「わが生活と音楽より」
コダーイとヤナーチェクのピアノ曲を聴く

文:ゆきのじょうさん

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 「東欧」という括り方に問題があることは認めますが、私がクラシック音楽を聴き始めた当初、「東欧の作曲家」というと、ドヴォルザークとスメタナくらいのものでした。それから色々な曲を聴くようになって、上記二人にコダーイ、ヤナーチェクという名前が加わりました。しかし、もっぱら管弦楽曲や交響曲などのレパートリーに偏っていたために、二人の作曲家とも、どこか取っつきにくい印象があって、聴き込んでいくところまでいかなかったのです。

 そんな私が持っていた先入観という名の偏見を多少なりとも修正させてくれたディスクを紹介したいと思います。

 

■ コダーイ

CDジャケット

コダーイ・ゾルタン:
・7つのピアノ小品 作品11
 レント
 セーケイ族の哀歌
 巷に雨が降るように
 墓碑銘
 静かに
 セーケイ族の民謡
 ルバート

・ドビュッシーの動機による瞑想曲
・9つのピアノ小品 作品3
・ヴァルセット(小ワルツ)

ギネッテ・コステンバーダー ピアノ 

録音:2002年6月29-30日、シュトゥットガルト・ピアノ・センター・マテウス
独ARS PRODUKTION(輸入盤 FCD 368 419)

 コダーイ・ゾルタンは1882年生まれ、1967年に亡くなっているハンガリーの作曲家です。私が生まれてからの時間と重なっているところがあったという事実は意外に思えてしまいました。コダーイといえば、「ハーリ・ヤーノシュ」組曲ということになります。どこか屈折した音の響きがあり、ツィンバロム(ツィンバロン)の活躍が印象を深くしています。しかし、コダーイが作曲したその他の楽曲は聴いたことがなく、大学の合唱団がコダーイを採りあげていたのが、何となくの記憶に残っていることだけでした。

 「7つのピアノ小品」の第1曲「レント」は、私が抱いていたコダーイの印象そのままの響きでしたが、第2曲「セーケイ族の哀歌」に移りますとどこか郷愁を感じるような色合いが入ってきます。「墓碑銘」や「静かに」にも、どことなく新ヴィーン楽派のような雰囲気もありながら、懐かしい民謡を聴いているようでもあります。最後の「ルバート」は音の振幅が大きく、情熱が込められた曲と感じました。「ドビュッシーの動機による瞑想曲」では一転して、タイトル通りドビュッシーのような柔らかく深い響きになっています。黙って聴かせられたら東欧の作曲家の曲とは、私は思わないでしょう。「9つのピアノ小品」は「7つのピアノ小品」と比べると郷愁よりは純粋に音楽の陰影を楽しめるものとなっています。最後の「ヴァルセット」は小粋なアンコール曲のようでもあります。

 

■ ヤナーチェク

CDジャケット レオシュ・ヤナーチェク:

・草陰の小径にて 第1集
 われらの夕べ
 散りゆく木の葉
 一緒においで
 フリーデクの聖母マリア
 彼女らは燕のように喋り立てた
 言葉もなく
 おやすみ
 こんなにひどく怯えて
 涙ながらに
 ふくろうは飛び去らなかった

・ピアノ・ソナタ「1905年10月1日、街頭にて」
 第1楽章 予感
 第2楽章 死

・ただ先の見えない運命のみ
・霧の中で

萱原祐子 ピアノ

録音:2003年11月22-23日、プラハ、聖ヴァヴジネッツ教会
デンマークCLASSICO(輸入盤 CLASSCD 701)

ヤナーチェク(1854-1928)はコダーイと比較すると聴いた曲は多い、と言っても「グラゴル・ミサ」「タラス・ブーリバ」、「シンフォニエッタ」だけでした。オペラ「利口な女狐の物語」や、弦楽四重奏曲の「クロイツェル・ソナタ」「ないしょの手紙」などはタイトルに惹かれて聴いてはみたものの、実のところよく分からない音楽という印象でした。したがって、フィルクスニーが世に広めたというピアノ独奏曲については、聴くこともなく過ごしてきたのです。

 そんな私がなぜ、ヤナーチェクのピアノ曲を聴こうとしたのかと言えば、これは「ジャケ買い」に他なりません。そのような訳で音楽にさして期待もなく聴き始めた私は、冒頭の「われらの夕べ」でたちまち、その魅力に惹かれてしまいました。日本語訳もついているジャケットの解説書も参考にすると、この小曲集はスラヴ民謡を題材にして、我が子の死を悼んで書かれたということです。この予備知識がなくても、少しもの悲しく、そして切々とした想いと穏やかさが交叉する響きは聴き飽きません。続く「1905年10月1日、街頭にて」は、故郷ブルノ市における民族主義からのデモに対する弾圧で労働者が命を落とした事件に触発されて書かれたと言います。その後ヤナーチェク自身が第3楽章を焼却、残りも川に投げ捨ててしまうという劇的な挿話を持つ曲だそうですが、やはり予備知識なく聴いても印象的なリズムが全曲を通して聴きとることができ、音楽は深く、哀切に満ちて訴えかけてきます。「ただ先の見えない運命のみ」はわずか1分足らずの小曲です。晩年のスケッチなのだそうですが、内に向かう抒情は他の曲と同じながらも、もっと安寧が与えられているように感じます。最後の「霧の中で」は、コダーイのアルバムにもあったドビュッシーの影響がある曲なのだそうです。確かにタイトル通りに茫洋とした霧のような、とらえどころが希薄な、漂う音に満ちています。

 

 

 ふとした偶然で手にした二枚のディスクですが、どちらも民族主義という枠取りで感じられる民謡などの題材を用いているところと、フランス印象主義のようなふわりとした音楽が同居した、魅力あるピアノ曲でした。

 

■ 余談として:街灯

 

 それにしても気になるのは、ヤナーチェクのジャケットです。これは川を望む道と街灯が写っている写真です。単純な連想としては、「1905年10月1日、街頭にて」をヤナーチェクが投げ捨てたヴルタヴァ川沿いの道ではないかとなってしまいます。

 さらに、写っている街灯は象徴的なものに感じます。というのも他のヤナーチェクのディスクにも同じものか、似たデザインの街灯が使われているからです。

CDジャケット

レオシュ・ヤナーチェク:
 弦楽のための組曲(1877年)
 弦楽のための牧歌(1878年)
ドヴォルザーク:
 夜想曲作品40
 二つのワルツ作品54

パトリック・シュトループ指揮シュトゥットガルト・アルカータ室内管弦楽団

録音:2004年7月、シュトゥットガルト、SWRヴィラ・ベルク
独Profil(輸入盤 PH04021)

 両ディスクとも、この街灯の出自についての記載はなく、ネットで調べた範囲でも手がかりはありませんでした。しかし、ヤナーチェクを語る上で何らかのメッセージを、この街灯が語っているように思えてなりません。

 

2009年5月12日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記