「わが生活と音楽より」
ブラームス/弦楽六重奏曲第1番を聴く

文:ゆきのじょうさん

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■ 在りし日のFM雑誌

 

 おそらく30年くらい前になると思います。学生であった私ではレコードを買うというのは、文字通り清水の舞台を飛び降りる行いでしたので、もっぱらFMを聴き、エアチェックするという日々でした。番組表を始めとして、情報源はFM雑誌でした。どのような順番で買っていたかは忘れてしまいましたが、FMfan、FMレコパル、週刊FMのすべてを読んだ記憶は残っています。これも記憶している限りではありますが、一番買っていたのはFMfanだったと思います。

 したがって、たぶんFMfanではなかったかという曖昧な記憶でしかないのですが、ある号で古今のクラシック名曲の名演奏ランキングの企画がありました。選者として3人の音楽評論家がいて、一つ一つの曲にベスト3を挙げ、うち1人が交代で寸評を書くという形式だったと思います。「レコード芸術」や「ステレオ芸術」「ステレオ」「音楽の友」などは大人の雑誌、という印象でしかなかった当時の幼い自分にとっては、一つの基準となっていました。

 

■ 愚者のこだわり

 

 といっても、ベスト1の演奏をエアチェックで探すというのではなく、むしろ天の邪鬼にも「ベスト1を聴かない」という態度でした。したがって、そのランキングで3人の評論家ともベスト1に挙げた演奏は、わずかな例外を除いて今なお聴いたことがありません。例えば以前にも告白させていただいたグレン・グールドのゴルトベルク変奏曲や、フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィルの「英雄」「運命」などが挙げられます。

 さて、そのランキングの中で、ブラームス/弦楽六重奏曲第1番がありました。たぶん、3人の評論家とも同じ演奏を1位にしていたと思います。それが今回の主役である、バルトーク四重奏団盤でした。いつもの天の邪鬼な私でしたら、当然、こんな演奏は聴くものか、と思い続けたことでしょう。しかし、いつの頃からか一体どんな演奏なのだろうと気になってきました。しかし、LP末期での輸入盤に執心していたときに輸入レコード店で探しても出会えず、CD時代初期においても店の商品棚でお目にかかることがありませんでした。FMのエアチェックにも流れてきません。そうこうするうちに、雑誌ではブラームス/弦楽六重奏曲第1番の名盤として採りあげられることもなくなって、アマデウス四重奏団にセシル・アロノヴィッツのヴィオラ、ウィリアム・プリースのチェロが参加したDG盤が名盤として紹介されることが多くなりました。

 私がこの曲をCDで初めて買ったのは1990年代の初め、同じアマデウス四重奏団ですが下記のアマデウス(EMI)盤です。

 

■ アマデウス/アルバン・ベルク盤

CDジャケット

ブラームス:
弦楽六重奏曲第1番変ロ長調作品18

アマデウス・アンサンブル
 ノルベルト・ブライニン ヴァイオリン
 ジークムント・ニセル ヴァイオリン
 マルティン・ロヴェット チェロ
アルバン・ベルク四重奏団員
 トマス・カクシュカ ヴィオラ
 ゲルハルト・シュルツ ヴィオラ
 ヴァレンティン・エルベン チェロ

録音;1990年1月30日、ウィーン、コンツェルトハウス(ライブ)
東芝EMI (国内盤 TOCE-7846)

 ヴィオラ奏者が他界したために弦楽四重奏団としての活動ができなくなったアマデウス・アンサンブルに、アルバン・ベルク四重奏団が協力して出来上がったシリーズの一枚です。

 ライブということもあるかとは思いますが、実に音楽が粘ります。テンポは大きく蠢き、フレーズの受け渡しにおいては特に顕著です。ジャケットの写真で見る限りでもアマデウス・アンサンブルの奏者たちは決して若くはないのですが、演奏される音楽は情熱的で若々しいものです。特に第二楽章において、それは顕著です。どちらかというと折り目正しく弾こうとする低弦主体のアルバン・ベルク四重奏団員と、ヴァイオリン・パートを受け持つアマデウス・アンサンブルが感興豊かに感じるままに弾こうとすることとの間で大きくずれ始めて、あわやアンサンブルが崩壊しかかる瞬間もあるのですが、これが曲調ともよく合って、聴き手に不快感どころか、心地よい興奮すら与えてくれるのです。後半の2楽章も緊張感がとぎれることなく演奏されており、熱演のまま幕を閉じます。

 このアマデウス(EMI)盤は1992年6月3日というクレジットがあるので、おそらく発売と同時に買い求めたものだと思います。その後はさしたる理由がないまま、新しいディスクを買うこともなく過ごしていました。世の中にインターネットが普及してCDも手軽に検索して買い求めることができるようになってから、ふと思い出して調べてみたところ、バルトーク四重奏団のディスク(以下、ナ)を見つけました。とうとう、FM雑誌で出会った演奏に巡り会うことが出来た訳です。

 

■ バルトーク盤(はたして名盤とは何なのか?)

CDジャケット

ブラームス:
弦楽六重奏曲第1番変ロ長調作品18

バルトーク四重奏団
 ペーター・コムロシュ、シャンドール・デヴィッチ ヴァイオリン
 ゲーザ・ネーメット ヴィオラ
 カーロイ・ボトヴァイ チェロ
ギョルギ・コンラート ヴィオラ
エデ・バンダ チェロ

録音:1971-1974年
欧Hungaroton (輸入盤 HCD11591)

 まず聴き始めるとアマデウス(EMI)盤とは異なり、速いテンポで折り目正しく演奏していると感じます。もちろんフレーズの終わりでのちょっとした小節の利かせ方があるので、味気ないという訳ではありません。しかし、甘い情感というより曲自体が持っている構成をより辛口に強調しているようです。ピチカート一つとってもその響きは纏綿としてはおらず、剛直な力があります。

 ところが、第二楽章になると全体に響きが柔らかくなり、ふんわりとした質感が出てきます。その中で甘美や哀切を切々と歌い込んでいくという進め方です。第一楽章での剛直さは、このための伏線であったのかと思うくらいの驚きでした。特にこの曲で私個人がもっとも聴き所としている第4変奏では、格別なにも工夫せずに速めのテンポで弾いているようでいて、万感胸に迫るものがこみ上げてくるのが感じられ、一つの頂点を築いています。第三楽章では前半2楽章の響きの違いを受けて開放的な響きに満ちています。こうなれば第四楽章は総括となるわけですが、殊更に大団円を強調することなく、むしろ古典的な佇まいのうちに洒脱に終わらせているのです。

 バルトーク盤を一度聴いてみたときには「正確さ」をまず感じていました。曲全体像を把握して、その上でどのように響きを色づけていくのかという論理的な印象があったのです。しかし、何度か聴き返してみると鋭く冷徹なように思えたヴァイオリンにも溢れるばかりの感情があり、脇役のように振る舞っていると思ったチェロも、アンサンブルを堅持しながらも隠し味のように香辛料を振りまいています。この味わい故にFM雑誌の3人の評論家が推したのかどうかは、寸評を記憶していないので分かりません。

 バルトーク盤は味わいにおいて一頭地抜きん出ている演奏であることは確かですが、少なくとも聴き手に有無を言わせないような個性的な演奏ではないとも感じました。さて、そうなると、件のFM雑誌においてどうしてこの演奏がベストに掲げられていたのかが不思議になってきます。そして、そもそも名盤とは何なのかという疑問に行き当たります。

 かのFM雑誌に限らず、名曲のベストの演奏は何かという議論(企画)は、よく目にすることがありました(と過去形にするのは、現在そういった企画があるのかどうか、音楽雑誌を読まなくなったので不明だからです)。ほとんどの場合、選者は少数の評論家で為されています。極端な場合は個性的な評論家一人でのランキングだったりします。統計学を持ち出すまでもなく、そのような状態での「ベスト」はクラシック音楽愛好家や入門者において受け入れられやすいものであるという保証はできません。卑近な例を持ち出して恐縮ですが、映画における「キネマ旬報ベストテン」は、(現在は存じませんが1970年代においては)比較的多数の評論家のランキングを集計した結果であり、個人的な好き嫌いは別にして確かにその年の映画において印象深い作品が上位を占めていると、今振り返っても同意できます。このような選考過程を経たランキングは、私の知る限りクラシック音楽評論には存在しません。

 日本レコード・アカデミー賞のみならず、海外の音楽雑誌での賞でも、多数の評論家の個人ランキングを集計するという選考過程は、たぶんないと思います。その雑誌社の責任においてその年のベストを選ぶわけです。過去のディスクも交えてある名曲の名演ランキングをするという概念は、海外の音楽雑誌においてはもしかしたら存在しないのかもしれません。

 私個人は現在において、特にある曲における名演ランキングとか、ベストを選ぶという思考過程はなくなっています。もちろん一度聴いただけで二度と聴こうとは思わないという演奏は存在します。しかし、好んで聴く演奏に優劣がないということです。正反対のアプローチをしていても、両方とも好んだりもします。したがって、他者が選んだランキングもまったく参考にはなりませんので、最近もあるかどうかは存じませんが、そういったランキングを読むことは人生の無駄と割り切って避けているわけです。

 

■ エピローグに代えて

 

 よく知られているように、この曲は若きブラームスが失恋した直後に書かれた実に情熱的なものとして語られているもので、ルイ・マル監督、ジャンヌ・モロー主演の映画「恋人たち」に第二楽章が用いられました。そんな理由からか、アマデウス(EMI)盤では、第1番に「恋人たち」、第2番にはブラームスの婚約者であった女性の名前である「アガーテ」の副題が付いています。これはもちろんブラームス自身が付けたものではなく、一般的な副題として普及しているわけでもないようです。

 ブラームスは、そのような感傷や恋情などをこの曲のラベルとして付けられることは望んではいなかったと思います。また、この曲に限らず、そしてブラームスに限らす古今東西の作曲家は自分の作品の演奏におけるランキングを付けられることも望んでいなかったでしょう。作曲したいから作った、というところではないでしょうか。そして演奏する側も、自分の演奏がランキングされることを想定して演奏しているわけでもなく、「作品」として遺したいから演奏するのだと思います。

 私たちは、音楽芸術家たちの作品(曲、演奏)を味わうという喜びがありさえすれば良いのではないか、というのが今の私の考えです。

 

2009年5月30日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記