「わが生活と音楽より」
二人の女性ピアニストによるバッハのゴルトベルク変奏曲を聴く文:ゆきのじょうさん
バッハのゴルトベルク変奏曲の名盤というと、巷で必ず採り上げられるのはグレン・グールドが録音した1955年と1981年の二枚のディスクでしょう。実は私は、LP時代を通じてこの二枚のディスクを所有したことも、未だ聴いたこともありません。名盤、決定盤などと言われてしまうと生来の天の邪鬼なので、かえって手に取ることをしなくなるからです。ただ、世のゴルトベルク変奏曲に関する様々な文章を読むと、グールドがゴルトベルク変奏曲の演奏史・録音史に与えた衝撃は偉大かつ永遠であり、ちょうどフルトヴェングラーが、ベートーヴェンの第九や、シューベルトの「グレート」の演奏史に遺した足跡と同じなのだろうということは容易に理解できますし、これに異議を唱えるつもりはありません。若い頃はオーケストラ作品を好んでいたことも手伝い、ゴルトベルク変奏曲はチェンバロないしピアノ単独で演奏時間が長いので、他の奏者の演奏にも触れあうことなくLP時代を過ごしました。
私がこの曲と最初に向き合ったきっかけとなったディスクはもう四半世紀も前(!)のこと、トレヴァー・ピノックがアルヒーフに移籍した直後の1980年に出したLPでした(CDでは独Archiv DG 415130)。チェンバロで演奏しながら、活き活きとして、弾むような躍動感があり、「長大」と当時は感じていたこの曲を飽きさせずに一気呵成に聴かせてしまう素晴らしいディスクであると感じました。ところが、友人に聴かせると「グールドの亜流じゃないか」と言われてしまいました。そのような安易なレッテルの貼り方する友人にちょっと失望するとともに、ますますグールドの演奏は聴かずに過ごす道を選ぶこととなっています。
それ以来、ゴルトベルク変奏曲を楽しめるようになった私は、いままで「グールド以外の」ディスクをいろいろと聴いてきましたが、ここでは女性ピアニストによる個性的な二枚のディスクを紹介したいと思います。
■ ビイェルケ盤
CLASSICO盤 SCANDIAVIAN CLASSICS盤 J.S.バッハ:ゴルトベルク変奏曲BWV988
クリスティナ・ビイェルケ ピアノ
2000年10月 Mantziusgarden、ビルケロッド
デンマークCLASSICO(輸入盤 CLASSCD360)
独SCANDIAVIAN CLASSICS(輸入盤 220590-205)CLASSICOレーベルからのライセンス廉価盤ビイェルケ(ビョアケーの表記もあり)は1970年デンマーク生まれとのことですので、録音当時は30歳です。この時からClassicoレーベルでショパン、シューマン夫妻、モーツァルトと計4枚のディスクを出していますが、日本では余り知られていないピアニストと言って差し支えないだろうと思います。
このディスクはまったく何の予備知識もなく聴いたものでしたが、最初のアリアですぐに夢中になってしまいました。ゆったりとしたテンポながら音の一つ一つはキリリと硬質で鋭く輝いています。後半になるとポツポツとつぶやくような音の置き方になって、侘びしさが一杯になります。
その後の変奏での演奏ぶりは一言で表せば天衣無縫です。自分の感じるままにテンポも強弱も自由自在に設定し、音色も万華鏡のようにくるくると変わります。テクニックには破綻がまったくありません。基本的には硬めの冷たく輝くような色彩を身上としているようですが、硬質の音の中に、微妙な響きの違いを一つのフレーズの中にも作っています。同じ音型では同じ響きで弾いているので、意識的にそうしているのだと思います。それにしてもビイェルケには折り目正しく演奏しようなどという気持ちはさらさらないようです。グールドのような計算高さもなく、アルゲリッチのような奔放さとも違う、別次元の感興で聴き手を惹きつける魅力のある演奏家だと思います。
例えば、第13変奏では素っ気なく演奏したかと思えば、第14変奏では「これでどう?」と言っているかのように畳みかける速さで弾ききっており、これがすぐに次の第15変奏になると、物憂げで暗い影を落とすような深淵を見せてきます。特に後半の繰り返しになるところでの、ちょっとした間が絶妙です。
第16変奏の序曲から後半になると、ビイェルケの天衣無縫さはさらにスケールが大きくなっていきます。例えば第19変奏では乗って弾いているので、さりげなくリズムの崩しを混ぜており、続く第20変奏は身体全体を揺らして演奏しているのが伝わってきます。こんなに冷たい音を出すのに、心の中ではカっと燃え上がる瞬間があり、その時は誰も止められないような文字通り白熱した演奏になるようです。しかし、それは衝動的なものではなく、自身でゴルトベルク変奏曲の全体を見通した上での所作だと思います。第26変奏以降は、エンジンが全開になります。わき目もふらずに一気呵成に弾き始めており、第29変奏はペダルを踏む音でしょうか、ドスンドスンという音が盛大に入っており、ほぼアタッカでつなぐ第30変奏では、沸き上がる感情を押し殺すことは全く考えていないようで、音楽は燃えて、謳い、どこまでも昇りつめていきます。そして突然の静寂。最初のアリアが戻ってきます。あの最初に衝撃を受けた冷徹な音ですが、どこかに暖かさを感じさせてくれます。実に見事な大団円だと思います。
先述のように、ビイェルケは他に三枚のCDをClassicoから出しています。このレーベル自体が日本にはほとんど入荷しないとのことですので、現時点ではライセンス契約で出しているSCANDIAVIAN CLASSICSから出ている、このバッハと、ショパンの前奏曲を中心としたアルバムが比較的手に入りやすい状況のようです。ショパンも己の信じるままに弾き、優等生的演奏を放棄しており、ぼんやり聴くことを許してくれません。これについても、いずれ機会を見て紹介したいと思っています。ビイェルケは現在、ナクソス系列のDacapoレーベルからベンソン、ボレセン、 グラス、リーサゲル、コッペルなどの現代作曲家の作品を録音しているようです。個人的には、古典派からロマン派あたりの曲をもっと聴いてみたい実に魅力的なピアニストです。
■ ディナースタイン盤
J.S.バッハ:ゴルトベルク変奏曲BWV988
シモーネ・ディナースタイン ピアノ
録音:2005年3月11-13日、アメリカ文芸アカデミー、ニューヨーク
米TELARC(輸入盤 CD80692)ディナースタインは今年34歳になるアメリカのピアニストとのことですから、録音当時は32歳ということになります。彼女はピアノを始めたのは7歳と遅く、ジュリアード音楽院に進みましたがコンクール受賞歴はなく、現在6歳になる息子を妊娠していた期間にゴルトベルク変奏曲と深く向かい合ったと言います。その後ニューヨークのブルックリンに親子3人で生活していたのですが、2005年にTELARCでこのディスクを録音して話題となり、その年の11月にカーネギーホールでコンサートを開いたところ大反響。現在も世界を舞台に演奏活動を行っていると言います。いかにもアメリカ人が好みそうなサクセスストーリーです。
ディナースタインの音はとても優しく包容力に富んでいます。アリアのテンポはゆったりとしており、一つ一つを噛みしめて、紡ぎ出すように音にしていきます。しかし、ビイェルケのような晩秋の落日のような侘びしさはなく、むしろ春霞に包まれた菜の花畑のような暖かさがあります。アリアの後は深く深呼吸したかのような間で第2変奏に移ります。第2変奏も含めてテンポが速い変奏ではそんなにのんびりとは弾いていませんが、ころころと輝くように丁寧に音を出していますので、息が詰まるようなことがありません。第13変奏も寂しさより、深々と降る雪を暖かい暖炉のある部屋から眺めているような落ち着きがあります。また、変奏毎の間も十分考えられているようで、第25変奏と第26変奏の間は実にたっぷりと空白を空けています。第28変奏も安らぎに満ちた響きで、第29変奏も淡々とインテンポで演奏しており第30変奏はさすがに熱いものがこみ上げてくるスケール感があります。最後のアリアまでどこまでも暖かい演奏を聴き続けていているととても心を穏やかにしてくれます。これなら不眠症で悩むカイザーリンク伯爵もすやすやと眠ることが出来そうです。
なお、個人的にはこのディスクに一つだけ疑問を投げかけたくなります。それは演奏自体ではなく、ジャケットを含めた視覚的コンセプトです。全体の色調は寒色系で統一されており、表紙は細面の端正で知的な美人としてディナースタインは映っています。解説書はもちろん、裏表紙やCDを収めるケースにもポートレートが満載です。どれもがニューヨークの街角で撮られているようで、他に人影はなく周囲の風景はどちらかと言えば荒れた風景です。解説書は小冊子ではなく一枚の紙を折り畳んだもので、まず開くとブルックリン橋の全景があり、さらに開くと今度はブルックリン橋のふもとに佇むディナースタインのポートレートになります。これらの一連のポートレートはすべて白黒の服を纏い、澄ましたような笑顔のない浮世離れした印象になっています。したがって最近まで存在すら知られていなかったディナースタインの経歴(サクセスストーリー)を交えて単純に解釈すれば、ブルックリンに忽然と現れた(光臨した)音楽の女神という設定が容易に思い浮かびます。
しかしながら、TELARC自身が出しているこのディスクのプロモーションビデオを動画サイトで見る限りは、ディナースタインはぽっちゃりとしており、6歳の子供と一緒に歩く姿は、ポートレートとは似ても似つかぬ、暖かい、よき母親の姿です。ゴルトベルク変奏曲の演奏自体から受ける印象からみても、私個人の考えとしてはこんな寒々と澄ましたのではなく、暖色系の作り方でいいのではないかと思いました。
演奏時間はビイェルケが77:32、ディナースタインが78:20です。繰り返しの有無も影響しているのでしょうけど、演奏時間の差以上の違いがあると感じます。ビイェルケは聴き手に気を抜かせず、引きずり込むような豪快な演奏です。ディナースタインは静かに、ほっとさせてくれる演奏です。どちらが良いというのではなく、どちらもピアノで聴くゴルトベルク変奏曲として楽しめるディスクだと思います。
(2008年1月31日、An die MusikクラシックCD試聴記)