「わが生活と音楽より」
スティングのダウランドを聴く

文:ゆきのじょうさん

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CDジャケット

STING: Songs From The Labyrinth
スティング ヴォーカル、リュート
エディン・カラマーゾフ リュート
録音:
2006年、イタリア
欧DG(輸入盤 1703139)

 おそらく、クラシック音楽、殊に古楽愛好家は眉をひそめ、ぶつぶつ言い、試聴してディスクを投げ出すか、端から黙殺するくらいの事件だと思います。こともあろうに、ロック歌手が16世紀イギリスのエリザベス王朝期の作曲家ダウランドの歌曲を歌ったディスクを、それもクラシックレーベルの大御所であるドイツ・グラモフォン(DG)から出したからです。話題性としては見事なもので、あざといばかりの企画モノという風情を感じますが、実際は違うと私は感じましたので試聴記を書くことにした次第です。

 ダウランドという作曲家は、私にとっては馴染みのある人ではありませんでした。おそらくエアチェックで聴いた程度であり、正直なところ私の棚にはダウランドのディスクは一枚もありません。近代イギリス音楽は好んで聴いていますし、17世紀の作曲家であるパーセルも聴きますが、ダウランドには行き着いていませんでした。

 一方、スティングというロック歌手の名前は、まだポリスのヴォーカルをしていた頃、私の弟がファンであったことから知るところになりました。もちろん名前は知っているという程度で、ダウランド以上に馴染みがなく、真剣にディスクを聴いたことは一度もありません。私は、ロック音楽などはまったくの不得手ですので、ビートルズから始まるブリティッシュ・ロック(という言い方で良いのでしょうか?)の潮流の中で、スティングがどう位置づけられているのかはまったく分かりません。

 スティング自身がダウランドに巡り逢ったのは解説書によると、1982年のアムネスティ・チャリティ・コンサートにスティングが出演した後、楽屋を尋ねた俳優が「ダウランドの歌を聴いたことがありますか?」と尋ねたことに始まるそうです。それから四半世紀近く、スティングはダウランドに、いわば「拘り」続けていたそうです。詳細な内容はディスクの解説の書き写しになってしまいますのでここでは避けますが、スティングのダウランドは、まったくの思いつきから始まったことではなく、様々な出会いから満を持して録音したということをここでは確認したいと思います。

 さて、このディスクを聴き始めると、冒頭のリュート独奏に続く「あのひとは言い訳できるのか」から強烈な違和感を(ダウランドを「正規の」クラシックディスクで聴いたことがない私でも)感じてしまいます。スティングの声は決して美しくはありません。嗄れていて、歌唱法も「正規の」流儀とは違うことは声楽に素人である私にもわかります。スティング自身も音楽学校でトレーニングを受けていないことを認めています。そして、クラシックの発声法に近づこうとは決して思っていないことも、また明白です。

 ディスク全体の構成も独特です。途中にダウランドが書いた手紙を朗読したり、伴奏で参加したリュート奏者のカラマーゾフとリュート二重奏したり、ときには「ご婦人用の見事な細工物」のような重唱もありますが、スティング自身が多重録音で歌い分けています。耳障りにならない程度ですが、効果音も入っており、純正のクラシック音楽ディスクとするには少々抵抗を感じてもしょうがないでしょう。

 一聴すると、スティングはダウランドに近づくのではなく、ダウランドを自らに引き付けたような印象です。でもそれは無鉄砲なものではありません。なぜなら聴き続けるにつれ、不思議なことに最初に抱いた違和感が次第に薄れてくるからです。なにやらフォークソングのようでもあり、でもロックのようでもある、スティングしかできないような世界観に夢中になっていく自分があります。最後の「暗闇に私を住まわせて」になると、スティングは独特のコブシを利かせて唐突に終わります。

 このディスクに出会って、私はダウランドの曲が持つ、メッセージの強烈さも知るところになりました。スティングが「疎外されたシンガーソングライターの典型の最初の例」と呼ぶのも分かるほどの呻き、慟哭、高揚、不安・・・感情が爆発しています。ダウランドはエリザベス1世時代に王室演奏家になろうとして果たせず、ヨーロッパを遍歴したそうです。就職先探しと言ってしまえば単純ですが、自らのアイデンティティを失い、求めていたとも言えます。ダウランドの持つメッセージ性はその放浪の最中(さなか)から生まれたのだとしたら、まるで万葉集における柿本人麻呂のようでもあります(ただ人麻呂と違うのは、ダウランドは最後にはイギリス王室のリュート奏者として返り咲いたことです)。人の持つ様々な感情のるつぼから、強烈な輝きをもって編み出したものがダウランドの曲の魅力なのかもしれないと思いました。

 なお、このディスクの邦題は、「ラビリンス」となっています。解説書で登場するラビリンスという言葉は、スティングがドミニク・ミラーから贈られたリュートのサウンドホールが単なる穴ではなく、迷宮とその中央にバラを象ったデザインになっているとして登場しています(解説書の表紙にその画像があります)。そのリュートから紡ぎ出される音楽である、ダウランドの曲の持つメッセージそのものが迷宮であり、迷宮から行き着いた結果、私たちはバラのように享受しているのかもしれません。それゆえ、単なる「ラビリンス」ではなく原題通り「迷宮からの歌」の方が適切だろうと思います。

 

2006年12月21日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記