「わが生活と音楽より」
メンデルスゾーンをいろいろ聴いてみる(1):初期協奏曲集文:ゆきのじょうさん
今年はメンデルスゾーン生誕200年ということです。日本にも「日本メンデルスゾーン協会」というのがあり、その役員のお一人を個人的に存じ上げているのですが、私自身はさほど熱心な聴き手というわけではありませんでした。クラシック界が「メンデルスゾーン・イヤー!」と大々的に騒いでいるという空気もあまりなく、仮に騒ぎ立てていてもそれには見向きはしないような私ですが、いつもよりはディスクを聴く機会は多くなっています。そこで古い録音も含めて、私なりのメンデルスゾーンを不定期に採りあげてみたいと思います。
まだ2009年半ばなのですが、個人的にはメンデルスゾーンの新譜の中で今年最大の収穫と考えたいディスクを第一回としてご紹介します。
フェリックス・メンデルスゾーン:
ヴァイオリン協奏曲ニ短調
ピアノ協奏曲イ短調
ヴァイオリンとピアノのための協奏曲ニ短調アレクサンダー・シトコヴェツキー ヴァイオリン
ディノラ・バルシ ピアノ
ミヒャエル・ホフステッター指揮シュトゥットガルト室内管弦楽団録音:2007年9月27-29日、シュトゥットガルト・リーダーハレ(モーツァルト-ザール)
独ORFEO(輸入盤 C761092A)メンデルスゾーンの協奏曲というと、有名なホ短調作品64があります。私が小さい頃はメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲というとホ短調協奏曲しかないものといわんばかりの状態でした。それがある時、実はメンデルスゾーンは若い頃もう一つヴァイオリン協奏曲を書いていたのだ、ということが、あたかも衝撃の新事実かのように書いた文章を読んだことがありました。今、調べてみると発見したのはメニューインで、1951年のことだったそうですから、私が読んだときは既によく知られていたはずなのですが、読んだときは「へぇー」と思ったものです。
さて、聴き始めるとまさに目が覚めるような演奏とはこのようなものを指すのだと言いたいくらいの、勢いのある弦楽器の合奏が始まります。モダン楽器によるモダン奏法であるのに生ぬるさなど微塵も感じさせません。音の出し入れのみならず全体の響きが見事に統一されています。ここにソロが文字通り飛び込んできます。アレクサンダー・シトコヴェツキーは1983年モスクワ生まれ、現在イギリスで活動しているそうですが、実に爽やかな初夏の風のように弾いています。妙な小細工を施すことはなく淡々としているようでいて主張するところはしっかりと主張している演奏は、聴いていて実に楽しいものです。第二楽章は甘く連綿と弾ける部分でさえも折り目正しさを残しています。そして終楽章ではとても美しくヴァイオリンを響かせ、弦楽合奏ともども熱を帯びて最後を颯爽と締めくくります。機械的な響きに陥ることなく活き活きとした音楽がここにあります。
次のピアノ協奏曲は私にとってはもっと馴染みの薄い曲ですが、オケは先ほどとは変わってもっと柔らかい表情を前面に出しつつ、時にはっとさせるような異質な色合いを混ぜてきます。そしてたっぷりとした音色でピアノが始まるのです。独奏を受け持つバルシというピアニストを私は初めて聴きました。調べてみると1967年クララ・ハスキル・ピアノコンクールで優勝しており、さらにグリュミオーの伴奏を努めたディスクがある、ウルグァイ生まれのピアニストなのだそうです。生年は不詳ですが上記経歴や解説書の写真をみても「高齢」と呼んで差し支えないと思います。しかし、ここでのピアノ演奏は実に濃厚で聴き手の心をかき乱すようなささくれはありません。迷いのない確かな響きを積み上げてきます。そこにオーケストラはぴたりと付いていきます。フレーズに受け渡しには無神経さはまったくないので、おそらくリハーサルでの打ち合わせには余念がなかったと想像できます。これは幻想的とでも表現すべき第二楽章や、独奏と伴奏の掛け合いがより複雑に絡み合う第三楽章でも同様です。取り立てて見栄えのする解釈はないと思うのですが、音楽が語る力はとても強いものがあります。
三曲目はシトコヴェツキーとバルシの協演による協奏曲です。各々の独奏では個性を発揮した二人が並び立つとどうなるのかという興味がわくのですが、結果、互いの個性をつぶすことなく尊重しながらも、ここぞと言うときにきちんとものを言う演奏になっています。第一楽章のカデンツァに相当する部分ではヴァイオリン・ソナタのような掛け合いが楽しめます。ここに弦楽合奏が回帰してくるときの刻みの鋭さも聴きものでした。細かいパッセージでソリスト二人は互いに音を揃えようという意識なく、音楽の流れでもってアンサンブルを作っています。思わず居住まいを正したくなるような気迫を感じます。
第二楽章で二人のソリストは安直に粘ることはせず、静かに音楽を重ねていきます。一つ間違えれば単調になってしまいそうな曲で緊張感を持続させながら紡いでいくのは流石だと思いました。第三楽章はもっと快速に効果を狙うこともできそうですが、二人は一つ一つの音符をないがしろにせず、ひたむきに演奏していきます。オーケストラの合いの手の輝きもすばらしく最後も充実した余韻を残します。
ところで、このたった37分の曲だけが2枚目のCDに収録されています。これは想像ですが、企画当初は3曲でぎりぎり1枚のCDに収録するつもりではなかったかと思います。しかし丁寧な演奏がそれを許しませんでした。それならば何か小曲を急遽演奏して2枚目の余白に埋め込んでいくという安易な発想がでてきて良いと思うのですが、演奏者を含めた創り手たちはそれを許さなかったことになります。今回演奏するのはこの3曲であり、それ以上でもそれ以下でもないという主張が伝わってきます。それは同時にこの3曲の録音に自信と誇りがあるからに他ならないのです。
2009年6月23日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記