「わが生活と音楽より」
サンパウロ交響楽団を聴く文:ゆきのじょうさん
2007年8月20日の当サイト掲示板の「:2008/2009年のコンサート」という話題において、伊東さんは次のように書かれました。
「面白そうですね。サンパウロ交響楽団なんて、どんな演奏をするのか想像もできません。・・・そういうワクワク感がいいですね。」
へぇ、サンパウロ交響楽団、かぁ。日伯交流年である2008年の10月に初来日なのですね。いったい南米のオケはどういう演奏をするのだろう? そう思った私は聴いてみることにしました。
南米のオケとして、現在脚光を浴びているのは何と言っても、ドイツ・グラモフォンが推しているグスターボ・ドゥダメルが率いる、ベネズエラ・シモン・ボリバル・ユース・オーケストラなのでしょう。若い伸び盛りの指揮者と、若いオーケストラとの組み合わせは、話題性十分です。一方、今回採り上げるブラジルのサンパウロ交響楽団は、1954年創立。指揮者のジョン・ネシュリングは1947年リオデジャネイロ生まれ、1997年からサンパウロ交響楽団の音楽監督に就任しているといいますから、四半世紀近くの歴史があるオケと、今年60歳になる指揮者の組み合わせということになります。
まずは、ドゥダメルと比較する気はないのですけど、このディスクから。
ベートーヴェン:
交響曲第5番 ハ短調 作品67「運命」
交響曲第7番 イ長調 作品92ジョン・ネシュリング指揮サンパウロ交響楽団
録音:2005年9月22-24、サラ・サンパウロ
伯Biscoito Classico(輸入盤 BC219)今、流行のヴァイオリン両翼配置(昔はヨーロッパ型などと記してありました)での演奏です。「運命」の冒頭は低音の響きが豊かで、文字通り轟々と鳴り響きます。しかし不思議なことに、重々しく鈍重という訳ではなく推進力があり音楽がぐいぐい進んでいきます。最近隆盛である、原典版とか、ピリオド奏法とか、ノンビブラートとか、等とは全く無縁の音楽作りです。弦楽器は歌うところは徹底的に歌い、弾むところは徹底的に弾みます。それでいて、全体的としてはこの曲らしい迫力に事欠きません。第二楽章はリズム感がよく躍動感が感じられます。色彩も明るく愉悦さすら感じます。第三楽章も妙な深刻さもないかわりに、先鋭的な響きを目指すことなく、堂々たる響きとリズムの冴えをみせて第四楽章に突入します。その第一主題は最初の二分音符、付点二分音符は浪々と歌い、その後の八分音符は畳みかけるような鋭さで演奏します。弦楽器のアタックは強めでぐいぐいと圧していくので、提示部が反復されても冗長な印象がありません。その後も転がらずに颯爽とフィナーレを迎えます。ちょっとびっくりしたのが、最後に盛大な拍手が入るところです。それまで観客ノイズなどなかったので、てっきりスタジオ録音だと思っていました。そこでCDジャケットを見直すとポルトガル語で「gravado ao vivo na sala sao paulo」と書かれており、直訳してみると、どうやらこのシリーズすべてが(当然編集されているようですが)ライブ録音のようです。
第7は序奏部の締めが柔らかく上品ですが、弦の刻みになると躍動感が溢れてきます。主部になるとさらに音楽は熱気を帯びて、金管も咆哮してくるのですが、悪い意味での「爆演」ではなく、指揮者の目配りが隅々まで行き届いている演奏です。このあたりは聴いていてドラマ「のだめカンタービレ」のオープニングのような高揚感があります。展開部後半にはティンパニがあざといばかりのクレッシェンドを見せたりしますが、不思議と嫌らしくはありません。第二楽章は音一つ一つはたっぷりと鳴り響きますが、平板ではなく揺れ動くようなリズム感が際だっています。第三楽章になると早めのテンポで一層心躍る気持ちにしてくれるので、最終楽章は燃え立つように演奏すれば良い・・・わけなのですが、確かに疾走感は抜群ですが羽目を外すような節操のなさは感じられず、ネシュリングはしっかりと手綱を握っているようです。それでも提示部の反復ではテンポが速くなってきていて、感興が豊かになってくるのが分かります。
全体を通して、この自然に溢れてくる迫力は一体何なのでしょうか?ここにはひたむきな「歌」があるのだと思います。ネシュリングは写真でみると仏頂面で怖い親父のようですが、ここでは満面の笑みで指揮しているような、そんな演奏です。
続いてのベートーヴェンのディスクは以下のものです。
ベートーヴェン:
エグモント序曲 作品84
交響曲第2番 ニ長調 作品36
交響曲第8番 ヘ長調 作品93ジョン・ネシュリング指揮サンパウロ交響楽団
録音:2004年3月18, 20日、5月13, 15日、サラ・サンパウロ
伯Biscoito Classico(輸入盤 BC211)エグモント序曲は早めのテンポで実に即物的、アタックが強く音の延ばしもない演奏です。編成は両翼ではなく従来の編成で、弦楽器奏者の数も少なくしているようです。ちょっと聴くと流行のピリオド奏法を彷彿とさせるものです。しかし次第に音楽は熱気を帯びてきて、一枚目のディスクで聴いた轟々としながらも加速度がついた音の塊が飛び込んでくるようになります。最後の勝利の音楽はお祭り騒ぎにならずに、落ち着いた堂々たるテンポで最後まで貫かれています。
第2番第一楽章序奏は、颯爽としたテンポで始まりますが、低音を十分に響かせているので音楽の質感はどっしりとしたものです。主部になると音楽は一気に加速していきます。しかしながら息苦しいような気ぜわしさはなく、むしろ喜びのような感情が込められている気がします。私にとっての白眉は第二楽章です。冒頭は実にロマンチックにテンポが揺らめきます。まるで歌曲を聴いているようです。その後、木管楽器はやや鋭く音を刻み、弦楽器はビブラートを綿々とかけて歌います。ネシュリングはアタックをワザと柔らかくしたり響きを変えたりと、変幻自在な個性的な指揮ぶりです。この曲に限らず、随所に気を引く解釈が聴かれますが、(私は持っていないので確認できませんが、一説によると)使用楽譜がベーレンライター版と従来版の折衷らしいので、そのためかもしれません。それにしても、この第二楽章がかくも面白く聴けたのは珍しいことでした。第三楽章は軽快なリズムです。しかしピリオド奏法というわけではなく、奏者たちが自然にもっているリズム感で演奏しているらしく、聴いていて無理がありません。第四楽章もティンパニの打ち込みの良さを始めとした沸き立つリズムが心地よいのですが、ただ熱狂的になっていくのではなく節度が保たれているのは、これもネシュリングの統率によるものでしょう。
第8番第一楽章の冒頭は実に堂々たるものです。ピリオド奏法の演奏から時として受ける窮屈さは微塵もなく、音楽はのびのびと響き渡っています。時代の流れからみれば、これは古色蒼然としたもので、目新しいものではないことは認めつつも、作為なく自らが信じるベートーヴェンを演奏すると、このような立派なものができあがるという見本のように思うのです。ネシュリングは後半になるとクレッシェンドを多用して、ワルターのモーツァルトのような「濃い」指揮をしますが、ちっともいやらしくはありません。第二楽章も落ち着いたテンポで始まりますが、途中で小刻みにテンポを動かします。第三楽章や終楽章になっても落ち着いたテンポ感はかわらず、第8番が初期の交響曲とは違う、音楽としての規模の大きさを内包していることをきちんと示していると感じました。
ベートーヴェン・シリーズの三枚目は以下のディスクです。
ベートーヴェン:
コリオラン序曲作品62
交響曲第1番 ハ長調 作品21
交響曲第4番 変ロ長調 作品60ジョン・ネシュリング指揮サンパウロ交響楽団
録音:2000年4月27, 29日、サラ・サンパウロ
伯Biscoito Classico(輸入盤 BC210)このシリーズの中では一番古い録音です。コリオラン序曲は、エグモント序曲と同様に即物的な切れのよい演奏ですが、やはり後半になると響きの厚い、躍動感がある演奏になっていきます。深刻さはないのですが、その後、ほとんど間を置かずに始まる第1番の明るさとのコントラストはしっかりついています。
さて、その第1番ですが序奏部のたっぷりとした響きから、主部は滅法速い演奏になります。ただ速いのではなく、そこには「ノリ」の良さがあり聴いていて心地よく最後まで一気呵成に聴かせてしまいます。フレーズの最後が転がらずに、しっかりと収められているのも好感が持てます。第二楽章もほとんど間がなく始まります。速めのテンポですが、ピリオド奏法のようではなく、音色はむしろ温かみのある歌心溢れるものです。活き活きとした第三楽章も楽しく、第四楽章も見事な疾走感で聴かせてくれます。
第4番もカルロス・クライバー並みの疾走感がありますが、クライバーが手練手管を用いているのに対して、ネシュリングは基本的に直球勝負です。しかしオーケストラのリズム感は、やはり素晴らしいものです。第二楽章においても合いの手の弦の刻みからして、「乗って歌って」います。ここぞというところでのビブラートも目一杯かけられており、そこには演奏が楽しくて仕方ないという屈託ない笑顔が伝わってきます。第三楽章トリオでの管楽器の歌いっぷりには、聴いていて思わずにんまりと笑みが出ました。第四楽章は予想通りのアクセル全開のスピードで始まります。しかしフレーズ毎に適度にテンポは緩められ、無闇に速いだけではありません。そのため木管での難しいパッセージのところもちゃんと余裕が与えられているので、必死さよりも洒落っ気を表すことが出来ています。フィナーレは誠に堂々たる締めで終わります。
ベートーヴェンの三枚のディスク全体を通してサンパウロ交響楽団の演奏は、決して超一流とは言えませんが、既に知られているオーケストラと比較して、大きな差はないと思いました。これはおそらくは指揮者のネシュリングのトレーニングの賜物と、そして録音技術の助けもあると思います。しかしそれらを差し引いても、演奏者たちの真摯さと、そして何よりも「楽しさ」が十分に伝わってきます。その結果、手垢にまみれたかのようであったベートーヴェンが、かくも生き生きと語りかけてくるのだと思います。この愉悦感を「リオのカーニバルや、サンバのよう」とか、「ブラジル風ベートーヴェン」と形容してしまうのは簡単ですが、決して破天荒なものではなく、ヨーロッパ音楽としての基本的な語法は維持していて、それに少しだけ味付けしているだけです。そう、ここにあるのは、オーセンティックでも伝統的でもなく、「私たちのベートーヴェン」でしかないのだと思います。それを演奏しているのがブラジルのオーケストラだから、カーニバルとかサンバという記号を後付けしたくなるだけなのだと思います。
ベートーヴェンについては、HMVのサイトで調べると、あと第9番がロベルト・ミンチュク指揮で存在しますが、「英雄」と「田園」はカタログにありません。気になってブラジル本国のサイトを見ると「田園」が出ているようでしたので、早速注文してみました。はたして地球の裏側から無事到着するのでしょうか?
さて、ベートーヴェン・シリーズはブラジルのレーベルであるBiscoito Classicoからのものでしたが、サンパウロ交響楽団はスウェーデンのBISレーベルにも録音があります。前述のベートーヴェンの第9で指揮しているミンチュクが指揮したブラジル風バッハのシリーズもあるのですが、ここではあえて以下のディスクを紹介したいと思います。
ロドリーゴ:田園協奏曲
ボルヌ(キアラメッロ編):カルメンの歌による華麗な幻想曲
イベール:フルート協奏曲シャロン・ベザリー フルート
ジョン・ネシリング指揮サンパウロ交響楽団
録音:2005年7月、サラ・サンパウロ
スウェーデンBIS(輸入盤 BISSACD1559)ジャケット写真で、いかにも今時のアイドル路線のように収まっているベザリーというフルート奏者を、私は初めて聴きました。1972年イスラエル生まれで、現在はスウェーデンに在住。日本のムラマツ製24金フルートを愛用しているとのことです。そんなベザリーが、わざわざ(?)ブラジルまで行って録音したこのディスクのどの曲も、たぶん初めて聴いた曲ばかりです。
まずベザリーのフルートですが、私は、フルートは素人なので見当はずれな感想かもしれないのですけど、とてもテクニックのある演奏家だと思いました。24金フルートの何かどのように違うのかも分かりませんが、音色は堅めで輝かしく感じました。
最初のロドリーゴは技巧的に滅法難しい曲なのだと思うのですけど、実に軽々と吹いています。元々フルートが前面に活躍する曲なのだからでしょうけど、サンパウロ交響楽団としての演奏はあまり目立ちません。
しかし、次のボルヌになるとオーケストラは編曲のせいなのか、一転して色彩感豊かになっています。ロドリーゴではベザリーに合わせることに専念したようなネシュリングの指揮ぶりですが、カルメンでは逆に先に仕掛けることが多いように思いました。特に「ジプシーの歌」から「闘牛士の歌」の変奏部ではオーケストラのノリがよいので、テクニシャンのベザリーがちょっと必死になっているように思えました。
最後のイベールも、サンパウロ交響楽団はリズムの刻みは前向きで際だっています。第一楽章は前のボルヌほどの興奮はありませんが、沸き立つような盛り上がりには欠けていません。第二楽章はソロとオケが一体となって典雅な響きを創り出しています。第三楽章は実に格好良く始まります。フランス音楽をブラジルのオーケストラが演奏するとどうなるのだろうと思っていましたが、そんな不安はもう全く感じません。最後も華やかに締めくくっています。
この組み合わせは何かの偶然で行われた一回だけのものではないようで、ベザリーの公式サイトを見ると、今年の5月にコンサートに出演し、7月にはレコーディングもしているようですから、ベザリー自身も良い印象を持っているようです。
伊東さんの書き込みから始まった、この試聴記ですが、とても満足できる出会いがありました。ベートーヴェンはライブ録音とは言うもののある程度は編集されているでしょう。でも実際の演奏会ではどんな演奏を聴かせてくれるのか、という期待感を持たせるには十分です。まだプログラムは発表されていないようですが、楽しみな来日です。
続編はこちらです。
2007年9月25日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記