ベートーヴェン《ピアノ、ヴァイオリンとチェロのための三重協奏曲ハ長調Op.56》聴き比べ
文:松本 武巳さん
■ はじめに
今回は、いつもとは趣向の違った、気軽に読めるエッセイとして、ぜひご覧ください。ただし、執筆の動機が『ゆきのじょうさんに触発されて』であることだけは、事前にお断りしておこうと思います。
■ 第1群(カラヤン指揮の2枚)
ディスク1−1(なぜジャケット写真にまで編集が…)
国内盤CD
スヴャトスラフ・リヒテル(ピアノ)
ダヴィッド・オイストラフ(ヴァイオリン)
ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ(チェロ)
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリンフィルハーモニー管弦楽団
録音:1969年
EMIミュージック・ジャパン(TOCE13077)
輸入盤LPより→ ディスク1−2(好々爺カラヤン…教育への目覚め)
マーク・ゼルツァー(ピアノ)
アンネ=ゾフィー・ムター(ヴァイオリン)
ヨーヨー・マ(チェロ)
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリンフィルハーモニー管弦楽団
録音:1979年
DG(輸入盤415276-2)■ 第2群(似た志向を持つソリスト、またはトリオによる演奏)
ディスク2−1(墺太利連合)
ウィーン・ベートーヴェン・トリオ
クリスティアーネ・カライェーヴァ(ピアノ)
マルクス・ヴォルフ(ヴァイオリン)
ハワード・ペニー(チェロ)
フィリップ・アントルモン指揮ウィーン室内管弦楽団
録音:1991年12月、ウィーン
カメラータ(CMCD20077)ディスク2−2(洪牙利三重帝国!?)
ゲザ・アンダ(ピアノ)
ヴォルフガング・シュナイダーハン(ヴァイオリン)
ヤーノシュ・シュタルケル(チェロ)
フェレンツ・フリッチャイ指揮ベルリン放送交響楽団
録音:1960年
DG(輸入盤477534-2)ディスク2−3(チェコ室内楽派)
ヤン・パネンカ(ピアノ)
ヨゼフ・スーク(ヴァイオリン)
ヨーゼフ・フッフロ(チェロ)
ヴァーツラフ・スメターチェク指揮プラハ交響楽団
録音:1974年
スプラフォン(COCQ83869)ディスク2−4(仏蘭西行進曲)
クリスチャン・フェラス(ヴァイオリン)
ポール・トルトゥリエ(チェロ)
エリック・ハイドシェック(ピアノ)
シャルル・ブリュック指揮フランス国立放送管弦楽団
録音:1970年3月11日(ライヴ)
DOREMI(輸入盤DHR7716)ディスク2−5(韓国三兄弟)
チョン・トリオ
フィルハーモニア管弦楽団
録音:1997年頃
DG(輸入盤453488-2)■ 第3群(多国籍軍)
ディスク3−1(仲間内だからと言って必ずしも上手くは行かない…)
マルタ・アルゲリッチ(ピアノ)
ルノー・カプソン(ヴァイオリン)
ミッシャ・マイスキー(チェロ)
アレクサンダー・ラビノヴィチ=バラコフスキー指揮スイス・イタリア語放送管弦楽団
録音:2003年(ライヴ)
EMI(輸入盤5577732)ディスク3−2(大家が結集してもやっぱり上手く行かない…)
クラウディオ・アラウ(ピアノ)
ヘンリク・シェリング(ヴァイオリン)
ヤーノシュ・シュタルケル(チェロ)
エリアフ・インバル指揮ニュー・フィルハーモニア管弦楽団
録音:1970年
Philips(輸入盤442580-2)ディスク3−3(一見寄せ集めだが…)
イェフィム・ブロンフマン(ピアノ)
ギル・シャハム(ヴァイオリン)
トルルス・モルク(チェロ)
デイヴィッド・ジンマン指揮チューリヒ・トーンハレ管弦楽団
録音:2004年頃
Arte Nova(輸入盤82876640152)ディスク3−4(大穴の1枚…これぞ曲の本質か…)
バリー・ダグラス(ピアノ、指揮)
チー・ユン(ヴァイオリン)
アンドレス・ディアス(チェロ)
カメラータ・アイルランド
録音:2007年5月8&9日、ロンドン
Satirino classic (輸入盤STRN073)1−1:カラヤンの悲劇
私は、カラヤンの有名なEMI録音をかなり後になってから聴きました。その理由は、上記ジャケット写真への不信感に他なりません。なぜ、わざわざ国内盤(LP時代からそうでした)はピアノの上にある赤いポーチのようなものを、わざわざ消さなければならないのか…この理由だけで、発売から14年もたって、それもカラヤンのDG盤を聴いた翌年になって、ようやく初めて聴いたのです。それもDG盤が気に入ったから、EMI盤もついでに聴こうと考えただけなのです。そしてこのディスクへの感想は、トリプルコンチェルトの本質(だと個人的に信じている本質)からは最も遠いところにある演奏だと言うことです。しかし、このディスクこそが、私が『人間カラヤン』に興味を抱くようになったきっかけとなったのですから、何が幸いするか分かりませんね。
1−2:人間カラヤン
カラヤンだけではなく、人間は最後には、人を育てることに熱中するのだな、と実感させてくれるディスクです。ムターのデビュー盤からは、そこまでの思いは感じ取れませんでした。そして、実は私の現時点の心情を告白しますと、カラヤンの残した音源には依然として好き嫌いの両方がありますが、人間カラヤンに対しては、日々興味が募るばかりです。カラヤンが帝王と呼ばれるようになってから以後の、彼自身の生き様に強く惹かれるこの頃です。カラヤンは歳とともに、人間そのものまで変化していったように思えますが、それが本質的な変化であったのか、周囲の盛り上がりに対して、自身を意図的に変容させる(ように見せる)ことで、乗り切っていったのか…永遠に謎ではありますが、最晩年の録音から推察すると、私は、彼自身が周囲の変化に相応して生き抜くための表面的改造であり、本質的な彼固有の人格は、終生変わることが無かったように思えてなりません。
2−1:ウィーンのトリオ
ベートーヴェンのこの協奏曲が、本質的には室内楽に管弦楽の伴奏を付けたものであることを、実感させてくれるディスクとして、最右翼のディスクだと思います。ただ、ここまでアンサンブルを合わせて、角を丸くした演奏ですと、ホールで聴く分には良いのですが、自宅でスピーカーに向かって聴いていると、やや欲求不満に駆られるのも事実ですね。演奏って難しいものだと痛感します。
2−2:ハンガリー・セカセカトリオ・プラスワン
演奏者がみな、せっかちなハンガリー人ばかりの演奏です。当然ですが、演奏もせかせかと進んでいると思われるでしょうね。ところが、どっこい、けっこう聴かせどころを上手く聴かせています。かなりお薦めのディスクとなっています。仲間内の演奏が功を奏した、最たる成功例ではないでしょうか? 録音は若干古さを感じますが、そんなに重厚な管弦楽を伴う楽曲ではありませんので、致命的なマイナスとはならないと思います。フリッチャイの指揮も立派ですが、それよりもゲザ・アンダのピアニストとしての実力の高さを実感できるディスクだと言えるでしょう。
2−3:今度はチェコ人です
こちらは、弦の国と歌われた当時の、スークトリオを中心にプラハのメンバーで固めています。演奏は申し分ありませんが、実は2−1のウィーンのトリオと似た状況を呈しております。たいへん残念ですが、感動をもたらすには何かが不足した演奏であると言わざるを得ないのです。本当に演奏って難しいものだと思います。ただし、仮にBGMとして聴くとすれば、このディスクが最右翼かも知れません。
2−4:フランス人が集まると…
中欧・東欧とは違い、フランス人は各演奏家の個性が強いせいでしょうか、室内楽的な印象は希薄ですし、演奏自体の纏まりも残念ながら若干希薄です。にもかかわらずここに取り上げたのは、当時、日本でも話題を呼んでいたソリスト3名による演奏であるからなのと、その中で、実はヴァイオリンのフェラスはカラヤンと当時多くの録音を残しておりまして、このディスクでの演奏を聴く限りでは、カラヤンとフェラスの共演が、この曲でこそ実現していればと悔やまれてなりません。フェラスの適性は、むしろこのような室内楽的協奏曲にあったように思えるからです。それから、後年アクの強さで売ることになるハイドシェックが、少なくともこのディスクでは、ソリストと指揮者のまとめ役として、しっかりと責務を果たしていることを、付け加えておきたいと思います。
2−5:韓国三兄弟
チョン・トリオの演奏は、兄弟・肉親でしかなし得ない演奏です。ところが、彼らは全員が非常に著名なソロ活動も行うだけの実力を、個々人でも擁しており、その意味で稀有な録音となっています。そのために、絶対に真似のできない演奏である反面、真似をしても仕方がない演奏でもあるのです。上記の理由で、極めて著名な3名による演奏でありながら、このディスクの位置づけとしてはマイナーにならざるを得ません。まことに不思議なディスクだと言えるでしょう。
3−1:仲間が集まっても悲惨な場合もあり得ます
これは、極端に言うと、崩壊しています。演奏しているメンバーはさぞや楽しいだろうな…と感じますが、聴いている方はたまったものではありません。それぞれが銘々に好き勝手に、楽しんでいるだけに終始しているとまで言うと、言い過ぎでしょうか? しかし、演奏者の実力から判断すると、このくらい言っても罪では無いと思ってしまいます。とても楽しみに購入し、期待しつつトレイに載せた後の、裏切られた気持ちを慮って頂けますとたいへん幸甚です。
3−2:大家にもいろいろなタイプがあるのです
このディスクには、聴く前からきっと「ハズレ」だろうな、と思えてしまう何かが潜んでいるように思えてなりません。たぶん、重量級の選手と軽量級の選手がごっちゃマゼになっているからなのだと思います。もちろん、3−1のディスクとは違って、きちんと録音セッションが組まれているために、ソリストはお互いにきちんと音を聞きあって、合わせようと努力していることは良く分かります。しかし、いかんせん、各個人の資質が違うところにあり過ぎるように思えてなりません。またしても、演奏って本当に難しいものだと痛感しました。
3−3:すでに評判を呼んでいるお薦め盤
ブロンフマンとシャハムの個性はかなり異なったものだと思うのですが、指揮のジンマンも含めた4者が見事なアンサンブルを繰り広げております。一方ではベートーヴェンの重厚さをきちんと表出し、他方では室内楽的なアンサンブルの妙もきちんと聴かせてくれるディスクなのです。現状では話題を呼ぶのも当然ですし、入手しやすさも含めると一押しのディスクであるのも当然でしょう。かつ、このディスクはバジェット盤で、加えてごく最近の録音です。三拍子揃った名盤とは、このことなり…なんて推薦文を良く見かける典型例だと思います。
3−4:私の個人的お薦めはこのディスクです
バリー・ダグラスはチャイコフスキーコンクールの覇者でイギリス人ですが、近年はほとんどメジャーな活躍をしていないのでは無いでしょうか。チー・ユンは知る人ぞ知る演奏家です。この盤をなぜ評価するのかと言いますと、出るべきところはきちんと出ていて、引っ込むべきところはきちんと引っ込んでいる、そんな演奏だと思えるからです。しかし、アイルランドで制作されたCDが入手できるのか? と聞かれると、かなり辛いものがありますが、このディスクがトリプル・コンツェルトのもっとも優れたディスクであると、少なくとも今日現在は信じておりますので、この盤を最後に、この駄文を閉じようと思います。
■ 追記
個人的なお薦め盤は、3−3と3−4ですが、3−3のギル・シャハムと3−4のチー・ユンは、ともに非常に個性的な演奏を繰り広げており、それぞれ強く惹かれます。ふと思ったことですが、この2人のヴァイオリニストはともに、同じ日本人ピアニストを伴奏者に指名することが多いように思います。私がそのピアニストと、たまたま知己があるために、この2枚のディスクを好んでいるだけに過ぎないのかも知れないと、そんな風に一旦は恐れました。しかし、そもそも、音楽は、個人の好みで聴くしかないのです。したがって、個人的な思いのままディスクを推薦し、この駄文を閉じることにしました。
(2008年4月20日記す)
2008年4月20日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記