「わが生活と音楽より」
二枚のR.シュトラウス/「アテネの大祭」を聴く

文:ゆきのじょうさん

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 最近、知人から「ケンペ/カペレのリヒャルト・シュトラウス/管弦楽・協奏曲全集の中での名盤は何か?」と聞かれました。私の答えは次のようなものでした、「管弦楽全集では『メタモルフォーゼン』、協奏曲全集では『アテネの大祭』。」。前者はともかくも、後者の答えは知人にとってはかなり意外な様子でした。

 

■ 「アテネの大祭」

 

  「アテネの大祭」という曲はあまり、というか殆ど一般には知られていないと思います。原題は》Panathenaeenzug《, Sinfonische Etuden in Form einer Passacaglia fur Klavier(linke Hand) und Orchester Op.74というもので、「アテネの大祭の行進曲(または『行列』)、(左手の)ピアノと管弦楽のためのパッサカリア形式による交響的練習曲 作品74」と直訳できるかと思います。邦題では「パンアテネ行進曲」「パンアテネの行列」「パンアテネの大祭」「アテネ大祭の行列」など多岐に渡っていて統一されていません。本稿ではケンペ/カペレの国内盤全集(TOCE-7542-51、以下「国内盤」)での表記に従いました。

プログラム

 さて、原題から分かりますように、この曲は左手のピアノがソロになる形式です。左手のピアノと言えば、ラヴェルの協奏曲がすぐ思い浮かびます。そして戦争で右腕を失いながらも演奏活動を続け、哲学者ルートヴィヒの兄でもあるパウル・ヴィトゲンシュタインが連想されます。実際、この曲はパウル・ヴィトゲンシュタインのために書かれました。初演は国内盤の解説書では「1928年3月11日にパウル・ヴィトゲンシュタインのピアノ、フランツ・シャルク指揮ウィーン・フィルで初演」との記載ですが、これは「ウィーン初演」を指しているようです。実際の世界初演は、私が所有するコンサートパンフレットからみて、1928年1月16日、パウル・ヴィトゲンシュタインのピアノ、ブルーノ・ワルター指揮ベルリン・フィルでの演奏会だと思います。

 編成は、フルート(うち1本はピッコロ持替)3、オーボエ2、イングリッシュ・ホルン、クラリネット2、 バス・クラリネット、ファゴット3、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、テューバ、 ティンパニその他の打楽器、ハープ、チェレスタ、弦楽という大編成の管弦楽に、ピアノ独奏というものです。パッサカリアと銘打たれていますが、これは51(約55という記載もあります)変奏から成るそうで、全体は大まかに、前半(アレグロ) - スケルッツォ - 緩徐楽章 - 終曲(行進曲のフィナーレ)と捉える表記と、導入部 - 二つの間奏曲 - コーダとする表記がありました。いずれにせよ4つの部分に分けて考えられるという点では一致しています。

 さて、それでは現在もっとも入手が容易であり、私がこの曲との出会いでもあったケンペ盤にて、この曲を聴いていきましょう。例によって、手元には楽譜はなく、あくまで、聴いたままの印象となることをお許しください。

 

■ レーゼル/ケンペ盤

CDジャケット

ペーター・レーゼル ピアノ
ルドルフ・ケンペ指揮シュターツカペレ・ドレスデン

録音:1976年1月29-31日、ドレスデン、ルカ教会
英EMI(輸入盤 0777 7 64342 2 3)

 冒頭は金管楽器による華々しいファンファーレから始まります。すぐにピアノソロがこれまた華麗なカデンツァを奏で、低弦によりテーマが呈示されてピアノも参加して変奏になっていくのですが、実に味わい深く、どことなく懐かしさを感じさせるやりとりが繰り広げられていきます。ケンペの指揮は変奏毎に微妙にアンサンブルのバランス、ほんのわずかなテンポの揺れ、弦や木管において音の末尾の洒落た処理を入れていくので、まったく飽きることがありません。この時代のカペレの奏者たちのこれ見よがしではないがよく聴けばとんでもないくらいの名人芸を繰り広げている点が、この演奏をより素晴らしいものにしていることも特筆しなくてはなりません。やがてオケが止み、ピアノ独奏になるのですが、ここでのレーゼルの演奏が実に極上です。左手だけで弾いていることも忘れてしまうような美しい響きが横溢し、これにケンペ/カペレが加わって、それはそれはしっとりとした演奏になっていくあたりが、私にとって胸がいっぱいになってしまうところです。

 突如、ティンパニが鋭い響きで分け入り、スケルッツォの部分に移っていきます。音楽は明るさを増し、シュトラウスの他の交響詩のような色合いも強くなります。旋律やリズムは万華鏡のように変わっていき、緩徐楽章の部分になります。ここでのハープと木管楽器、そしてチェレスタが入ってくるところは、夜想曲のような静けさが感じられます。ここでのケンペの音楽の呼吸の深さもとても自然です。

 次に嵐の海のような情景が思い浮かぶ激しい音楽になりますが、すぐ冒頭のファンファーレがそれをなぎ払い、ピアノ独奏が始まります。レーゼルはしみじみとした、音もなく雲海を分け入って飛んでいるような演奏をしています。ここでもケンペ/カペレが寄り添うように、そっと入ってくるところが絶品です。両者は次第に音量を増し、すぐ冒頭のファンファーレが鳴り響き、音楽は歓喜の度合いを強めて、華麗な終結を迎えます。

 ペーター・レーゼルは今でこそ、ドイツのピアニストの中でも指折りの巨匠の一人という評価が我が国ではされていますが、1945年生まれですので、録音時は31歳、当時の解説では「新進気鋭の東独のピアニスト」と書かれていました。

 現在、この曲のディスクで入手が容易なのは私が知る限り、このレーゼル/ケンペ盤が唯一といって良い状況です。最近のディスクでは、クルト・ライマーのピアノ、ギュンター・ナイトリンガー指揮ニュルンベルク交響楽団(独COLOSSEUM COL9200-2)もありますが、ここではもう一つのディスクであるゴウラリ/リッケンバッハー盤を採りあげたいと思います。

 

■ ゴウラリ/リッケンバッハー盤

CDジャケット

アンナ・ゴウラリ ピアノ
カール・アントン・リッケンバッハー指揮バンベルク交響楽団

録音:1999年7月、9月、バンベルク、コンサートホール
欧KOCH/SCHWANN(輸入盤 3-6571-2)

 実に雄大で浪々としたファンファーレから始まります。続くピアノのカデンツァが華麗なのはレーゼル/ケンペ盤と同様ですが、その後のテンポはゆったりとしていて、じっくりと歌い上げられていきます。リッケンバッハーの指揮は頑ななまでのインテンポなのでピアノとの絡みではやや穏和な印象を受けてしまいますけど、ヴァイオリン両翼配置なので掛け合いがよく分かり、この曲の新たな楽しみが得られています。ゴウラリのピアノは変奏毎に音色をわずかに変えつつも、温かい表情を崩しません。レーゼルが豪胆さに優るとすれば、ゴウラリは優美さに優ると言えるかもしれません。

 さて、スケルッツォの部分に移行すると、リッケンバッハー指揮のオーケストラはしっかりとした土台と柔らかくソロを包むようになっていきます。ゴウラリはテクニックには文句のつけようもないのですが、声高に主張を強めることなく、淡々と演奏していきます。

 ところが緩徐楽章の部分になりますと、逆にゴウラリは主張が強まっていきます。オケのインテンポに基本的に合わせていても、所々でニュアンスを強めてわずかにテンポを崩してみたりしていきます。起伏の激しい部分になるとかなり熱を帯びた演奏となり、その勢いでピアノソロになるのですが、ここからが全曲の頂点とゴウラリは捉えているのでしょう。感情が高ぶり、左手一本での演奏であることを忘れるくらいの熱演となっています。それはオケが加わってからも同様で、ゴウラリのピアノが思うがまま情熱を込めて弾ききると、リッケンバッハー指揮するオケもアッチェランドがかかって堂々と締めくくっています。

 ゴウラリは1972年にカザンで生まれた女流ピアニストだそうですから録音当時は27歳くらいということになります。ディスクは余り多くはないのですが特筆すべきはコリン・デイヴィス/カペレの伴奏でベートーヴェン/ピアノ協奏曲第3番のディスクがあることです。それも自身がピアニスト役として出演した映画のための録音ということです。余りメジャーの舞台には立ちませんが、注目すべき才能の持ち主だと思いますし、これを機会に買い求めたディスクでも今後採りあげたいものに巡り会うことができました。今年来日という情報もありますので、注目したいと考えています。

 

■ 再びレーゼル/ケンペ盤

 

 ゴウラリ/リッケンバッハー盤は、「知られざるリヒャルト・シュトラウス作品集」というシリーズの第11巻に当たります。このシリーズの曲目一覧と比較するまでもなく、ケンペ/カペレの「全集」は厳密な意味での全集ではありません。それは、シュトラウスが20歳代で書いた交響曲2曲や、「祝典前奏曲」、「日本建国2600年祝典曲」などが録音されていない事実だけで明白です。また協奏曲集においても、「チェロと管弦楽のためのロマンツェ」を録音していないので、真の意味での全集ではありません。しかし上記事実をもって、ケンペ/カペレの「全集」の価値が落ちると言いたい訳ではありません。

 ここで申し上げたいのは、二つのことです。第一に、ケンペ/カペレの「全集」がケンペの死で未完に終わったという認識がない以上、初めから(ケンペ側なのか、EMI/Eterna側の意向なのかは分かりませんが)録音曲の取捨選択が行われて「全集」が作られたのだろうということ。第二には、「アテネの大祭」が(EMIのデータに依れば)「全集」の最後に録音されたということです。

 「アテネの大祭」の出来映えをシュトラウス自身は満足していたようですが、初演時の批評は好意的なものではなかったと伝えられています。そして、何よりも「歴史的」事実としてこの曲がコンサートや録音で頻繁に演奏されるものではありませんでしたし、現在も大家のピアニストが挙って録音するとは想像できません。2台のピアノのための編曲版も存在しますが、それもコンサートレパートリーにはなり得ていません。すなわち、名曲かどうかという基準に照らし合わせれば、そうではない範疇に分類されることに誰もが反対はしないだろうということになります。

 ラヴェルの協奏曲、同じシュトラウスが作曲した「ブルレスケ」と比べるまでもなく「アテネの大祭」はピアノソロが終始演奏するのにあまり目立たず、管弦楽に埋没しがちです。また、曲のところどころには魅力的な部分もあるものの、特にスケルッツォの箇所では繰り返しが多く全体に冗長さが拭えません。パッサカリアという変奏曲形式を採っているというものの、(比較するのには無理があるのでしょうが、例えばブラームス/第4の終楽章のような)統一感がないことを欠点に挙げている記載もありました。

 私が知る限り、ケンペはコンサートでこの曲を採りあげた記録は見あたりませんでした。たぶん、ケンペは録音時に「アテネの大祭」を初めて振ったと思います。それ故、意地悪な見方をしてしまえば、この曲はケンペ/カペレの「全集」から外されても文句は言えない立場にあったと言うこともできます。それにもかかわらず、ケンペは録音を遺しました。しかも、これはケンペの生涯からみると、まさしく最晩年の公式録音になります。以下に1976年のケンペの活動を列記します。

1976年1月20-21日

ミュンヘン、ブルックナー/交響曲第4番を録音

1976年1月27日

ドレスデン、カペレとの最後の演奏会

1976年1月28-29日

ドレスデン、鎮魂交響曲、組曲「火の鳥」を録音

1976年1月29-31日

ドレスデン、アテネの大祭、家庭交響曲へのパレルゴンを録音

1976年2月18日

ロンドン、BBC交響楽団との最後の演奏会

1976年3月1日

ミュンヘン、ミュンヘン・フィルとの最後の演奏会

1976年5月12日

チューリヒで死去

 ケンペが自らの死期を悟っていたであろうことは公然の秘密であったと思います。BBC響との常任指揮者としての任期は全うできないだろうということは周囲の暗黙の了解であったこと、それまで半年毎にミュンヘン・フィルと録音してきたブラームスの交響曲全集最後の、第3番の録音だけは第2番と間を置かずに録音したことからも、そう考えざるを得ません。そんな最晩年において、ケンペは多くの人が見向きもしないような「アテネの大祭」を、同じく左手ピアノのための「家庭交響曲へのパレルゴン」と共にレーゼルと録音しました。これで「全集」として完結しただけでなく、近郊に生まれ、子供時代に「魔笛」の演奏を聴き、オーボエ奏者として教育を受け、常任指揮者として一緒に仕事もしたカペレとの録音が一区切りついたのです。その後の録音計画があったとしても、それは叶わぬ事になるだろうともケンペは考えていたでしょう。いわば惜別の録音の一つが、この「アテネの大祭」だったのです。今までの「アテネの大祭」の扱いからみれば録音しなくても良いような曲を、ケンペが残された人生の最後において録音したというのは、確かに意味はあったのだと私は考えます。カペレとの録音の後、ケンペは、BBC響とのラスト・コンサートで火の玉のような熱演でブラームス/第4を指揮しました。そして、ミュンヘン・フィルとはカーニバル・コンサートと題して、文字通りお祭り騒ぎの演奏会をケンペ自身が企画し指揮しました。イギリスでもドイツでも、聴衆は次のケンペのコンサートを楽しみにしていたでしょう。しかし、「次」はありませんでした。

 しかし、この録音は、そんな感傷めいたものは微塵も感じさせないものとなっています。タイトルこそ「アテネ」ですが、ここで奏でられているのは、紛うことなきドイツの音楽だと感じます。それも気取った舞踏会などでの音楽ではなく、例えるならばビアホールで、ビールの泡がはじけるのに合わせて自然に沸き上がる歓喜の合唱のような音楽なのです。

 「アテネの大祭」は名曲ではありません。今後も名曲にはならないでしょう。しかし、私はケンペ/レーゼルの演奏でこの曲に巡り会い、この曲を聴いていく中でゴウラリというピアニストにも巡り会いました。だから、「アテネの大祭」は私にとって大切な曲の一つになっているのです。

 

2009年2月12日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記