1913-1999)
ピアノ協奏曲第2番
ヤーラ・ベルネッテ(ピアノ)
フェルディナント・ライトナー指揮バンベルク交響楽団
録音:1972年7月24日
Master Class(ブラジル盤 MC-020)


LPジャケット

セルゲイ・ラフマニノフ
10の前奏曲 作品23(全曲)
13の前奏曲 作品32(全曲)
ヤーラ・ベルネッテ(ピアノ)
録音: 1969年4月14-18日、ドイツ・ミュンヘン
DG(オーストラリア盤 EROQUENCE 482 603 1)


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アンコール(全19曲)
D.スカルラッティ
D.パラディエス
J.S.バッハ
メンデルスゾーン(2曲)
シューマン(2曲)
ブラームス
ショパン(6曲)
ドビュッシー
ラフマニノフ(3曲)
ヴィラ=ロボス
ヤーラ・ベルネッテ(ピアノ)
録音:1995年2月20-24日、ブラジル・サンパウロ
Sonopresse (フランス盤 GT-CD-04)

 

■ ヤーラ・ベルネッテについて

   ヤーラ・ベルネッテ・エプスタイン(1920年アメリカ・ボストン-2002年サンパウロ・ブラジル)。ピアニストおよび教育者。生後6ヶ月でブラジルに移住し、6歳のとき両親からピアノを与えられ、ブラジルの主要なピアノ教師である叔父のホセ・クリアスと一緒にレッスンを受け始めた。1931年、サンパウロ市立劇場での子ども向けコンサートに出演し、1938年には、市立交響楽団とショパンのピアノ協奏曲第1番を演奏しプロデビューを果たした。クラウディオ・アラウやアルトゥール・ルービンシュタインなどのピアニストの推薦を得て、1942年にニューヨークの市庁舎で国際デビューした。

 ヨーロッパでの最初の公演は、1955年にパリ音楽院管弦楽団とともにヴィラ=ロボスの指揮で行われた。1958年、ベルリンでカール・ベームが指揮したベルリン・フィルハーモニー・ガラウィーク・ブラームスフェスティバルに出演。1962年にテキサス州フォートワースで開催されたヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールに審査員として参加し、1965年には、ニューヨーク・フィルハーモニックとプロコフィエフのピアノ協奏曲第3番で共演。1969年には、ドイツ・グラモフォンにラフマニノフの前奏曲作品23と作品32全曲(23曲)の録音を収録し、LPは収録時間の関係でうち20曲がリリースされた。全曲のリリースは2017年のCD化時点が最初である。

 1972年、ドイツのハンブルク芸術音楽大学のピアノ科教授に、コンラッド・ハンセンの後任として就任し、約20年間にわたり務めた。この時代の弟子には、現在日本国内で活躍しているピアニストやピアノ指導者が多くみられるので、教育者としては実はかなり著名な教師であるのだが、残された録音が非常に少ないため、ピアニストとしての評価は残念ながら確立されることがなかったと言えるだろう。引退後はブラジルに帰国したが、帰国後の1995年に小品19曲を収録したソロアルバムを新たに録音した。
 

■ 2000年にブラジルで発売されたルドルフ・ケンペとの共演盤

 

 2000年、Grandes Pianistas Brasileirosというシリーズの中の1枚として、30年前のドイツ時代の放送録音で、ディスクとしてはかつて一度もリリースされたことのなかった、ドイツのオーケストラによる2つの協奏曲録音が復刻発売された。入手困難なシリーズではあったが、演奏内容が非常に優れたディスクであった。

 最初は、ロシアの作曲家ニコライ・メトネル(1880-1951)のピアノ協奏曲第2番で、ルドルフ・ケンペ指揮ミュンヘン・フィルハーモニーと1971年3月に共演した放送用録音で、非常に優れた演奏内容であり、かつ思いのほか優れた音質で収録されていた。メトネルのピアノ協奏曲第2番は、ロマン派の香りの漂うラフマニノフと同時期の作品であり、ピアノパートの演奏が非常に困難なことでも知られており、実際にこのピアノ協奏曲はラフマニノフに献呈されている。

 第1楽章はソナタ形式で、ピアノ独奏による鋭いリズムで開始される。第2主題は一転して非常に抒情的な音楽。再現部は管弦楽のみで第1主題が奏でられた後、大規模なカデンツァが第2主題の再現の役割を兼ねて現れる。第2楽章は抒情的な主題で開始され、中間部なると転調し、カンデツァを経てさらに転調を重ね、アジタートの激しい楽想となる。原調に戻り抒情的な主題を再現したのち、アタッカで第3楽章へ切れ目なく続く。第3楽章はロンド形式で祝祭的な感覚の強い舞踏音楽である。転調を繰り返しつつ、最後はハ長調で全体を締めくくっている。

 全曲で38分程度の演奏時間であるが、ベルネッテの教育者ならではの堅実な演奏を基礎としつつ、ロマンの香りのする場面では想像以上にロマン的な演奏に転じ、きわめて高難度の楽曲でありながら、全体の推進力をほぼ維持しつつ、技巧上の破綻を見せる箇所もほとんどなく、一方でケンペの棒の付け方も、恐ろしいほどソリストに寄り添う形で、万全にガッチリと支えており、演奏全体のレベルの高さ、加えてソリストと指揮者の理想的な協奏ぶりに、演奏から40年以上経過して初めて聴いた私は、まさに驚き以外の何物でもなかったのである。

 この協奏曲は、ようやく2004年になって、マルク・アンドレ・アムランがオッコ・カム指揮東京フィルハーモニー交響楽団と共演して、日本初演された。当日は、確かサントリーホールで指を銜えつつ呆然と演奏を眺めていたことを記憶している。これはこれですごい演奏だったし、まさに超絶技巧の元祖アムランならではの演奏であったように覚えている。が、しかし、このアムランの演奏より30年以上前に残されていた、ベルネッテとケンペの共演盤は、その演奏の堅実さと、ロマン的要素の充満した演奏内容において、凡そ信じられない思いが今なお消えないのだ。

 カップリングされた協奏曲は、アメリカの現代作曲家エヴェレット・ヘルム(1913-1999)のピアノ協奏曲第2番で、こちらはフェルディナント・ライトナー指揮バンベルク交響楽団との共演であった。演奏当時は作曲者が存命であっただけでなく、実はドイツ国内で音楽評論家として活躍していた時代でもあり、そんなヘルムの現代作品を、強い信念と安定した推進力を見せながら演奏していると言えるだろう。現代音楽を、最後まで堅実に演奏することで、聴衆にしっかりと聴かせることに徹した、そんな手堅い演奏だと言えるだろう。

 

■ 1969年録音のラフマニノフの前奏曲集について

 

 ドイツ・グラモフォンによるミュンヘンでの録音で、録音時期の近かったワイセンベルクによる全曲盤と当時は良く比較対象にされた経緯を持つ、そんなディスクである。LPでは、たぶん1枚に収めるために3曲をカットし、20曲収録という中途半端なセールスであったため、ついに購入することがなかったが、2017年になってようやくオーストラリアのEROQUENCEシリーズで全曲CD化されたので、半世紀経過してようやく耳にすることが叶った。しっかりした演奏であり、演奏の教科書としては誰よりも適しているように感じるが、ラフマニノフ特有のロマンの香りはやや弱いようにも感じる。

 

■ 1995年に録音した、アンコールと題した小品集について

 

 何でもないような小品ばかりを、時代順に集めたように見受けるディスクである。しかし、キラリと光っていて忘れがたい佳演も多くあり、入手困難ではあるが機会があればぜひ聴いてほしい小品集である。特に、メンデルスゾーンのロンド・カプリツィオーソ作品14、ショパンのマズルカ(作品7-3,17-4,24-4)、バッハ=ケンプのシチリアーノ、シューマンの予言の鳥、ブラームスの間奏曲作品117-2などは味わい深く、ディスクの最後は、直接教えを受けたことのあるヴィラ=ロボスの小品で締めくくっている。

 

(2020年10月6日記す)

 

2020年10月8日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記