「わが生活と音楽より」
二人のイギリス人指揮者を聴く

文:ゆきのじょうさん

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 「イギリス人指揮者」という呼び名で、考えてみます。ここではイギリスで生まれて、イギリスで活躍したことがある指揮者という定義で呼びます。私自身が思い浮かぶイギリス人指揮者というのは、エードリアン・ボールト、トマス・ビーチャム、マルコム・サージェント、チャールズ・グローヴズ、ジョン・バルビローリ、コリン・デイヴィス、(拙稿でも採り上げた)ネヴィル・マリナー、ヴァーノン・ハンドリー、リチャード・ヒコックス、アンドルー・デイヴィス、そしてサイモン・ラトル等々というところでしょうか。もちろん、他にも沢山いるでしょうし、古楽の世界で言えば、ホグウッド、ピノック、ガーディナーも含まれるでしょう。実は一人だけ恣意的に名前を挙げなかった指揮者もいるのですが、これは別に改めて紹介したいと思っています。

 さて、これらの指揮者で感じるのは、マリナーやラトルなどの一部の例外はあるものの、その活動の場はイギリスのオーケストラが中心であること、そして音楽作りにはどこか共通した「匂い」を感じる、ということです。「匂い」というものを貧困な語彙で無理矢理補足すれば、「音楽の色調と力学」というところになります。強烈な個性で音楽を強引に己の色に染め上げるのではなく、音楽そのものの居住まいを尊重して、ほのかな色づけを行います。それだけではドイツの指揮者たちと変わりないように思うのですが、イギリスの指揮者の生み出す音楽にはそれに加えて、独特の「力みの無さ」があります。アンサンブルに殊更な厳格さを求めず、悪く言えば「ぼんやりとした」響きが生み出されるように感じるのです。これ以上上手くは言えないのですが、この「ぼんやりさ」故に、イギリス人指揮者ではベートーヴェンの名演が少なく、反面シベリウスに名演が多いのかもしれません。

 いずれにせよ、イギリス人指揮者には個性の強い人は少ないように思います(ストコフスキーもロンドン生まれですが、活動の場がアメリカであったので、本稿では除きます)。そんな(私が勝手に呼ぶ)イギリス人指揮者の中でも、さらに目立たない存在であった二人の指揮者を採り上げて、もう少し考えてみることにしたいのが本稿の目的です。

 

■ ジョージ・ウェルドン

 

 ジョージ・ウェルドンは1908年にイングランド南部のチチェスターに生まれました。ロンドン王立音楽院でサージェントから指揮法を学び、1944年若干36歳でバーミンガム市交響楽団(CBSO;当初はバーミンガム市管弦楽団)首席指揮者となります。ウェルドンはCBSOのレベルを高めたそうですが、1951年に突然首席指揮者の地位をルドルフ・シュワルツに交代することが発表されました。これは解任という説(CBSOの公式サイトではこちらの立場を採っています)と、解任される前に辞任したという説があるそうですが、いずれにせよ円満な辞任ではなかったようです。その後はバルビローリの招きでハレ管弦楽団の副指揮者にもなりましたが、大きなポストに就くことなく、1963年に客演中であったケープタウンのホテルの部屋で死亡しているのを発見されました。公式発表では心臓発作となっています。わずか55歳の生涯であったということになります。

 このウェルドンに私が出会ったのは以下のディスクでした。

CDジャケット

グリーク:
・組曲「ホルベアの時代から」 作品40
・二つの悲しき旋律 作品34
・ノルウェー舞曲 作品35
・抒情組曲 作品54

ジョージ・ウェルドン指揮フィルハーモニア管弦楽団、ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団

録音:1961年5月11、13,26日、ロンドン、アビーロード第1スタジオ
東芝EMI(国内盤 TOCE-6422)

 レコードで東芝EMIからセラフィム・シリーズと銘打った一枚1300円の廉価盤を、私は買ったのです。最初の「ホルベアの時代から」はウェルドンの指揮で初めて聴きました。実に爽やかで、気品溢れる弦楽合奏です。当時大学オケとは名ばかりの弦楽合奏団に在籍して自分も含めて雑音が前面に出るような演奏もどきをしていたので、こんな気持ちの良い演奏ができたら良いのに、と何度も聴いておりました。後年、再発盤だったかでレコード芸術で酷評されていたのが誠に信じがたい思いは、今CDで聴き返してみても変わりません。第4曲のアリアの全体の見通しの良さと各弦楽パートの運弓の自然さを聴くだけでも心が和やかになります。第5曲「リゴードン」の息苦しくないテンポ設定と、曲想が変わるときの揺らめきも見事だと思います。続く「二つの悲しき旋律」も同様に、過度に甘ったるくなることはなく、それでも豊かな響きで演奏されています。この曲も最初にウェルドン盤を聴いたためか、今なおこの演奏以上の感銘を受けるディスクには出会えないでいます。

 後半の2曲は、なぜかオケがロイヤル・フィルに代わっています。そのせいなのか、編成が大きくなっているためなのか、この2曲でのウェルドンの指揮はより起伏の激しいものになっています。その中でも抒情組曲第2曲「ノルウェー農民の行進曲」の豪快さと繊細さの絶妙なバランスに惹かれます。

 CDの時代になって、私はウェルドンのディスクを探してみることにしました。ところが、上述のグリークのディスクは現在カタログから落ちてしまっているようです。それだけではなく、ウェルドンの録音自体とても少なく、他にはヘンデル:組曲「水上の音楽」、「王宮の花火の音楽」や、チャイコフスキーの管弦楽曲などがあったようですが、すべてカタログから姿を消しています。伴奏指揮を除くと入手しやすいものは次のものに限られていました。

CDジャケット

チャイコフスキー:
バレエ音楽「眠れる森の美女」 作品66

ジョージ・ウェルドン指揮フィルハーモニア管弦楽団
録音:1956年3 〜 5月、ロンドン、キングズウェイ・ホール
欧EMI(輸入盤 0946 3 93238 2 1)

 同曲世界初のステレオ全曲録音だったそうですが、スコアの一部は2枚組LPに収録するため改変してある、とCDジャケットにも明記されています。録音はさすがに古びていますが、音楽には古くささは感じられません。小気味よく、それでいて前のめりにならないテンポ設定と、激しい主張こそないものの強弱の幅はかなり大きい音楽づくりとなっています。実用的なバレエ音楽としてみた場合は、とても踊りやすそうだと思いますが、曲自体が頻繁に全曲で聴くものではないので、ウェルドンを知る目的としては最善とは言えないなとも思います。

 そんな折に、突然ウェルドンのモノラル録音のディスクが発売されました。

CDジャケット

エルガー:
・演奏会用序曲「南国にて」(アラッショ) 作品50
・連作歌曲集「海の絵」 作品37
  グラディス・リプリー コントラルト
  ロンドン交響楽団
・創作主題による変奏曲(エニグマ) 作品36
  フィルハーモニア管弦楽団

ジョージ・ウェルドン指揮

録音:1954年、アビーロード・スタジオ。1953年、ロンドン、キングズウェイ・ホール
欧SOMM(輸入盤 SOMMCD 073)

 エルガーの作品集です。最初の「南国にて」からして、音がこちら側に迫ってくるような印象があります。リマスタリングの効果もあるのでしょうけど、ウェルドンの音楽づくりの構えが大きいこともあると思います。一つ一つの音が湯気をたてて生まれているようです。続く「海の絵」ではリプリーの歌唱が何と言っても絶品です。深く、優しく心に響いてくるのです。私は、恥ずかしながら、この曲を初めて耳にしたのですがとげとげしさのない、聴きやすい曲だと思いました。ウェルドンの伴奏もソリストとのバランスによく気を配りながら、最後の「泳ぐ人」では起伏の大きい盛り上げ方をしています。

 そしてエニグマ変奏曲になりますが、ウェルドンは早めのテンポ設定できびきびと音楽を進めていきます。特に第5変奏「R.P.A.」から第6変奏「Ysobel」にかけての木管パートの扱いが素晴らしいと思いますし、続く第7変奏「Troyte」もモノラル録音ながら立体感のある音響を聴くことができます。私が特に興味を引かれたのは、第9変奏「ニムロッド」の前後のつながりで、ウェルドンはふんわりとした呼吸で移り変わるようにしているのです。「ニムロッド」自体は堅牢に豊かな響きで演奏しているのですが、これみよがしに盛り上げてはいません。第11変奏「G.R.S.」は実に早いテンポで演奏されますが、当時のフィルハーモニア管の技量からみると余裕すら感じさせてくれています。ウェルドンは最終曲「E.D.U.」もじっくりと盛り上げてくれるので全曲通して聴いた印象は、しっかりとした構成で安心できるものでした。モノラルとは思えぬ録音だな、と思って解説書を見返すと、録音プロデューサーはかのウォルター・レッグだったのですね。この録音が行われた1953年はカラヤンがベルリン・フィルのシェフになる直前で、フィルハーモニア管としても絶頂期になったのですから、このような録音が残されたことは幸いでした。

 そういえば、ウェルドンはカラヤンと同い年でした。したがって、2008年は生誕100周年ということになります。まったく話題にもならず、エルガーのアルバムも100周年を記念しての企画だったのかもしれませんが、続いて出る気配はありません。わずかに聴くことができる上記のディスクからでもウェルドンは決して凡庸な指揮者ではなかったと思います。残された録音がもう少し日の目を見るとよいのにと願っています。

 

■ ジョン・ランチベリー

 

  ランチベリーは1923年ロンドンの生まれですから、サヴァリッシュやスクロヴァチェフスキと同い年ということになります。8歳からヴァイオリンを初めてウェルドンと同じく王立音楽院に入りますが、第二次世界大戦のため中断を余儀なくされます。戦後、メトロポリタン・バレエの指揮者としてキャリアを開始し、1960年にはロイヤル・バレエの首席指揮者となり、オーストラリア・バレエやアメリカン・バレエ・シアターの音楽監督を歴任。晩年はオーストラリアの市民権を得て、2003年79歳で同国で亡くなりました。

 このようにランチベリーはバレエ音楽での指揮者であったわけですが、私がランチベリーを知ったのは、バレエではなく次のディスクでした。

CDジャケット

ケテルビー:管弦楽曲集

ジーン・テンパリー メゾソプラノ
ヴァーナン・ミッドグレイ テノール
レスリー・ピアソン ピアノ
アンブロジアン・シンガーズ
ジョン・ランチベリー指揮フィルハーモニア管弦楽団

録音:1977年6月13 〜 14日、ロンドン、アビーロード第1スタジオ
東芝EMI(国内盤 TOCE59039)

 ケテルビーといえば、小学校の音楽の時間で聴いた(聴かされた)「ペルシャの市場にて」という標題音楽の作曲家としか知識がなかったのですが、私が高校生だった頃にこの曲集がLPで発売されました。もちろんLPそのものを気軽に買えるはずもなく、FM雑誌に掲載された、何やら異国情緒漂うジャケットを眺めつつ、NHK-FMで流れたものをエアチェックして聴いていたのです。その指揮者がランチベリーでした。したがって解説書も何もなくタイトルだけで聴いていたので、ケテルビーがイギリスの作曲家であることもずっと後で知ることになります。

 上述のようにケテルビーと言えば「ペルシャの市場にて」の、いわゆる一発屋だとばかり思っていましたが、「修道院の庭で」や「時計とドレスデン人形」、「月の光に」等々、聴きやすい美しい曲があるのだな、と認識できたのです。個人的には何だか際物のようなこれらの小曲を、ランチベリーは手抜きすることなく、とてもじっくりと正面切って演奏しています。特に「牧場を渡る鐘」の伸びやかな音づくりには、おじさんとなった今でも聞き入ってしまうのです。

 そんな出会いをしたランチベリーでしたが、交響曲や協奏曲と言ったコンサートレパートリーのディスクにはお目にかかることはなく、現在のカタログをみても、バレエ音楽ばかりです。チャイコフスキーの三大バレエ音楽も遺しており、ウェルドンとは「眠れる森の美女」が聴き比べられるのですが、正直なところ、この曲の持ち味を堪能するには至っておりません。そこで、ランチベリーの自作自演のディスクを採りあげてみることにします。

CDジャケット ランチベリー:ビアトリクス・ポターのおはなし

ジョン・ランチベリー指揮コヴェント・ガーデン王立歌劇場管弦楽団
録音:1970年、ロンドン、アビーロード第1スタジオ
欧EMI(輸入盤 0946 3 93230 2 9)

 ポターとはピーター・ラビットの絵本の作者として有名です。最近も「ミス・ポター」という映画が公開されていました。このディスクは「ビアトリクス・ポター物語」と邦訳されているものもありますが、実際はポターの話ではなく、ポター原作の絵本から5つの話が採りあげられて動物の着ぐるみを付けたバレエダンサーが踊るという趣向で、子供向けと言えば子供向けの作品です。1971年に英国ロイヤル・バレエで映画として製作されて評判となり、今なお実際に上演される機会が少なくないようです。

 ランチベリーの曲は不協和音などとは無縁の、実に親しみやすいもので、いつか何処かで聴いたような旋律に満ちています。オーケストラのアンサンブルも整えられており、リズムもしなやかです。オリジナルのバレエ映画は見ていませんが、曲だけ聴いてもとても楽しめます。自作自演なのですから当然なのですが、曲想の移り変わりが自然で、強奏でも無闇に吠えることがありません。私は中でも一番長い「こぶたのピグリン・ブランドのおはなし」と題された曲での細やかな表情の変化が気に入りました。

 ランチベリーの指揮は品格に満ちており、羽目を外すことはないのですが、豪快に鳴らすところは過不足なく響かせており、安心して聴くことができるものです。欲を言えばケテルビーのようなバレエ音楽以外の楽曲でも、もう少し聴いてみたかったような気がします。

 

 

 

 ウェルドンとランチベリーを聴き比べてみると、活躍した時代の差があるとはいうものの、どちらも古くささは感じません。ウェルドンはどちらかと言えば細やかに構成を大事にしているようで、ランチベリーは曲の持つイメージを重視して聴き手に不安を与えることなく落ち着いて聴かせてくれています。

 「イギリス人指揮者」と強引な括り方をしてみましたが、両者にはやはり違いがあります。最初の挙げた他の指揮者たちの中に埋没するような音楽家とは思いません。しかし、それでも何かしらの「イギリスとしての伝統」というような「匂い」は、やはり私の心の片隅には引っかかって残ります。きっとそれは「イギリス音楽」という括り方と近いものなのでしょう。これからも考えていきたいと思うテーマです。

 

2008年11月1日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記