「わが生活と音楽より」
ギュンター・ヘルビッヒを聴く文:ゆきのじょうさん
ヘルビッヒ この指揮者の名前を聞いて顔が思い浮かび、ディスクを思いつく方が、果たして何人いらっしゃるのでしょうか?
ヘルビッヒは1931年の生まれと言いますから、現在75歳になります。同い年の指揮者にはロジェストヴェンスキー、外山雄三、ネッロ・サンティなどがいるそうです。何度も来日しています。でもほとんど話題になっていません。
そのヘルビッヒに、私が注目したのはLP時代に以下のディスクを聴いたからです。
ハイドン
ロンドン・セット(交響曲第93-104番)
ギュンター・ヘルビッヒ指揮ドレスデン・フィルハーモニー
1974年4月-1975年12月、ドレスデン・ルカ教会
独Corona(輸入盤 CCC0002502)当時、ドイツシャルプラッテン(徳間音工)から出たこのシリーズは、樹木がモチーフにされた淡い色調の写真と、大変控えめなタイトル文字が特徴的でした。ハイドンは演奏するには難しい曲と言われています。勢いだけで押し切っても様にならず、管楽器パートは目立つので上手下手がすぐ分かり、弦楽器もリズムやメロディの受け渡しが統一されていないと纏まりが取れません。ヘルビッヒは大変きびきびとしながらも、前のめりにならないテンポ設定であり、一流とは言えないドレスデン・フィルを実に美しく響かせています。何よりも録音場所のルカ教会の響きを利用して、音一つ一つが舞い上がるように響かせて、それが舞い降りるときに次の音を打ち出すことで曲の流れが停滞せずに進んでいます。全曲どれもがこれと言って奇をてらうような解釈はないのですが不出来なものはなく、品格のある演奏だと思いました。特に余り聴いたことがなかったニックネームのない90番台の曲に惹かれました。
ヘルビッヒはチェコの生まれなのだそうですが、最初はワイマル歌劇場からキャリアを開始して、ドレスデン・フィル、ベルリン交響楽団など旧東ドイツで活躍していました。この頃は前述のハイドン以外にブラームスなども録音していますが、ハルトマンやデッサウ、アイスラーなどの現代音楽も多く録音しています。1984年になり活動を西側に移して、デトロイト響やトロント響などの音楽監督を歴任し、活動場所はアメリカが中心になりました。当時アメリカでは人気があったようで、1997年頃アメリカにいた私は、ヘルビッヒがワシントン・ナショナル響でブルックナー/第8を指揮するというのでチケットを買おうとしたらたちまち売り切れになって聴けなかったという思い出があります。さて、ヘルビッヒは2001年からザールブリュッケン放送響の音楽監督になります。ヘルビッヒはこのオケの実力を高め、契約期間が延長されました。このコンビの演奏が最近、ベルリンクラシックスから相次いで発売されるようになっています。その中の一枚がこれです。
マーラー
交響曲第9番ニ長調
ギュンター・ヘルビッヒ指揮ザールブリュッケン放送響
2001年9月16日、ザールブリュッケン・コングレスハレ ライブ録音
独Berlin Classics(輸入盤 BC0017952)マーラー/第9というと、バーンスタインやテンシュテットのような情念が渦巻くような演奏や、反対にカラヤン(スタジオ録音盤)のように徹頭徹尾、ひたすら美を追究して涅槃まで連れて行かれるような演奏もあります。ヘルビッヒのこの演奏はこれらとは又違う方向を目指したと感じます。比較的早めのテンポで崩すことなくきちんと交響曲として演奏しており、第1楽章から感情がむき出しになるようなおどろおどろしさはなく、心に細波を立てることなく聴くことができます。ザールブリュッケン放送響のアンサンブルはライブ録音とは思えないほど整っています。スケルッツォも追い立てられるような気ぜわしさはなく、問題の終楽章は静かに語りかけるように響き、そこには何処か包まれるような優しさを感じます。この曲をこんなに穏やかに、ささくれ立つことなく聴いたのは初めてかもしれません。
ザールブリュッケン放送響というと今年(2006年)12月に来日します。一緒に来日するスクロヴァチェフスキーは、このオケを指揮してブルックナー交響曲全集や、今、進行しているベートーヴェン交響曲全集などを録音して注目されています。まるで一頃のヴァントやフルネのような盛り上がりを示しています。スクロヴァチェフスキーはザールブリュッケン放送響を鍛え上げたかのような紹介をされますが、実はスクロヴァチェフスキーはこのオケの常任指揮者を勤めたことがありません。地元ではヘルビッヒがオケの能力を向上させたと評価しているようです。事実、ヘルビッヒとは当初3年契約でしたが、2006年まで常任指揮者として活躍しました。
しかしあるサイトのバイオによれば、ドイツの放送オーケストラへの助成金が2005年に大幅に削減されたことを理由に(抗議して?)契約は更新されませんでした。後任はクリストフ・ポッペンとなっています。最初の2006/2007年のシーズンのザールブリュッケン放送響の演奏会プログラムにはヘルビッヒの名前はありません。
BBCレジェンドで出たディスクで聴く限り、ライブ演奏でのヘルビッヒの演奏はスケールが大きく、弛緩したところがありません。しかし、ヘルビッヒは客演ではなく、一つのオケとじっくり仕事をすることでその実力を発揮するのだと考えます。もし、常任時代にザールブリュッケン放送響との来日が果たされていれば評価は変わったと思いますが、それも果たせぬままです。
おそらくは、ヘルビッヒはこのまま脚光を浴びることなく、「ちょっと良い指揮者」として終わるのかもしれません。でも、私は若い頃の颯爽としたハイドン、最近の優しさに満ちたマーラーを聴くと、ヘルビッヒも一流の芸術家だと思っています。
2006年8月20日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記