「わが生活と音楽より」
2人のアメリカ人作曲家を聴く文:ゆきのじょうさん
ドイツ音楽とか、フランス音楽、イギリス音楽という言い方は目にしますが、「アメリカ音楽」というとイメージが湧きにくいのは事実です。その理由は、アメリカがヨーロッパ諸国と違って、1776年建国という比較的若い国であることと先住民以外に多くの移民で構成されているという点で文化とか伝統というものが確立していないのが原因ではないかと勝手に考えています。
それでも、ちょっと聴くだけで、理屈抜きで「おお、これはアメリカだなぁ」と感じてしまう音楽もあります。私がそんな感想をもった2人のアメリカ人(という言い方は本稿では便宜的に用います)作曲家を今回は考えてみます。
■ アンダーソン
まず一人目はマサチューセッツ州生まれのルロイ・アンダーソン(1908-1975)です。カラヤンと同い年ゆえ2008年は生誕100周年ということで、Naxosレーベルで全作品録音シリーズが企画されましたが、ここではアンダーソンの音楽の育ての親とも言えるフィードラーのディスクを聴いてみました。
ルロイ・アンダーソン:
トランペット吹きの休日
フィドル・ファドル
ブルー・タンゴ
そり滑り
ワルツィング・キャット
ジャズ・ピチカート
ジャズ・レガート
サラバンド
シンコペーティッド・クロック
クラシックのジューク・ボックス
プリンク、プレンク、プランク
舞踏会の美女: :
セレナータ
チキン・リール
タイプライター
トランペット吹きの子守歌: :
アイルランド組曲
・アイルランドの洗濯女
・ミンストレル・ボーイ0
・別れたあの娘
・緑が野に
・庭の千草
・マローの道楽者アーサー・フィードラー指揮ボストン・ポップス・オーケストラ
録音:1958-1966年、ボストン・シンフォニー・ホール
BMGファンハウス(国内盤 BVCC-35042)これこそまさに「アメリカだなぁ」と言いたくなるような曲と演奏です。幼稚園や小学校の運動会、あるいは校内放送で聴いたあの曲やこの曲、ほぼ有名どころは全て収録されています。演奏も、ただひたすら「乗り」だけで演奏しています。ボストン響のメンバーですからアンサンブルや個々の奏者のテクニックはもちろん一流なのですけど、それを凌駕する「乗り」で演奏しているのです。このため、冒頭の「トランペット吹きの休日」は次第にオケのテンポが前のめりになるのでトランペットがついていけなくなって崩れかかっていますし、「プリンク、プレンク、プランク」も勢いが優ってアンサンブルは乱れているのですが、それも適度なスパイスとして楽しめてしまうのがこのディスクの素晴らしいところです。最後はライブ録音で「アイルランド組曲」ですが、観客の興奮が最初から伝わってきます。最後は演奏が終わらないうちの万雷の拍手が入ります。このディスク全体への賞賛とも受け取れる見事なプログラムでした。
実は私は一時期、アンダーソンの音楽、フィードラーのディスクを避けていました。ベートーヴェンやブラームスから始まり、マーラーやブルックナーに熱中していた頃です。そんな「重たい」音楽から比べればアンダーソンの曲はいかにも軽量です。しかも、冒頭に書いたように出会いは幼稚園や小学校でした。このような曲は子供だましで、楽しんで聴くことは恥ずかしいことだと何となく位置づけていたのです。最近になるとさすがに毛嫌いすることはなくなっていましたが、何となく敬遠はしていました。
2008年になって子供を初めてコンサートに連れて行ったときのことです。それは、2008年7月26日のWHAT'S NEW?で伊東さんが書かれたような、子供向けの演奏会です。パンフレットやチケットにも「子供向けのコンサートなので幼児が多いため、いつもの演奏会とは違うことをご理解ください」というような主旨の注意書きが書いてあります。つまりじっくり聴けるような環境ではないわけです。私はほとんど期待もせず、半ばしぶしぶ足を運んだわけです。プログラム2曲目が「トランペット吹きの休日」でした。会場の子供は楽しそうに踊ったり、手を振ったり、笑ったりしています。運動会など経験したことはない我が子でも楽しそうでした。そんな光景をみて、自分自身も楽しむことができ、ああ、アンダーソンの曲の魅力はこれなのだな、と思い至りました。
■ ジョプリン
アメリカ人作曲家二人目の、スコット・ジョプリン(1867または1868-1917)はテキサス州の生まれの黒人作曲家です。現在においては、ジョプリンはラグタイムというジャンルにおいて多数のピアノ曲を書いたことで有名です。ラグタイムという音楽はシンコペーションを特徴とした独特のリズム感のあるもので当時は大変流行したそうです。しかしジョプリンの死後、その音楽はほとんど忘れ去られていました。
ジョプリン再発見の功績は、二枚のディスクによるものです。まず一枚目はバッハの研究家でもあるリフキンが、ピアノ演奏したディスクです。
スコット・ジョプリン:
メイプル・リーフ・ラグ
ジ・エンターテイナー
ラグタイム・ダンス
グラジオラス・ラグ
フィグ・リーフ・ラグ
スコット・ジョプリンのニュー・ラグ
ユーフォニック・サウンズ
エリート・シンコペーションズ
ベセーナ
パラゴン・ラグ
ソラス
パイナップル・ラグ
しだれ柳
カスケーズ
カントリー・クラブ
ストップタイム・ラグ
マグネティック・ラグジョシュア・リフキン ピアノ
録音:1970年9月、1972年1月、1974年9月、ニューヨーク、ラトガース長老派教会
ワーナーミュージックジャパン(国内盤 WPCS21083)演奏は、ジョプリンの書いた音楽をできるだけストレートに伝えようとしたものと感じました。ちょっと鄙びた、ほの暗い音色がピアノそのもののためか、録音のせいなのか分かりませんが、半世紀以上も前の音楽がその時の空気とともに蘇ったような印象を持ちます。ジョプリンの音楽が、酒場に流れるBGMでもなくジャズのような即興性を重んじる音楽でもない、ヨーロッパで成熟してきた(いわゆる)クラシック音楽の系譜に位置づけられることが、よく伝わってきます。
もう一つのジョプリン再発見の契機となった出来事は、ジョプリンの生前にオーケストラ(と言ってもビックバンドくらいの小さな編成)編曲版として作られた楽譜が、1970年代初めに発見されたことです。
これは1972年5月のニューイングランド音楽院音楽祭で蘇演され話題となり、さらに翌1973年2月スミソニアン協会での再演で一層注目されるところとなりました。その時に録音されたのがこのディスクです。
スコット・ジョプリン:
THE RED BACK BOOKカスケーズ
サンフラワー・スロー・ドラッグ
菊
ラグタイム・ダンス
シュガー・ケイン
イージー・ウィナー
ジ・エンターテイナー
メイプル・リーフ・ラグガンサー・シュラー指揮ニューイングランド音楽院ラグタイム・アンサンブル
録音:1973年2月12、13日、ボストン、ニューイングランド音楽院ジョーダン・ホール
米Angel/EMI(輸入盤 CDC747193)リフキンのディスクと重複している曲がいくつかありますが、聴いた印象は少々異なります。リフキンのピアノではほの暗さがありましたが、編成のためかTHE RED BACK BOOKでは浮き立つような躍動感が優っていると感じます。演奏者も自分の名技を誇示するというよりは、自分たちが出会ったジョプリンの音楽を、「自分たちの国の音楽」としての誇りをもって演奏しているようです。
このディスクのいくつかの演奏は東京ディズニーランドでもBGMとして流れているとのことですが、意識して聴いたことはありませんでした。そもそも、私がジョプリンという作曲家を知ったのは、言わずと知れた映画「スティング」(1973年)のテーマ音楽として使われた「ジ・エンターテイナー」です。この曲が映画で使われたのも、本ディスクを聴いたジョージ・ロイ・ヒル監督が気に入ったからだと伝わっています。
■ 2人の作曲家による「大作」
ここまでのディスクを聴いてきて、アンダーソンもジョプリンも小曲ばかり書いていたと、私は思っていました。しかし、調べてみると二人とも演奏時間の長い曲も書いています。まず、アンダーソンにはピアノ協奏曲などもあるそうですが、ここではミュージカルを紹介しましょう。
ルロイ・アンダーソン:
ミュージカル「ゴルディロックス」
・ドン・アメチ
・エレイン・ストリッチ
・ラッセル・ナイプ
・パット・スタンレー
他リーマン・エンゲル指揮管弦楽団&合唱団
1958年10月19日、ニューヨーク、CBS 第30スタジオ
米SONY(輸入盤 SK48222)タイトルの由来は解説書には見あたりませんでしたが、おそらくは「ゴルディロックスと3匹のくま」というイギリスの民話に由来しているのでしょう。この民話は、森で迷子になったゴルディロックスという名前の女の子が、くまの親子の留守宅に入り、ちょうどよい温かさのスープと、ちょうどよい堅さのベッドを見つけるというお話しです。ゴルディロックス経済という用語もこの民話から端を発しています。
ミュージカル「ゴルディロックス」は1913年のニューヨークが舞台。大金持ちとの結婚で玉の輿に乗ることになっていたミュージカル女優がサイレント映画の撮影に参加させられることになり、その監督とやり合う内に自分にとっての「ちょうど良い相手」であることに気づいて、二人は結ばれるというストーリーです。このミュージカル自体はトニー賞を受賞するなど評価を得ましたが、興行的には失敗したためアンダーソンは二度とミュージカルは作曲しなかったと伝えられています。このディスクはその初演者たちが歌と音楽だけを録音したものです。
ここでもアンダーソンの音楽は、最初の序曲からして徹頭徹尾明るく、元気があって聴きやすく、いかにもアメリカのミュージカルという作り方です。どのナンバーの曲も、甘く美しいメロディと沸き立つようなリズムに満ちています。劇中撮影されるのがエジプトを舞台とした映画なので、異国情緒も盛り込まれています。
一方、ジョプリンも声楽入りの大きな作品を書いています。彼の場合はミュージカルではなく、オペラでした。まず「A Guest of Honor」というオペラを作曲したとのことですが、これはスコアが失われています。次に作曲したのが、「トゥリーモニシャ (Treemonisha)」というタイトルのオペラです。
スコット・ジョプリン:
歌劇「トゥリーモニシャ」
・トゥリーモニシャ カルメン・バルスロップ ソプラノ
・モニシャ ベティ・アレン メゾソプラノ
・レムス カーティス・レイアム バス
他ガンサー・シュラー指揮ヒューストン・グランド・オペラ・カンパニー&オーケストラ
録音:1975年10月-12月、ニューヨーク、RCAスタジオ
DG(輸入盤 00289 477 5590)時は1884年、舞台はジョプリンの育った町でもあるアメリカ南部アーカンソー州テクサーカナの深い森に囲まれた農園です。18歳になる黒人の娘トゥリーモニシャは聡明で、ある日母親モニシャをだまそうとしたペテン師の奸計を見破ります。その後、両親が実の親ではなくトゥリーモニシャは自分が孤児であることを知ります。企みを邪魔されたことを逆恨みしたペテン師たちにトゥリーモニシャはさらわれますが、彼女のボーイフレンドであるレムスにより救われ、ペテン師たちは捕らえられます。怒った民衆はペテン師達を掟で厳罰に処することを望みますが、怒りにまかせた暴力の無意味さを説くトゥリーモニシャに心打たれる、という粗筋のようです。
たわいもないと言ってしまえばそれまでの話です。ジョプリンはこのオペラでクラシック音楽作曲家として認められることを望み、上演のために奔走したそうです。1910年に完成させて1911年にピアノ・ボーカルスコアを自費出版、音楽雑誌にもスコアを投稿して一定の評価を得ました。1915年にジョプリン自身でのピアノ伴奏での部分上演が行われましたが、上述のように黒人の孤児の娘が主人公であることなどから評判は散々でした。失意のジョプリンは、以前から発病していた梅毒による中枢神経障害を起こし、そのわずか2年後に48歳で亡くなってしまいます。
以後、ジョプリンの名前とともに、このオペラも忘れ去られていました。1970年にピアノ譜が発見、1972年にロバート・ショー指揮アトランタ響で管弦楽復元版が文字通りの全曲世界初演が行われました。1975年になって今度は、先に紹介したTHE RED BACK BOOKでジョプリン再発見の一翼を担ったガンサー・シュラーによる編曲と指揮にてヒューストンで上演、ついで録音されたのがこのディスクです。これが大変な話題となって翌76年には、アメリカ音楽への貢献を理由にジョプリンはピューリッツァー賞を死後受賞することになりました。
最初の序曲から、ラグタイムの音楽に満ちています。そして、伝統的なクラシック音楽に近づけようという創意工夫を感じることができます。ここにはヨーロッパの音楽の模倣ではなくアメリカで培われてきた響きが確かにあります。農民たちの輪舞ではバンジョーがかき鳴らされる一方、母モニシャがトゥリーモニシャの出生の真実を語るアリアはしっとりとして美しいものです。ジョプリンの生前に唯一管弦楽版で演奏されたという「8匹の熊の遊戯」と題されたダンス音楽も独特の重量感を感じますし、オペラの最後に流れるラグタイムの二重唱と合唱は、確かに全編を通じて白眉と言える聴き応えのある音楽でした。
■ アメリカ音楽の陽と陰?
アンダーソンとジョプリンという、(私の中では)アメリカ音楽を代表する二人の音楽を聴き比べてみると、どうしてもアンダーソンが陽、ジョプリンが陰と分けたくなってしまいます。これはアンダーソンが白人で作品が親しまれ続けた67歳という生涯であったのに比べて、ジョプリンが黒人で不遇の48年間の生涯であり作品も死後忘れ去られたという事実から、どうしてもそのような印象を持ってしまうのでしょう。
しかし、両者とも(ミュージカルとオペラというジャンルは異なるものの)声楽付きの大作を作り、両者とも生前には認められなかったというのは単なる偶然にしろ、私には興味深い事実でした(また、「ゴルディロックス」「トゥリーモニシャ」ともに熊が出てくるというのも、もっとちょっとした偶然なのでしょうけど)。
現在、「トゥリーモニシャ」は頻繁とは言えないもののアメリカ国内のあちこちで上演されているようです。ネット上でもまったくと言って良いほど採りあげられていない「ゴルディロックス」とは対照的です。私にとっては同じ「アメリカ音楽」なのですが、そこには私なぞが俄には理解できない多様性が存在するのだろうと考えています。
2008年9月7日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記