「わが生活と音楽より」
ふたつのベートーヴェン「皇帝」を聴く

文:ゆきのじょうさん

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 「チャイコフスキー、グリーク、ラフマニノフの3つが、三大ピアノ協奏曲と呼ぶのよ。」と、母は言いました。小学生の私は聞き返しました。「じゃ、ベートーヴェンの『皇帝』は?これを加えて四大、じゃだめなの?」母はこう答えました。「『皇帝』は他の三曲とは違う“別格”なのよ。」

 

 

 

 2007年に話題となった「皇帝」のディスクがあります。細身の美人ピアニストが、若手有望株の指揮者が振るドイツの歴史あるオーケストラをバックにした最新録音です。全身全霊を込めてピアニストは、スケールの大きい演奏をしています。オケも美しい響きと引き締まったアンサンブルで応えています。良い演奏です。でも、これは「皇帝」なのか?と自問すると、自分の中では「違う」と明確な答えが返ってきます。非の打ち所はありませんが、心が動かされるものもありません。正直、また取り出して聴いてみたいとは思えないのです。

 では、私にとっての「皇帝」とは、何なのでしょうか? 小さい私に母が“別格”だと表現した時、我が家にあって何度も聴いた演奏はこのディスクでした。

 

 

CDジャケット

 

ベートーヴェン
ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調 作品73「皇帝」

アルトゥール・ルービンシュタイン ピアノ
エーリヒ・ラインスドルフ指揮ボストン交響楽団

録音:1963年3月4日、ボストン、シンフォニー・ホール
BMGジャパン(国内盤 BVCC35066)

 ルービンシュタイン二度目のベートーヴェン/ピアノ協奏曲全集です。いわずと知れた20世紀最大のピアニストの一人です。世評ではバレンボイム指揮での三度目の全集が良いとされていますが、私はこのディスクから聴いてしまったためか、この演奏に惹かれています。

 徹頭徹尾、ルービンシュタインによる、ルービンシュタインのための演奏と言えます。冒頭のオケのトゥッティが堂々と鳴り響いた後、何とちょっと間をおいてからルービンシュタインのカデンツァが始まります。歌舞伎で大見得を切る主役のようで、本当に「待ってました、千両役者」という掛け声をしたくなる、実に派手な登場です。前述の美人ピアニストは、このカデンツァを楽譜に書かれている音型をきちんと表すように弾いているのですが、ルービンシュタインは大きな塊として豪快に、華麗に淀みなく弾いています。ヴィルトゥオーソという形容がこれほどふさわしい演奏もありません。ラインスドルフは当時、ミュンシュの後任としてボストン交響楽団の常任指揮者になっていました。引き締まったテンポと響きで演奏していますが、ルービンシュタインのソロが始まるときは、わずかに手綱を緩めてピアノ・ソロが弾きたいテンポにギアチェンジしていきます。それが実に自然なので、流れが滞ることがありません。

 ルービンシュタインのピアノはいつでも何処でも、華麗で輝きに満ちています。決して頭ごなしに睥睨するような威圧感はありませんし、格別主張が強い演奏でもありません。それでも聴き手に一縷の迷いも与えず、有無を言わせない迫力があります。ラインスドルフも伴奏に徹しているわけではなく、オケを目一杯鳴らして推進力のある演奏で対抗しているのですが、ルービンシュタインはさらにその上を駆け抜けています。

 先の最新盤での美人ピアニストは全身で豪快にピアノを鳴らしており、録音もよく捉えています。偶然にも各楽章の演奏時間がほぼ同じのルービンシュタイン/ラインスドルフ盤の録音はさすがに古さを感じさせ、特に今回採り上げたリマスタリングは成功しているとは言い難いことを差し引いても、ルービンシュタインのスケールの大きさ、懐の深さは勝負にならないほどの格の違いがあると思います。

 「皇帝」はかくのごとく演奏されなくてはならないと、最初にこの演奏を聴いてしまった私は、これを超える演奏になかなかお目にかかれないでいます。

 ところが、まったく不意打ちのように出会った「皇帝」の演奏があります。

 

 

CDジャケット

ベートーヴェン
ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調 作品73「皇帝」

アルテュール・スホーンデルヴルト フォルテピアノ
アンサンブル・クリストフォリ

録音:2004年9月、フレーデンビュルフ音楽堂、ユトレヒト
仏Alpha(輸入盤 ALPHA079)

 この「皇帝」の演奏こそ、鷲天動地という形容がふさわしいディスクはないと思います。ピリオド楽器で完全2管編成、弦楽器はヴィオラとチェロ各2に対し、ヴァイオリンは第1・第2とも1本ずつという。初演会場の大きさ、来客数と椅子の数から割り出した編成とのことですが、では何故低弦をダブルにして、ヴァイオリンパートは各1なのかというところは明確ではありません。

 しかし、冒頭からオケの響きは小編成とは思えぬ迫力です。音が大きいというよりは力強く、生々しいのです。ティンパニは雷鳴のように轟き、管楽器は激しいアタックで吹いています。強奏部でのヴァイオリン一人ずつは、聴き始めは、さすがに少々つらい感じがありますが、あっという間にそんなことを考えている余裕はなくなります。フォルテピアノは鄙びてはいますが、弱々しくなく、オケとのバランスは不自然などころか、オケとともに束になって襲いかかってきます。ひたすら圧倒されるだけです。演奏者たちは腕に覚えのある名人たちが集まっているそうですから、テンポは速めでぐいぐい押してくるのに、はらはらするところは微塵もありません。第二楽章も典雅な雰囲気を醸し出しながら、力感は失われません。第三楽章も圧倒的な迫力です。大げさではなく、今ここに生まれ出た音楽がはじけ飛んでくるような錯覚すら覚えます。明らかに異端の演奏なのですが、聴き続けると身体の芯からすっかり熱くなって、興奮してくる自分がいます。こんな珍奇な編成で何ができると少し甘く見下していたことを恥じ、「本当に参りました」とひれ伏してしまいたくなります。

 録音も演奏者からかなり近いところで収録されているようで、特にヴァイオリン奏者の息づかいが克明に聴き取れて、広間で演奏者のすぐそばで聴いているようで、雰囲気は満点です。初演会場で観客が入った場合の残響時間も計算しているそうなので、録音にも拘りがあるのがよく伝わります。

 この演奏を聴くと、「皇帝」は後年の三大ピアノ協奏曲のように大きなホールで大オーケストラを相手に弾く曲とは、元々違う発想で作曲されているのだと思われてなりません。そして同時に、その発想の枠組みから見事にはみ出しているスケールの大きさが内包されているので、この曲は三大協奏曲とは別格に位置づけられるのだと再認識しました。

 

 

 

  昨今のピリオド奏法の流行などを考えると、今後も「皇帝」らしい「皇帝」という演奏に出会うことは、そう多くないと思います。しかしスホーンデルヴルト盤を聴く限り、聴き手を熱くする演奏には出会えそうです。それを楽しみにしていきたいと思います。

 

(2008年1月23日、An die MusikクラシックCD試聴記)