「わが生活と音楽より」
バッハの無伴奏ヴァイオリンを聴く文:ゆきのじょうさん
小学生から何の気なく始めたヴァイオリンでしたが、大学オケで初めて自分が弾きたいと思った曲、これが完璧に弾けたら死んでも悔いはないと思った曲が、バッハの無伴奏でした。2005年のレコードアカデミー大賞に、ギドン・クレーメルの演奏による、この曲が受賞しました。私はCDショップの試聴でほぼ全曲聴いてみました。確かに持てる芸術の全てをぶつけたような壮絶な演奏であり、立派な演奏であることは認めます。ただ、私が好む演奏とは次元が違うように感じました。そこで私が愛聴する演奏を並べてみたいと思います。
無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ BVW1001-1006
フェリックス・アーヨ ヴァイオリン
録音:1974年12月、1975年1月、ローマ
フィリップス(国内盤 PHCP-20487/8)私が初めて無伴奏を聴いたのは、知人が薦めた決定盤であるシェリング盤です。神々しいばかりの演奏であり、思わずひれ伏してしまうような壮大な演奏でしたが、かえって無伴奏から遠ざかってしまうことになりました。そんなある日、買い求めたLPがこのアーヨ盤です。アーヨと言うと私と同世代には、あのイ・ムジチ合奏団の「四季」での甘美なソロが思い出されるでしょう。この無伴奏でも歌心溢れる美しい演奏です。シェリングやクレーメルのようなヴァイオリン一挺で築く大伽藍を期待する向きには平板で単調に聴こえるかもしれません。初春の土の香り漂う微風のようなアーヨの演奏は、しかしながら、何時聴いても飽きません。
無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ BVW1001-1006
ミリアム・フリード ヴァイオリン
録音:1997年12月8日、13日、マルセイユ
仏LYRINX(輸入盤 LYR187/188)ルーマニア生まれの女流であるフリードが録音した一品です。アーヨに劣らぬ美音の持ち主で、浪々と歌い上げます。アーヨが南欧の気品の良さがあるとすれば、フリードはもっと人なつっこい屈託のなさを感じます。もちろん真摯さもあり、ただの脳天気な演奏ではありません。どこまでも明るい演奏はとても魅力です。
無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ BVW1001-1006
カール・ズスケ ヴァイオリン
録音:1983年10月、11月、1985年9月、11月、1987年5月、1988年4月、ドレスデン・ルカ教会
独BERLIN Classics(輸入盤 0092752BC)ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のコンマスを勤めたズスケの名盤です。5年がかりに1曲ずつ録音していく慎重さからもわかるように、どの曲も考え抜かれた後に出された結論を演奏しているかのようです。哲学者の講義のようでもあり、まるで能の舞台を見ているような無駄を削ぎ落とした演奏です。
無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ BVW1001-1006
ズザンネ・ラウテンバッハー ヴァイオリン
録音:1964年、シュツットガルト
独BAYER DACAPO(輸入盤 BR 200 006/7 CD)ラウテンバッハーの名前は、LP時代にVOXレーベルから知られざる作曲家の曲を録音したカタログを見ているとよく見かけました。なんとなく際物のような気がした私は、余り触れることはなかったと思います。ラウテンバッハーのバイオグラフィーはよくわかりませんが、ブックレットの写真を見る限り世代的には古い方になるようです。テクニックも前述の3人に比べると劣るし、録音も古さは否めません。それでも、ここでのラウテンバッハーのバッハは、ドイツの深い森のようです。ほぼインテンポで、特に変わったことをやっているわけでもありません。淡々と自分の演奏したいバッハを弾いている、それだけです。それでもヴァイオリンは深く鳴り響きます。絶対音感のない私には断言できませんが、チューニングが近頃はやりの442Hzとか444Hzのような輝きがないので、440Hzで設定しているように感じます。ヴィオラのように重く響き、ほの暗い音色です。ソナタ第1番、パルティータ第1番、、、と聴き続けると、音楽は次第に拡がっていって、ソナタ第3番やパルティータ第3番に至って暖かく深い音色に酔いしれるばかりになります。
これらの演奏はいずれも、無伴奏において語られることが少ないものです。特にラウテンバッハーは、古くさいと言われればそれまでですが、その深い演奏は一度聴くとやみつきになってしまいました。私がヴァイオリンから離れて10年以上になりますが、もし目標とする演奏を選ぶとしたら、現在はラウテンバッハー盤になるかもしれません。
2006年1月13日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記