「わが生活と音楽より」
フランソワ・クープランの「ルソン・ド・テネーブル」を聴く文:ゆきのじょうさん
フランソワ・クープラン
ルソン・ド・テネーブルジェラール・レーヌ : 指揮、カウンターテナー(男声アルト)
イ・セミナリオ・ムジカーレ
1991年5月6-8日 フォントブロー
HARMONIC RECORDS H/CD 9140■ はじめに----めぐり逢う朝
私が以前から観たいと思っていた映画に『めぐり逢う朝』というものがありました。現在DVDもVHSも発売されていません。ある日ふと立ち寄ったレンタルビデオ店の片隅に本作のVHSが置かれていました。それが今回とりあげるディスクとの出会いにつながるのです。
1991年に公開された『めぐり逢う朝』は、17世紀後半のフランスが舞台です。宮廷音楽家として栄光を手に入れたマラン・マレが、自分の師であり地位も名誉も欲せず芸術を探求したヴィオールの名手サント=コロンブと二人の娘について語る形式で、その中で音楽芸術とは何なのかが明らかになっていくという作品です。
その映画の中で大変印象深いシーンに、サント=コロンブが演奏者として出演したという設定で教会のミサがあります。それは、祭壇に並べられた背の高い燭台に灯るロウソクの列があり、それらを少年が足台を使って一つ一つ吹き消していくという儀式です。そのバックにたいへん静かに、流れる曲がありました。このシーンは『めぐり逢う朝』に流れるモチーフを象徴する重要なものでしたが、それを語ることはネタ晴らしになりますし、何よりも本稿の趣旨とは異にしますので、ここではその流れていた曲に魅せられたということだけをお伝えしたいと思います。
■ ルソン・ド・テネーブル
キリスト教徒でもなく、宗教曲に興味を持っているわけでもない私が、その曲がクープランの「ルソン・ド・テネーブル」である、ということが分かるまでは少々時間を要しました。テネーブル(テネブレ)は、暗闇の朝課とも訳されますが、朝課といっても実際は復活祭に先立つ週の木曜から土曜の3日間の真夜中に暗闇の中でおこなわれる儀式なのだそうです。儀式の中で行われる朗読は、旧約聖書のエレミアの哀歌の一節が取り上げられます。最後には13本のロウソクを1本ずつ消していき、暗闇になって終わりますが、13本のロウソクは13人の使徒を、暗闇はキリストの死を象徴すると言われます。このエレミアの哀歌を通奏低音付き歌曲としたものが「ルソン・ド・テネーブル」だそうです。シャルパンティエ、ドラランド、ゼレンカなどの作品があります。クープランの作品も有名なものの一つです。
■ ジェラール・レーヌ
さて、作品は分かりました。次はどのディスクを購入するか、です。HMVのサイトを見ても10種類近くのものがあります。いろいろ調べていると、現在カタログにはない幻の名盤と呼ばれるディスクがあるということが分かりました。大手の通販サイトには(当然ながら)見つからず、半ば諦めた頃に偶然小さな通販サイトに出ていたので購入することができました。そしてこれは確かに素晴らしいものでした。それがフランスのカウンターテナー、ジェラール・レーヌが中心となった、今回ご紹介するディスクです。
レーヌはそのキャリアが大変特異的です。何よりもまず10代の時にロックミュージシャンとして活動を開始したのですから。その後大学で音楽学を修めて古楽グループに入り、1980年代はクリスティ、ヘレヴェッヘなどと共演、1985年に自らがイ・セミナリオ・ムジカーレを設立し現在に至るそうです。その間ロックアルバムも出しているそうですから誠に(良い意味で)狂った才能の持ち主と言えます。
カウンターテナーという存在については、私は正直今まで食わず嫌いなところがありました。いわゆるカストラートとは成り立ちが違うことは充分理解しているのですが、男性が女声アルトを受け持つということに幾ばくかの不自然さを感じていたのは事実です。それが今回レーヌの歌う「ルソン・ド・テネーブル」を聴いて文字通り鳥肌が立つほどの衝撃を受けました。
音楽は基本が宗教曲ですから静穏に流れ、劇的さは微塵もありません。伴奏はオルガンとヴィオロンチェロ、それにテオルボです。レーヌの歌声は下品にならないばかりか、神々しいばかりに艶っぽく響きます。細かいことは分かりませんが音程やリズムはほとんど揺らぎもしない完璧なものを感じます。それでいて冷淡で機械的な響きではなく、虚空を目指して儚げに消えていくような流れがあります。まさに至芸。流れてくる音楽は西洋のキリスト教の音楽のはずなのに、何やら能を鑑賞しているかのような錯覚にとらわれます。
それほどの無常観がひしひしと伝わるのです。また当盤は「ルソン・ド・テネーブル」の間にグレゴリオ聖歌が四重唱で収められており、これが全体の変化をつけるとともに当盤全体が一つの作品として引き締まった印象を受けます。他のディスクでは同じようにしているのか分かりませんが、秀逸な構成だと思います。
■ 最後に----漆黒の闇
中の解説書表紙 中の解説書裏表紙 終わりに、今回取り上げたディスクについて補足したいと思います。この名盤が何故に幻とされるのか、調べてみるとこのレコード会社は倒産してしまったそうです。その後会社が生き延びたという情報もありますが当盤を引き継いだという情報もなく、そのために入手困難となっているようです。冒頭の画像のようにディスクの表面は白黒の地味なスタイルになっています。しかし多くのCDが透明なケースで中の解説書が透けて見える形式なのに対して、当盤はCDケース自体を漆黒にして表面に白で刻印してあるのです。ケースを開けると全体は黒で統一され、解説書表紙はCDケースと異なり紅のアクセントが入っています。また裏表紙にはジョルジュ・ド・ラ・トゥールという17世紀のフランス古典主義画家による《聖なる火を前にしたマグダラのマリア》という絵が掲げられています。画像ではわかりにくいのですが、女性の膝に置かれているのはなんとドクロなのです。
このように様々な仕掛けが施されている当盤が、是非同じ姿で復活して多くの愛好家に聴かれるようになったらと願わざるを得ません。
2005年6月28日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記