ゴウラリ/リッケンバッハー盤は、「知られざるリヒャルト・シュトラウス作品集」というシリーズの第11巻に当たります。このシリーズの曲目一覧と比較するまでもなく、ケンペ/カペレの「全集」は厳密な意味での全集ではありません。それは、シュトラウスが20歳代で書いた交響曲2曲や、「祝典前奏曲」、「日本建国2600年祝典曲」などが録音されていない事実だけで明白です。また協奏曲集においても、「チェロと管弦楽のためのロマンツェ」を録音していないので、真の意味での全集ではありません。しかし上記事実をもって、ケンペ/カペレの「全集」の価値が落ちると言いたい訳ではありません。
ここで申し上げたいのは、二つのことです。第一に、ケンペ/カペレの「全集」がケンペの死で未完に終わったという認識がない以上、初めから(ケンペ側なのか、EMI/Eterna側の意向なのかは分かりませんが)録音曲の取捨選択が行われて「全集」が作られたのだろうということ。第二には、「アテネの大祭」が(EMIのデータに依れば)「全集」の最後に録音されたということです。
「アテネの大祭」の出来映えをシュトラウス自身は満足していたようですが、初演時の批評は好意的なものではなかったと伝えられています。そして、何よりも「歴史的」事実としてこの曲がコンサートや録音で頻繁に演奏されるものではありませんでしたし、現在も大家のピアニストが挙って録音するとは想像できません。2台のピアノのための編曲版も存在しますが、それもコンサートレパートリーにはなり得ていません。すなわち、名曲かどうかという基準に照らし合わせれば、そうではない範疇に分類されることに誰もが反対はしないだろうということになります。
ラヴェルの協奏曲、同じシュトラウスが作曲した「ブルレスケ」と比べるまでもなく「アテネの大祭」はピアノソロが終始演奏するのにあまり目立たず、管弦楽に埋没しがちです。また、曲のところどころには魅力的な部分もあるものの、特にスケルッツォの箇所では繰り返しが多く全体に冗長さが拭えません。パッサカリアという変奏曲形式を採っているというものの、(比較するのには無理があるのでしょうが、例えばブラームス/第4の終楽章のような)統一感がないことを欠点に挙げている記載もありました。
私が知る限り、ケンペはコンサートでこの曲を採りあげた記録は見あたりませんでした。たぶん、ケンペは録音時に「アテネの大祭」を初めて振ったと思います。それ故、意地悪な見方をしてしまえば、この曲はケンペ/カペレの「全集」から外されても文句は言えない立場にあったと言うこともできます。それにもかかわらず、ケンペは録音を遺しました。しかも、これはケンペの生涯からみると、まさしく最晩年の公式録音になります。以下に1976年のケンペの活動を列記します。
1976年1月20-21日
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ミュンヘン、ブルックナー/交響曲第4番を録音
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1976年1月27日
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ドレスデン、カペレとの最後の演奏会
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1976年1月28-29日
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ドレスデン、鎮魂交響曲、組曲「火の鳥」を録音
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1976年1月29-31日
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ドレスデン、アテネの大祭、家庭交響曲へのパレルゴンを録音
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1976年2月18日
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ロンドン、BBC交響楽団との最後の演奏会
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1976年3月1日
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ミュンヘン、ミュンヘン・フィルとの最後の演奏会
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1976年5月12日
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チューリヒで死去
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ケンペが自らの死期を悟っていたであろうことは公然の秘密であったと思います。BBC響との常任指揮者としての任期は全うできないだろうということは周囲の暗黙の了解であったこと、それまで半年毎にミュンヘン・フィルと録音してきたブラームスの交響曲全集最後の、第3番の録音だけは第2番と間を置かずに録音したことからも、そう考えざるを得ません。そんな最晩年において、ケンペは多くの人が見向きもしないような「アテネの大祭」を、同じく左手ピアノのための「家庭交響曲へのパレルゴン」と共にレーゼルと録音しました。これで「全集」として完結しただけでなく、近郊に生まれ、子供時代に「魔笛」の演奏を聴き、オーボエ奏者として教育を受け、常任指揮者として一緒に仕事もしたカペレとの録音が一区切りついたのです。その後の録音計画があったとしても、それは叶わぬ事になるだろうともケンペは考えていたでしょう。いわば惜別の録音の一つが、この「アテネの大祭」だったのです。今までの「アテネの大祭」の扱いからみれば録音しなくても良いような曲を、ケンペが残された人生の最後において録音したというのは、確かに意味はあったのだと私は考えます。カペレとの録音の後、ケンペは、BBC響とのラスト・コンサートで火の玉のような熱演でブラームス/第4を指揮しました。そして、ミュンヘン・フィルとはカーニバル・コンサートと題して、文字通りお祭り騒ぎの演奏会をケンペ自身が企画し指揮しました。イギリスでもドイツでも、聴衆は次のケンペのコンサートを楽しみにしていたでしょう。しかし、「次」はありませんでした。
しかし、この録音は、そんな感傷めいたものは微塵も感じさせないものとなっています。タイトルこそ「アテネ」ですが、ここで奏でられているのは、紛うことなきドイツの音楽だと感じます。それも気取った舞踏会などでの音楽ではなく、例えるならばビアホールで、ビールの泡がはじけるのに合わせて自然に沸き上がる歓喜の合唱のような音楽なのです。
「アテネの大祭」は名曲ではありません。今後も名曲にはならないでしょう。しかし、私はケンペ/レーゼルの演奏でこの曲に巡り会い、この曲を聴いていく中でゴウラリというピアニストにも巡り会いました。だから、「アテネの大祭」は私にとって大切な曲の一つになっているのです。
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