「わが生活と音楽より」
美術展に併せた二枚のディスクを聴く

文:ゆきのじょうさん

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 絵画を中心とした美術と音楽のコラボというと、真っ先に思い浮かぶのは、ムソルグスキーの「展覧会の絵」ですが、ここでは美術展とコラボした二枚のディスクを聴いてみることにします。

 

 

CDジャケット

20世紀の音楽〜ラヴェル、バルトーク、ヨーク・ボーエン

ラヴェル:ヴァイオリン・ソナタ(1927)
バルトーク:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ(1944)
ボーエン:ピアノ・ソナタ第2番ヘ短調作品72(1926)

クリシュトフ・バラティ ヴァイオリン
セヴェリン・フォン・エッカルトシュタイン ピアノ

録音:2004年、アムステルダム、コンセルトヘボウ
仏SAPHIR (輸入盤 LVC1042)

「私!20世紀の自画像展」

 2004年3月31日から7月25日までパリのリュクサンブール美術館で開催された「私!20世紀の自画像展」の会場で、2004年3月29日に行われた演奏会と同一のプログラムをセッション録音したもので、美術館内での販売を主目的とした限定盤だそうです。 バラティ、エッカルトシュタインともに録音当時20歳代半ばという若手ですが、ともに実力者として既に名を馳せていたようです。

 展覧会はその名の通り、20世紀に創作された自画像を、絵画、彫刻、陶芸、写真に至るまで一堂に会したもので、自画像というジャンルを俯瞰する意欲的な企画でした。因みにCDジャケットとプログラムの表紙になっているのは、アメリカの画家ノーマン・ロックウェルの「三重の自画像」です。その展覧会の企画の一つとして、演奏会が開催されました。美術と音楽、そしてプログラムのユニークさで注目を浴びたようです。

 さて、ここで採り上げられている3人の作曲家の作風はまるで違いますし、各々が交流を持っていたわけではありません。そして3曲はヴァイオリンとピアノ、ヴァイオリンソロ、ピアノソロというスタイルの異なるものです。実際の演奏会がこの順番で行われたのかどうかは確認できませんでした。解説書によれば三人の作曲家はそれぞれに自我を主張した人達であると書かれており、勝手な思い込みとしてこの3曲も3人の作曲家の「自画像」として扱っていいのでは、という投げかけのように感じました。

 バラディのヴァイオリンは実に気持ちの良いくらいに鳴り響き、そして迷いなく弾ききっていると思います。バルトークでは民族的というよりは、ほとばしる情熱で表現しているので聴いていて気持ちがいいくらいです。一方、エッカルトシュタインが弾くヨーク・ボーエン(1884-1961)のピアノ・ソナタはこの中でもっとも馴染みのない曲です。ボーエンはイギリスの作曲家で生前は一世風靡したそうですが、現在はさほど頻繁に聴かれることはないと思います。後期ロマン派らしい曲ですが、イギリス音楽としてはかなり剛直な印象を受けます。エッカルトシュタインはピアノを、これまた、気持ちのいいくらいに鳴らして一気に弾いています。この演奏で聴く限りはもっと広く聴かれても良い曲だと思いました。

 そしてラヴェルは両者ががっぷり四つに組み合った演奏です。互いが合わせるというよりは、心地よい緊張感で均衡を保ちながら主張しあっていると感じます。特に第2楽章のブルースは良い意味で「狂った」演奏で心が奪われます。

 

 

CDジャケット

ギュスターヴ・クールベ-画家クールベの音楽世界

仏naïve (輸入盤 V5118)

 2007年10月13日から2008年1月28日までパリのグランパレ国立ギャラリーで開催されたギュスターヴ・クールベ展に連動してnaïveレーベルから出たアルバムです。その内容は同レーベルで既出の音源から集められたオムニバス形式であり、交響曲などは一楽章のみになっています。そして採り上げられている作曲家と、その生没年を一覧にしてみました(登場順)。

 
 
ショパン 1810 1849
ワーグナー 1813 1883
ベルリオーズ 1803 1869
ドビュッシー 1862 1918
リスト 1811 1886
ビゼー 1838 1875
ブラームス 1833 1897
マーラー 1860 1911
デュパルク 1848 1937
ショーソン 1833  1899
シューマン 1810 1856
ベートーヴェン 1770 1827
ギュスターヴ・クールベ展

 ご覧のようにまったく脈絡のないリストに見えます。国内代理店の謳い文句では、クールベが美術の世界で為したように、それまでの伝統に挑戦して新しい音楽を創造したベートーヴェン、ベルリオーズ、ワーグナーなどを聴いていくという趣向ということになっていました。正直なところ、買ってからその内容を知って私はいたく落胆しました。個人的にはこのような既出音源からのオムニバス盤というのは好まないからです。

 確かにギュスターヴ・クールベは1855年以降、「芸術の都」パリの楽壇において異端児でした。クールベの主張は、「目に見えるものを見えるままに書く」というものでした。そして、当時は号数の大きい絵画ではありえなかった日常の出来事(「オルナンの埋葬」)や主観に満ちたアレゴリー(「画家のアトリエ」)を書くなどの禁じ手を行ったこと、一説には世界初の個展を開いたという逸事に象徴される言動まで徹底されたリアリズム、コミューンに荷担したことで投獄され亡命を余儀なくされたという波瀾万丈の晩年、これらはクールベという画家が、それまで伝統に縛られていたパリ画壇に挑戦し革命を起こそうとした芸術家であったというレッテルを貼るのには十分です。

 しかし、クールベ展のカタログに出ている作品を観ていると、クールベという画家は実はとても繊細な神経の持ち主だったのではないかと私は思います。死を写実的に描ききったとして有名な「ます」にしても、表面に踊る野生的な激しさとともに、その背後で震えるようなか弱い心のひだを感じるのです。

 さて、このアルバムですが一見するとまったく脈絡のない曲目が並んでいるように見えたのですが、よくよく眺めてみるといろいろ分かってきました。まず作曲家たちですが、無秩序に選ばれているようでいて、ここにクールベを加えてみると下記のグラフのようになります。

  作曲家生没年グラフ
 

 すなわち、このアルバムで登場する作曲家達はすべてクールベの生涯と重なるところがある、という訳です。

 また、このアルバムのコンセプトは、ただ単に革命的な音楽を書いた作曲家達を集めたという単純なものではありませんでした。添付されている解説書によれば以下のような趣向があります:

  • クールベはベルリオーズの肖像画を描いていますが、ベルリオーズの幻想交響曲最終楽章である「ワルプルギスの夜の夢」と同じタイトルの絵をクールベは描いています(現在は失われているそうです)
  • クールベはボードレールの肖像画も描いていますが、その詩を元にショーソンやデュパルクは歌曲を作曲しています。またボードレールはワーグナー「タンホイザー」のパリ公演を絶賛しています。

 その他にもクールベが水面や波をこだわって描く特性があったことと、ドビュッシー「海」を結びつけるなど直接的な関係はないにしても、クールベの生涯と軌跡が交わる音楽家たちとの邂逅を旅しているのです。2枚組の最初はショパンの前奏曲で初めて、最後はパリ・コミューン弾圧を儚んだシャンソン「さくらんぼの実る頃」で締めるという、粋なプログラム構成になっています。

 クールベ自身は音楽とはあまり関わりはなかったようですが、クールベを多角的に捉えていくという趣旨からみれば、このアルバムも意義のある副産物なのだと感じ入ることができました。

   
 

 いずれもフランスでの美術展にまつわるディスクでしたが、こうした企画ものはもっと世の中にあるのだと思います。そういうディスクを探して、その意図や中身を味わうというのも、一つの楽しみ方なのかもしれません。

 

2011年1月15日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記