「わが生活と音楽より」
フォーレのレクイエム、ナウモフ版を聴く文:ゆきのじょうさん
フォーレ
レクイエム 作品48(ナウモフ編 ピアノ独奏版)
4つのノクターン 作品33、63、74、119
3つの旋律(ナウモフ編 歌曲からのピアノ独奏版)
- 月の光 作品46の2
- 秋 作品18の3
- ゆりかご 作品23の1
ピアノ独奏:エミール・ナウモフ
録音:1999年3月11,12,15日、パリ
Sony Music For You(SMK89791)フォーレのレクイエムは、数多くあるレクイエムの中でも異彩を放つ作品の一つです。フォーレ自身が「(死は)苦しみというよりもむしろ永遠の至福と喜びに満ちた解放感に他ならない」と語ったそうですが、このレクイエムの根底には悲しみや苦しみではなく、安らぎや浄化の響きが込められているように思います。例えば第3曲サンクトゥスの冒頭だけを聴いてみても、それは現世の悲しみではなく、天上人の祝福と慈愛に満ちた産着に包まれているようです。誰だったかが自分の葬式にはこの曲を流してくれれば、他には何もしてくれなくて良いと語ったそうですが、わかるような気がします。
さて、この文脈で考えれば、この曲の演奏の究極の有りようは、人間くささではなく、この世のものとは思えないような汚れのない純粋な美しさ、なのかもしれません。それをとても高いレベルで達成したのが、名盤の誉れ高いコルボの旧盤です。
フォーレ
レクイエム 作品48
アラン・クレマン:ボーイソプラノ
フィリップ・フッテンロッハー:バリトン
サン=ピエール=オ=リアン・ドゥ・ビュール聖歌隊
ミシェル・コルボ指揮ベルン交響楽団
録音:1972年5月、ベルン
ワーナーミュージックジャパン(WPCS10311)コルボ自身すらも、凌駕することが困難であり続けるこの名盤の特徴は、あえて乱暴に言ってしまえば飾り気のない素直さにあると考えます。愚直と言い切っても良いでしょう。演奏技術を云々する次元を越えたその愚直さは、聴き手の心を掴んで離さぬ魅力があります。私自身、その評判を聞いてエアチェックで録音して、たちまち虜になりました。その後、これを越える演奏は、やはりなかなか巡り会えません。
しかしながら、あえてこの演奏に問題があるとすれば、これも大変我が儘に言い切ってしまえば、純粋ではないこと、だと考えます。この世のものとは思えないような汚れのない純粋な、天上の音楽として考えれば、コルボ盤はやはり人間の音楽です。昇華されていないと感じます。例えば(大変な熱演、技術であることは充分に分かっているのですが)ボーイソプラノの音程の不安定さが垣間見える瞬間に、私は天上から現世に戻されてしまいます。
さりとて、コルボ盤が「現世」で最上の演奏であることは変わりなく、おそらくこれに比肩する演奏は出ないだろうと思っていたところで出会ったのが、エミール・ナウモフがピアノ独奏に編曲した演奏です。
ナウモフというピアニストを、私はこの盤で初めて知りました。このディスクも、元々はフランスのSaphirというレーベルから出ていたものを、ソニーがMusic For Youというシリーズの中で再販したというものです。ナウモフはムソルグスキー「展覧会の絵」をピアノと管弦楽版に編曲して、なおかつ即興的な演奏をしたディスクを出したそうで、自作演奏盤もあるようですから才人(奇人?)のようです。
さて、このディスクでは、フォーレのレクイエムをピアノ独奏に編曲しながらも、原曲の印象を大切にして音符やテンポはいじっていないようです。ピアノという楽器を通すことで、音楽は危うさから逃れ、美しく紡ぎ出されるようになっています。これこそ天上の音楽の一面を捉えていると、私は思います。
さらに感じ入るのは、ここでのレクイエムが、まさに自分一人のための、自分一人による音楽となっていることです。ナウモフはピアノから極上とも言える濁りのない美音を生み出しています。深みが足りないという批判もあるかもしれませんが、この魅力は抗しがたいものがあります。内省的という一言では括りきれないものがあります。
レクイエムが人々によって歌い上げられなくてはならない宗教曲なのだとしたら、ナウモフ盤は明らかに異端であり、反則でしょう。しかし深更に一人で物思いに耽りながら過ごすときには、私はこのナウモフ盤が素敵な時間をもたらしてくれる一枚となっています。
2005年5月13日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記