「わが生活と音楽より」
MQAを二つの演奏で聴く文:ゆきのじょうさん
■ MQA(Master Quality Authenticated)との出逢い
私がMQAを知ったのはつい最近のことです。オーディオに造詣が深く、数々のご指南をいただいているM氏が、9月14日に
「(コルトレーンが)好きでCD、LP、ハイレゾで数百回聴いている音源ですが、仰向けにソファーに寝て聴いたのですが、何事が起こったのか?ビックリして起き上がって座って聴きました。生まれて初めての経験です。」
という投稿を目にしました。
あまりにも熱い投稿でしたので、思わずMQA音源対応のCDプレイヤー(補記参照)を購入。M氏はコルトレーンのディスクでしたが、私は数百回ではないにしてもそれなりに繰り返して聴いているビル・エヴァンスのワルツ・フォー・デビイ(ユニバーサル/Riverside UCCO-46012)を買い求め、架蔵しているCD(以下、MQA非対応)と聴き比べてみました。
まず「えっ!?」と思ったのは後述する静寂さでも、音色でも、定位でもありません。聴衆の拍手でした。MQA非対応では、パチパチが火打ち石のような、フライパンで油が爆ぜるような「切れ味」があります。一方でMQAでは人間の手の平が叩いている自然な音です。MQA非対応と全集版は楽器の音色がします。それはそれで美しいのですが、MQAでは、ピアノやベースが木の箱として鳴っているのがわかります。ベースとドラムの前後関係も立体的に聴こえてきます。会場のヴィレッジ・ヴァンガードはかつて一度行ったことがあります。思いのほか天井が低く、もともとジャズクラブでもなかったところなのでアコースティックが良い空間ではありません。MQAですと、この天井の低さがより感じられると思いました。
これ以上、書き連ねますと「クラシックCD試聴記」である本サイトの趣旨と離れてしまいますので、これくらいに留めます。
■ そもそもMQAとは何なのでしょうか?
私もよくわかりませんので(笑)以下の記事
MQA-CD特集 第4弾 〜 MQA-CDの凄さ! 対応機が続々登場!
をざっくりと要約しました。「MQAは英国のメリディアン社が開発した新しいオーディオコーデックで、ハイレゾ音源をCD並のサイズに圧縮し、音質を高めます。従来の音質向上は容量拡大によるものでしたが、MQAは音の時間軸解像度に注目し、デジタル音源の不自然さを改善しました。MQA-CDは通常のCDプレーヤーで再生可能で、専用デコーダーを使うとハイレゾ音質を再現します。信号処理を改良した点が従来の高音質CDと異なります。」
まぁ、乱暴に言ってしまえば縦軸(音)ではなく横軸(時間)の解像度を上げたということなのだと、まずは理解しました。
上述の拍手で考えれば、拍手の音の立ち上がりと減衰が通常のデジタル録音では不自然に切られているため、それを経験から補完しようとすると「火打ち石」になってしまうと解されます。
演奏中に訪れる無音状態がより静寂に聴こえるのも、時間軸解像度が高いことで、前後の音楽とのつながりが自然となるからでしょう。従来の録音では不自然に断ち切られていることから、補完しようとして静寂にならないと考えられます。デジタル録音が出始めたときに感じた「奏者と奏者の間にすきま風がある」という印象も、時間軸解像度で説明できるのかもしれないと思うのですが、根拠はないのでこれくらいにしておきます。
■ リュートの楽園
ということでMQAがすっかり気に入ったのですが、残念なことにクラシック音楽ではMQAがそんなに多くはありません。あっても何となく食指が動かないタイトルが多いなかで、これは!と思ったディスクがこちらです。
リュートの楽園
高本一郎 リュート
録音:2019年3月18、19日 T-TOC STUDIO
ティートックレコーズ TTOC-0039
192KHz/32bit ハイレゾ録音
高音質スタジオマスターからダイレクトカッティング
リュートという撥弦楽器の独奏というのは、MQAの魅力を十二分に発揮するだろうという予想は見事に当たりました。通常のCDプレーヤーでも、とても美しく鳴るのですが、MQA対応CDプレーヤーですと弦を爪弾く瞬間から、弦が振動し楽器全体が共鳴していく様子が、とても美しく迫ってきます。通常再生ですとややもすると、立ち上がりが急で鋭くなるところが、目の前でリュートが鳴っているのが分かります。まとわりつくような間接音がない録音もとてもすばらしいです。
もちろん演奏もすばらしく、高弦の柔らかさ、低弦の深み、申し分の無いものです。淡々と弾いているようで、かなり高度なテクニックが駆使されているのに、それを微塵も感じさせません。
しかしながら残念なことに、このCDはamazonでは在庫切れになっており、事実上廃盤状態です。もっと知られて良いディスクだと思います。
それにしても他にクラシック音楽のMQA対応盤はないのだろうかと探していたら、見つけました。カラヤン/ベルリン・フィルです。■ カラヤン/ベルリン・フィル ベートーヴェン交響曲全集
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン:
交響曲第1番ハ長調作品21
交響曲第2番ニ長調作品36
ユニバーサル UCCG-41029
交響曲第4番変ロ長調作品60
交響曲第3番変ホ長調作品55《英雄》
ユニバーサル UCCG-41030
交響曲第5番ハ短調作品67《運命》
交響曲第7番イ長調作品92
ユニバーサル UCCG-41031
交響曲第8番ヘ長調作品93
交響曲第6番ヘ長調作品68
ユニバーサル UCCG-41032
交響曲第9番ニ短調作品125《合唱付き》
グンドゥラ・ヤノヴィッツ ソプラノ
ヒルデ・レッセル=マイダン アルト
ヴァルデマール・クメント テノール
ヴァルター・ベリー バス
ウィーン楽友協会合唱団
ユニバーサル UCCG-41033
ヘルベルト・フォン・カラヤン 指揮
ベルリン・フィルハーモニー
録音:1961-1962年、ベルリン、イエス・キリスト教会
言わずと知れた、カラヤン/ベルリン・フィル1回目のベートーヴェン交響曲全集です。演奏についてはもちろん何もつけ加えることはありません。今まで聴いてきた既存のディスクでの印象は1970年代や1980年代の再録音に比べますと、音がややささくれだっていてくすんだ音色のように感じていたのですが、MQAでは一つ一つの音の立ち上がりに艶と柔らかさが加わり、全体の響きも透明感が得られています。無音に入るときのイエス・キリスト教会のホールトーンもとても自然です。管楽器の倍音が綺麗に鳴りきっていて、1960年代においてここまで美しい演奏だったのかという再発見がありました。何より音量を上げてもまったく聴き疲れすることがありません。第9番第4楽章の声楽もとても美しいです。かの「vor Gott」の残響が消えて Alla Marcia が始まるまでの一瞬の静寂は、MQAで初めて堪能できたと言えます。
カラヤンがMQAを聴いたらどう思ったのかはもちろん分かりませんが、カラヤンが求めていた音楽の方向性に合っているように感じました。
しかしながら、2020年11月に発売されたこのMQA対応バージョンも、現在廃盤になっていて入手困難です。他のカラヤンの録音も含めてMQAで聴いてみたいと願わずにいられません。
■ MQAについての管見
さて、このようにすばらしい音質であるMQAですが、2014年に初めて発表され2016年頃から実際に音楽配信やダウンロードに使用され始めました。特に、ストリーミングサービスTidalが2017年にMQA音源をサポートしたことで、広く普及し始めました。
このMQAに対して、以下の批判が出ています。
MQAは「限りなくロスレス」とされていますが、実際には音声情報が失われており、FLAC(Free Lossless Audio Codec)など完全なロスレスフォーマットより音質が劣るとされています。また、特許技術に依存し、専用のハードウェアやデコーダーが必要なためコストが高く、オープンなフォーマットより柔軟性に欠けています(FLACはオープンソース)。さらに、時間軸解像度の向上による音質改善も限定的と指摘されており、その効果や利便性に議論があります。
2024年現在、MQAは高解像度オーディオ市場で課題に直面しています。TidalがFLACへ移行したことで、ストリーミングでのMQAの存在感は低下しました。さらに、MQA Ltd.が財政難に陥り2023年4月に経営破綻、カナダのレンブルック(Lenbrook)が9月19日に買収を発表しました。現在もソニーやJBLなど130社以上が対応機器を製造していますが、今後のサポートは不明確です。総じて、ハードウェアとライセンス契約で一定の影響はあるものの、競争と財政的圧力により将来は不確実とされています。
※以上、参照サイトは
MQA has gone into administration: what does this mean for Tidal and supported products? | What Hi-Fi?
At last! Lenbrook Group unveils its plans for the future of MQA lossless streaming | What Hi-Fi?さて、私は別の視点からMQAの将来を憂えています。
MQAの時間解像度という企ては、部屋でスピーカーを鳴らして聴くからこそ、体感できるのではないかと私は思います。手持ちのSONY、BOSEのヘッドホン、イヤホンで聴いてみますと、個人的には魅力が半減すると思いました。良かったのはSTAX SRM-300で聴いたときだけでした。
MQAは空間で空気を震わせて聴かないと味わいが薄れるというのが私の感想です。MQAはストリーミングサービスから始まったのは時流に則したものですが、この場合聴き手はヘッドホン、イヤホンで聴くでしょう。一部のオーディオファンや専門家からは、MQAが実際の音質に与える効果が限定的であると指摘されているくらいですから、私のような一般人が耳元で聴くような聴習慣で、MQA対応にする必然性は低いでしょう。
またオーディオシステムを充実させても、私のように二重サッシでも電車の音が聞こえてくるような環境では、MQAの静寂さを味わうのは限界があります。となれば、MQAの真価を味わえる購買層は限られますから、MQAはそんなには「売れない」でしょう。クラシック音楽でのMQA対応はよく調べると多く見つかるのですが、すぐに分かるようにはなっていません。SACDのような「売り文句」になれない現実を表している証左だと思います。
ということで、長々書き散らしながら最後はなんだか悲観的な物言いとなり、チャイコフスキー/「悲愴」のような終わり方になってしまいました。MQAはあだ花に終わってしまうかもしれませんが、従来にはない聴体験をもたらしてくれる素敵なフォーマットだというのは間違いがありません。これからも楽しんでいきたいです。
■ 補記
MQAを聴いてみたいが、今さら新しいCDプレーヤーを買うのはためらわれる場合、以下がお薦めです。
S.M.S.L PL200 ¥100,000 税込
中国製でCDはトレイやスロットインではなく、トップローディングです。スイッチがおもちゃのようなタッチですがリモコン操作が可能です。コストパフォーマンスは良いと思いました。使用環境や、CDによっては冒頭が音飛びすることがあります。USBかBluetooth で受けてDACとしても使用できます。
2024年12月29日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記