「わが生活と音楽より」
サル・プレイエル ライヴを聴く文:ゆきのじょうさん
パリ・アンサンブル・オーケストラ:1988年6月21日 ライヴ
ロッシーニ:歌劇「絹のはしご」序曲
モーツァルト:ファゴット協奏曲KV.191
モーツァルト:ピアノ協奏曲第23番KV.488
J.S.バッハ:ブランデンブルク協奏曲第5番
ナウモフ:十重奏のためのモーメント集
ストラヴィンスキー(ナウモフ編):組曲「火の鳥」抜粋キャサリーヌ・マルケーゼ ファゴット
エミール・ナウモフ ピアノ
オリビエ・シャルリエ ヴァイオリン
アンドレア・グリミレルリ フルート
パリ・アンサンブル・オーケストラ
ベルナール・カルメル 指揮CREDIT LYONNAIS 自主制作(廃盤)
2005年12月25日は、私にとって記憶すべき日となっています。松本さんのピアノコンサートを聴くことができたからです。音楽が好きでたまらない人が晴れやかな気持ちで思う存分に一曲一曲を演奏して産み出していくとどうなるのか、その瞬間を体験できたことは得難い幸福でした。
このコンサートを聴いて帰宅した後に真っ先に聴いたのがこのディスクです。
タイトル通りに、これは1988年6月21日の演奏会を収録した2枚組CDです。全体で1時間48分、バッハがあり、現代音楽もあり、協奏曲もあればピアノソロもあり、と誠に統一感のない、まるでおもちゃ箱をひっくり返したようなプログラムです。さらにこのCDにはクレディ・リヨネというクレジットが入っています。リヨン銀行とでも訳せばいいのでしょうか、金融機関がスポンサーとなってCD制作(と演奏会)が為されたようです。
そしてもう一つクレジットが入っています。それが「サル・プレイエル」、日本風に言えばプレイエル・ホールです。CDジャケットにもアーチスト写真ではなく、そのサル・プレイエルの外観が掲載されています。
プレイエルとは何か。調べてみるとフランスのピアノメーカーでした。ピアノと言えば、スタインウエイ&サンズとベーゼンドルファーしか知らず、もう一つのベヒシュタインを加えて三大メーカーということも初めて知ったくらいの無知な私なので、プレイエルというピアノメーカーは初めて知るところとなりました。
プレイエル社はイグナース・プレイエルによって1807年に創設されたそうです。このプレイエルはフランス人ではなくオーストリアの作曲家だったそうですが、パリに移住してピアノ製造会社を創ったといいます。1831年にイグナースが死去すると会社は息子のカミーユに引き継がれ発展しました。時はロマン主義の時代、カミーユはピアノ製作だけではなく芸術を振興する目的でホールも創ります。それがサル・プレイエルです。そしてカミーユ・プレイエルが音楽史上に重要な役割を果たしたのは、フレデリック・ショパンを見いだしたことです。1832年のショパンのデビューコンサートがサル・プレイエルで開催されたのはカミーユの支援があったからで、以後、ショパンは1849年の生涯最後の演奏会まで、パリでのコンサートを全てサル・プレイエルで行い、プレイエルピアノをこよなく愛し続けたと伝えられます。すなわち、サル・プレイエルが存在しなければ、今日私たちはショパンの音楽に触れることが出来なかったと言っても過言ではありません。
このように、たいへん由緒あるサル・プレイエルでの演奏会です。そう思って聴いてみると、演奏者が晴れやかな気持ちで演奏しているように思います。そして純粋に音楽を楽しんでいます。パリ・アンサンブル・オーケストラが真っ先にクレジットされていますが、ここでの中心はやはりエミール・ナウモフでしょう。音楽教育で知られるナディア・ブーランジェの最後の弟子で、フォーレ/レクィエムのピアノ独奏版などをつくる才人で自身も作曲をします。大変な美音の持ち主です。ここでも確固たるテクニックで楽しげに弾いていますが、なんとなくピアノの音が違います。モーツァルトでも、バッハでも美しくはあるけれど、どこかほの暗さを併せ持つ音色です。
プレイエルピアノが、スタインウエイ&サンズなどに比べて知名度がないのは、訳があります。スタインウエイ&サンズなどが大音響を出せるように改良が加えられて大きなコンサートホールでのリサイタルや、大オーケストラ相手の協奏曲でも互角に渡り合えるようになりました。一方、プレイエルは弾き易い軽やかなタッチと、明るくよく響く歌うような音色を特徴としているため、小規模のコンサートに向いているために商業主義の時代には合わなくなったからだと言います。プレイエル社も合併を繰り返した後に1970年とうとう倒産してしまいます。プレイエルの商標はドイツのピアノメーカーに買い取られてしまいます。
このCDでのコンサートで、ナウモフがプレイエル社のピアノを弾いているかどうかはパンフレットを見てもわかりません。ただ、小編成の管弦楽でのモーツァルトだけでなく、ブランデンブルク協奏曲でもピアノが出しゃばることなくアンサンブルに溶け込んでいるのを聴くと、これはやはりプレイエルピアノではないかと考えます。ピアノが大音響楽器ではなく、アンサンブル楽器として在るべき様に在る、それが如実にわかる演奏会です。
1970年以降、フランスでは伝統産業だったピアノ製造を今一度復興させる運動が起こります。財閥や政府の援助の下でピアノ製造会社をつくり、プレイエルピアノの技術者を集め 始めます。そして1996年にはプレイエルの商標を買い戻しました。
そうです、このCDに収録された演奏会が行われた1988年は、プレイエルを初めとするピアノ製造の伝統の復興、そしてフランスの音楽芸術を再度盛り上げようという運動が起こっていたその時期に当たります。自分たちが自分たちの音楽芸術を興していく、その気概が充ち満ちていたと言ってもいいでしょう。それ故、金融機関が援助してこの演奏会とCDが生まれたのかもしれません。ロッシーニもモーツァルトもバッハも、同じ言葉で語られています。分かりやすく軽やかで、明るく響く、まさにプレイエルピアノそのものの演奏。そしてナウモフ自身の作品は難解なゲンダイオンガクですが、フランスの芸術を押し上げようという意気込みがあります。最後は自身もプレイエルピアノを愛したというストラヴィンスキーの作品で締められるのは、やはり偶然ではないのでしょう。
この声高ではない、等身大の音楽を生み出そうという所作は、まさしく松本さんの演奏会で感じたものと同一です。自らの目線で、楽譜から音楽を紡ぎ出していく心地よさは聴き手にも共鳴をもって伝わるものです。この意味において、サル・プレイエルでの演奏会と、「シェ・リュイ」というフレンチレストランで行われた松本さんの演奏会とは通じるものがあると考えます。
サル・プレイエルは文化の象徴とみなされ、現在補修作業が行われていて現在は休館しています。2004年11月にフランス政府と管理しているIDSH社との間に50年の賃貸契約を結ばれています。そしてその間に公的機関へ譲渡されるそうです。2006年の初秋にサウ・プレイエルは一般に公開されます。その時、どんな音楽が鳴り響くのでしょうか。遠い欧州の地ゆえ、直接聴くことはかなわなくても、いつかはディスクで確かめてみたいものです。
2006年2月4日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記