「わが生活と音楽より」
ヴェルディのレクイエムを聴く

文:ゆきのじょうさん

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CDジャケット

ヴェルディ
レクイエム
Joyce Barker(ソプラノ)
Mignon Dunn(アルト)
Ermanno Mauro(テノール)
Paul Plishka(バス)
アラン・ロンバール指揮ストラスブール・フィル
スロヴァキア・フィルハーモニー合唱団
録音:1975年、ストラスブール
欧州Ultima(0630.18967)

 1997年9月、元英国皇太子妃であったダイアナさんが事故死した時に、私はアメリカに在住していました。ダイアナさんの葬儀がウェストミンスター寺院で行われた模様はアメリカでも完全生中継で放映され、それを観ることができました。そのウェストミンスター寺院での儀式で驚いたのは、ヴェルディ/レクイエムが演奏されたことです。エルトン・ジョンなどの演奏もありましたが、イタリアの作曲家ヴェルディの曲が英国国教会総本山で奏されたのは、私にはあたかも明治神宮でモーツアルトを演奏するような違和感があったのです。

 しかしながら、それと同時にヴェルディ/レクイエムという曲は、いかに聴き手に圧倒的に語りかけるか、という普遍性のようなものを持っているのだなぁ、と感じたのも事実です。サッカーW杯で日本サポーターのテーマ曲がヴェルディ/アイーダの凱旋行進曲を採用したように、ヴェルディの曲は端的に言ってしまえばその「格好良さ」で多くの聴き手の心を捉えて止まない、そんな普遍的な力があるのだと思います。その観点からみればヴェルディ/レクイエムは、宗教曲というよりオペラのような劇的な音楽であるとも言えます。

 そのヴェルディ/レクイエムの持つ迫力と普遍性を体現したのは名盤の誉れ高いトスカニーニのライヴ演奏です。

CDジャケット

ヘルヴァ・ネッリ(ソプラノ)
フェドーラ・バルビエーリ (メゾソプラノ),
ジュゼッペ・ディ・ステファノ(テノール)
チェザレ・シエピ (バス)
アルトゥーロ・トスカニーニ指揮NBC交響楽団
ロバート・ショウ合唱団
録音:1951年1月27日 ニューヨーク、カーネギーホールでのライヴ
米RCA(74321.72373)

 当代随一の歌手を揃え、鍛え上げたオーケストラを煽りたてて収録マイクに入りきらないほどの音力をもったこの演奏は、昭和26年とは思えない新鮮さを今も有しています。一方においてこの演奏はそのすばらしさを充分認めるにしても、あまりに直球勝負で、剔り深く壮大な音楽をつくりあげているため、聴いた後には疲れを感じるのも正直なところです。

 冒頭に掲げたロンバール盤は、トスカニーニ盤とは別の角度からこの曲の魅力を紡ぎ出した演奏だと思っています。ロンバール盤は一言で表現すれば、「格好良い」この曲をとても「格好良く」演奏したものなのです。

 さて、ここで「格好良い」というと、いかなるクラシック音楽をもその洗練と磨き上げた美音で格好良く仕上げた達人は、言うまでもなくカラヤンです。そのカラヤンの演奏も持っています。

CDジャケット

アンナ・トモワ=シントウ(ソプラノ)
アグネス・バルツァ(メゾソプラノ)
ホセ・カレラス(テノール)
ホセ・ヴァン=ダム(バスバリトン)
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ウィーン・フィル
ウィーン国立歌劇場合唱団、ソフィア国立歌劇場合唱団
録音:1984年6月5?13日、ウィーン、ムジークフェラインザール
ユニバーサルミュージック(POCG20022)

 しかし、この盤でのカラヤンの演奏は、録音当時の年齢的な問題もあるのか、スポーツカーで疾走するような感覚よりは、深く祈るようなゴツゴツと刻んだ音楽作りです。もちろん感銘は深く、より宗教曲の色合いが強い名演であることに異存はありません。でもどちらかと言えばトスカニーニと似た肌合いを持っているように感じました。

 なんだか前置きが長くなりました。あわててロンバール盤(以下、当盤)に戻りましょう。当盤の特徴はなんと言っても、そのリズム感です。私は誤解しているのかもしれませんが、ストラスブールといえば、一時期ストラスブール・パーカッションという打楽器グループがディスクを数多く出していました。どこかの記事に、このパーカッショングループのメンバーは、ストラスブール・フィルの打楽器を担当していると書いてあったように思います。本当にそうなのだろうな、と思わせるほど、当盤での打楽器パートは卓越しています。「怒りの日」でも、大太鼓ですら響きは深いのに、もたつかず、爽快とも形容できるようなスピードで吹き荒んでいきます。ロンバールの棒は、例えば「聖なるかな」ではロック演奏のように全体を煽りたてていくのですが、決して音楽は転がっていくことはなく、ぎりぎりの節度を保っていて、それが一層の魅力を出しています。独唱もいわゆる名歌手・大歌手を擁していないので統一感が出ています。全体にざらついたところがなく、だからといって終盤の「永遠の光を」から「リベラメ」では、次第に感情が満ち足りていく、静かな迫力も有しています。

 トスカニーニ、カラヤン、それに(私は未聴ですが)アバドやムーティという指揮者の演奏を好ましいと感じる方々から見ると、当盤は小粒で深みがなく、精神性が希薄であると感じられても致し方ないでしょう。しかし、ヴェルディ/レクイエムが宗教性だけではなく、万人に語りかける「格好良さ」を有しているのなら、当盤の魅力は失われないと思います。

 

2005年9月19日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記