「わが生活と音楽より」
二枚のブルッフ/ヴァイオリン協奏曲第1番を聴く

文:ゆきのじょうさん

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 ブルッフのヴァイオリン協奏曲は計3曲あるそうですが、一般には第1番がブルッフのヴァイオリン協奏曲の代名詞となっています。ちょうどチャイコフスキーのピアノ協奏曲のような受け止め方と言えます。

 今回はそんなブルッフのヴァイオリン協奏曲(第1番)の中から2枚を聴いてみることにします。いずれも録音当時20歳前後の女性ヴァイオリニストが、60歳代の指揮者の伴奏で録音したものです。

 

■ チョン・キョンファ

CDジャケット

ブルッフ:
ヴァイオリン協奏曲第1番ト短調作品26
(カップリングは、スコットランド幻想曲)

チョン・キョンファ ヴァイオリン
ルドルフ・ケンペ指揮ロイヤル・フィルハーモニー

1972年5月、ロンドン
ユニバーサル・クラシックス(国内盤 UCCD-7045)

 チョンは1948年生まれですので、この録音当時は24歳です。これを当時62歳のケンペがバックを務めています。チョンは1970年にプレヴィン指揮のレコードでデビューしていますので、まだ新人の頃の演奏です。

 この曲を最初に聴いたディスクです。理由は何と言ってもケンペのレコードを集めていたからに他ありません。それ故、大した先入観なく聴き始めたわけですが、第一楽章冒頭の木管のフレーズからヴァイオリンソロが出てくるところで、私は圧倒されてしまいました。説明できるような音楽理論はまったく持ち合わせていないのですが、チョンがどのような音色で弾き出すか、十分にケンペは心得ていて、それとまったく同じ発想で管楽器のバランスと響きを創り上げ、一つの音楽の連なりとして自然に流れるように指揮しているのです。この衝撃があまりに強かったため、これ以上の出だしを演奏しているディスクはないとすら、今なお思いこんでいます。その後もチョンのカデンツァのようなソロが次第に熱を帯びるとオケも呼応して豪快に、それでいて格調高く鳴り響きます。まさにソロとオケが一体となった音楽です。ソロがテンポをほのかに揺らしても、ケンペがびたりと付けているのを聴いていて、協奏曲の伴奏とはまさにこのようなものを指すのだと感じました。中間部でオケだけの演奏になるとケンペはロイヤル・フィルを煽りに煽って、音楽に厚みと拡がりをつくります。それがやおら和らいで、チョンのソロが再び登場するとオケは気持ちよさそうに寄り添い、第二楽章に移行していきます。ここまで来ただけで、もう溜息しか出ません。

 第二楽章になっても、チョンのヴァイオリンは後年のような表現の幅はありませんが、実に情熱的に演奏しています。音色は絶え間なく変化していきますが、ケンペは相変わらず迷うことなくオケに同じ音色を与えていくのです。こぼれ落ちそうになるようなチョンのソロと、壮大な響きのオーケストラの文字通りの「協奏」です。

 第三楽章は無闇にテンポを煽ることなく、じっくりと演奏されます。チョンは計算というよりは感じるままに己のやりたい音楽を、水しぶきのように発散させています。一歩間違うと曲全体が崩れてしまいそうな勢いですがきちんと踏みとどまって演奏しているのですから、やはりこの頃から大家と言ってよい演奏家だったのだと思います。それにしても、やはりケンペの演奏にも心奪われてしまいます。ソリストが弾きやすいように演奏しながら、ここぞというところでは、しっかりと締めて盛り上げていくのです。贔屓の指揮者であることを差し引いても、このディスクはオーケストラの貢献が多大であると言わざるを得ません。

 

■ アレクサンドラ・スム

CDジャケット

ブルッフ:
ヴァイオリン協奏曲第1番ト短調作品26
(カップリングは、パガニーニ:ヴァイオリン協奏曲第1番)

アレクサンドラ・スム ヴァイオリン
ゲオルク・マルク指揮ラインラント=プファルツ州立フィルハーモニー
録音:2007年10月5?9日、ルートヴィヒスハーフェン、フィルハーモニー
欧Claves(輸入盤 502808)

 アレクサンドラ・スムは1989年ウクライナ生まれとありますので、今年19歳 これがデビューアルバムです。一方、指揮者のマルクは1948年ザルツブルク生まれと言いますから、今年60歳になります。

 ジャケットは、ご覧になると一目瞭然で、可憐な美女であるスムをアイドル然として売らんかなという意図に満ちています。中を開いてもスムのポートレート写真が満載です。個人的には、このジャケットだけで絶対に触手が伸びないのです。それでも購入したのは理由がありますが、それは最後に書かせていただくことにします。

 今は経費削減のためなのか、演奏会に合わせてリハーサルも含めたライブ録音と称する製作方法が多いですが、このディスクは珍しくセッション録音で、じっくり作られています。この若手ヴァイオリニストとしてはぜいたくなデビューディスクとなったのは、ロスチャイルド財団が後援しているのが理由なのかもしれません。

 冒頭はゆったり、そして深く歌われます。スムは一つ一つの音にきちんと意味づけを行って、在るべきようになるように弾いているのがわかります。第二楽章ではたっぷりと弾いていますが、音がやせたりせず、間延びしたり、もたつきもしません。第三楽章でもテクニックを誇示するのではなく、大きなうねりを作りながら曲を紡いでいるのが、「誠実」と一言で片づけることができない感動を呼び起こしてくれます。

 オーケストラも、おそらくはスムと十分な話し合いとリハーサルが行われているのでしょう。スムの考える音楽作りに寄り添うように、そして目立たないパートも決して手を抜かずに演奏しています。マルクの指揮は、オーケストラだけの部分になっても、音楽の厚みを加えるだけで音楽の流れを次のソロの出番まで過不足なく繋げる役割に徹しています。このあたりはマルクの演奏が凡庸とは決して言いませんが、どうしても贔屓の引き倒しになってしまい、先のケンペの演奏とは異なる点であると感じてしまいます。

 それにしても実に丁寧な演奏です。ここで言う丁寧とは分析的になっているとか、流れが軽視されているという意味ではありません。スムがこの曲をどう考えているのか、がよく伝わる演奏だと申し上げたいだけです。そして録音や編集も、その伝えたいことをよく考えて取り組んでいると思います。これだけ作り手の気持ちというか情熱のようなものを一枚のディスク感じることができたのは最近ではそう多くありませんでした。とても希有な経験です。

 さて、このディスクを買おうと思った一番の理由は、スムに関して調べていたときに見つけたブログにあります。ドイツで録音技師をしている日本人のブログで、その中に(明記されていませんが)このディスクの編集をスムの立ち会いのもと行ったという記事がありました。他の記事では、録音編集について語られているところがあります。難しいパッセージの箇所では幾つかのテイクから、それこそ一つ一つの音を取り出して、上手くいっている音同士をつないで作るそうです。デジタル録音ですから、当然コンピューター上で行うわけです。その記事を初めて読んだときは、心のどこかでは理解できることとは言え、このような作り方はいかがなものなのかと、感覚的には嫌悪感めいたものがわき出てきてしまいました。しかし編集に立ち会ったスムの、以下の言葉を読んだときに、私はこのディスクは聴いてみなくてはならぬと思い至ったのです。

 「流れてくる音の粒すべてが自分の子供のようなものなんです。」

 そして実際にスムの演奏を聴いてみて、このディスクに出会って良かったと思いました。音楽を創造するという気持ちがちゃんと聴き手に伝わるようならば、その創造する過程でデジタル処理での切り貼りがあっても、ある程度は許容されるのではないかとも思いました。そして、こういうディスクがあるのでしたら、今後も出会いを楽しめそうだとも思います。

 

2008年9月24日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記