「わが生活と音楽より」
モーツァルトのオペラのピアノ編曲版を聴く文:ゆきのじょうさん
ドン・ジョヴァンニ ―アドヴェンチャー・オン・ザ・ピアノ
- モーツァルト/フンメル編:『ドン・ジョヴァンニ』序曲
- ベートーヴェン:アレグロ・モルト(ディアベリ変奏曲〜第12変奏)
- モーツァルト/ビゼー編:手を取り合って
- J.B.クレーマー:序奏、アリアと変奏曲
- クレメンティ:「ぶってよマゼット」による序奏とコーダ
- F.X.W.モーツァルト:ドン・ジョヴァンニのメヌエットによる変奏曲
- シューマン:モーツァルトによる小品
- ラインベルガー:「恋人よこの薬で」による小品 作品68-2
- ヘルツォーゲンベルク:ドン・ジョヴァンニの主題による変奏曲
- モーツァルト/ドルン編:ドン・ブラヴィ、ヴィア、バラテ
- モーツァルト/ビゼー編:ドン・ジョヴァンニ、ア・チェナル・テコ
バベッテ・ドルン ピアノ
録音:2005年7月25-27日、ビーレフェルト、ルドルフ・エトカー・ホール
欧Genuin(輸入盤 GEN86052)フィガロの結婚 ―ロマンス・オン・ザ・ピアノ
- モーツァルト /フンメル編曲:『フィガロの結婚』序曲
- カルクブレンナー(1785-1849):序奏とロンド
- ベートーヴェン:『伯爵様が踊るなら』による12の変奏曲 WoO40
- フンメル:『もう飛ぶまいぞ、この蝶々』による幻想曲
- モーツァルト /マルクス・ライデスドルフ編曲:愛の神よ照覧あれ
- モーツァルト /タールベルク編曲:恋とはどんなものかしら 作品70-20
- フェルディナント・リース(1784-1838):『貞節な恋人たち』の主題による7つの変奏曲 作品66-1
- モーツァルト /マルクス・ライデスドルフ編曲:なくしてしまったわ、私は不幸ね
- ツェルニー:華麗な変奏曲 作品493
バベッテ・ドルン ピアノ
録音:2005年8月19-21日、ビーレフェルト、ルドルフ・エトカー・ホール
欧Genuin(輸入盤 GEN86067)魔笛 ―マジック・オン・ザ・ピアノ
- モーツァルト/フンメル編:『魔笛』序曲
- クレメンティ:ソナタ作品47-2よりアレグロ・コン・ブリオ
- フェルディナント・リース:幻想曲
- C.G.ネーフェ:変奏曲
- ベートーヴェン/ドルン編:『魔笛』による変奏曲WoO46(チェロのための)〜第7変奏
- J.B.クラマー:魔笛のアリアによる変奏曲
- モーツァルト/編者不明、1850年頃:『魔笛』第2幕より「静かに、静かに、静かに、静かに」
- ラインベルガー:魔笛の動機による即興曲 作品51
バベッテ・ドルン ピアノ
録音時期:2006年7月16-17日、2007年2月6日、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス、メンデルスゾーン/ザール
欧Genuin(輸入盤 GEN86075)モーツァルトの有名なオペラ「ドン・ジョヴァンニ」「フィガロの結婚」「魔笛」の中の曲目をピアノ独奏に編曲した曲ばかりを集めたというディスクがシリーズで出ていました。ピアニストはバベッテ・ドルン。ドイツ生まれのピアニストで特に派手なコンクール受賞歴やメジャー・レーベルでの活躍がないためあまり知られていませんが、この3枚のディスクに見られるように、隠れた名曲の発掘に熱心な演奏家のようです。
こうして3枚を並べてみますと、フンメルは序曲の編曲に熱心だったようですし、ベートーヴェンは変奏曲に取り入れています。ビゼーは「ドン・ジョヴァンニ」を好んでいたようですし、ラインベルガーも気に入っていたようだと感じられます。
編曲版はオリジナルより劣るという考え方はクラシック音楽の分野でも、特に見られる姿勢でありますが、そのようなオリジナリティ尊重主義というべき考え方は、近年の著作権の普及からもたらされているものであって、古来の芸術は模倣が当たり前であったことは『日本文化の模倣と創造』(山田奨治著、角川選書、2002)などの記述にも明らかであるところです。バッハもヴィヴァルディの編曲を行っていますし、ベートーヴェンの有名な曲のテーマも、それ以前の作曲家の作品から拝借されていることも分かっています。しかし、そうした行いは決して作曲家の資質を損ねるものではありません。そもそも模倣するという所作が悪であるという価値観が存在していなかったのですから。
ここで採り上げられている編曲版もいわばコピー商品なわけですが、ずらっと並べてみますとそれぞれに原曲の持ち味を十分に吟味して、ピアノ独奏での効果を考えられた作品ばかりだと思います。また、そうした作品をドルンが選択しているのでしょう。編曲者がモーツァルトの書いた楽譜のどれを削り、どのように味付けを施すのか、1台のピアノで歌劇場での世界観をどこまで出すのか、それともあえて背を向けるのか、和歌の世界にある「本歌取り」にも似た視線でこれらの曲は描かれています。
序曲におけるフンメルの編曲は歌劇場の空気をできるだけ取り込もうとしたものでしょう。歌劇場に足を運べない人々に向けて、イマジネーションをもたらす格好の空気がここにはあります。ビゼー編曲版も意外なほどに原曲の持ち味をできるだけ残そうとしています。一方、タールベルクはモーツァルトを題材にして己の超絶技法や才能を披露することに(良い意味で)執心しています。ヘルツォーゲンベルクやラインベルガーも同じような向き合い方だと思います。
そして、興味深いのは演奏者のドルン自身の編曲版です。原曲の持ち味をできるだけ保とうとする反面、新鮮な響きを取り混ぜようとしています。ベートーヴェンが書いた変奏曲をピアノ独奏にするときにも、モーツァルトとベートーヴェンのバランスを微妙に変化させているのです。
これらの曲を聴いていて、もっとも楽しいのはこうしたモーツァルトとの距離感や角度の変化だと考えます。それはモーツァルトを起点にするのではなく、これらの曲の味わいから原曲の姿を見ていくことだと思うのです。
このような企画はモーツァルトだけに成り立つことなのかどうか、ドルンのこれからのCDを楽しみにしていきたいと思います。
2011年1月14日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記