「わが生活と音楽より」
ヴィヴァルディの新旧2枚のディスクを聴く

文:ゆきのじょうさん

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 日本人にとって、ヴィヴァルディと言えば「四季」でしょう。私もいくつかの愛聴盤を持っており、これについては別の機会で採り上げてみたいと思いますが、ここでは私にとってのヴィヴァルディの原点と、最近聴くディスクについて書いてみたいと思います。

 

■ 原点 - 1960年代

 

 自らが習いたいと懇願し、始めたヴァイオリンでしたが、始めた時期が10歳と遅かったことと、自分自身と親が「趣味」と割り切っていたこともあって、その上達は大変遅いものでした。それでも次第に課題曲は難しくなっていき、やがて念願の(?)、ヴィヴァルディの協奏曲にたどり着きました。これは作品3-6でした。参考とするドーナッツ盤のレコードが入っていましたけど、ピアノ伴奏のものでした。これ以外にレコードが欲しいと言い出した私を連れて、親が伊勢佐木町商店街にあったレコード店で買ってくれたのが、イ・ムジチ合奏団による国内盤でした(日本フィリップス SFX-7711)。これは作品3からの抜粋盤であり、収録されていたのは作品3-6,8,10,11の4曲。このレコードを聴いたときの衝撃は大きいものでした。音楽は羽毛のようにふんわりとして、天鵞絨のように艶があり、響きは深く、どれもこれもがため息が出るほどの美しさを感じました。もちろんこんなふうには弾けなかったのですが、この曲を好きになったきっかけとなりました。

 10年近く後に大学生となり下宿生活を始めるようになってからも、このレコードだけは実家から持ってきて、折に触れて聴いていました。次第に知識がついてくると、どうやらフィリップスレーベルの輸入盤の音は良いらしいということが分かりだしてきました。そこで帰京した時に銀座の輸入レコード店に行き、購入した全曲盤が蘭フィリップスのLP2枚組でした(6768 307)。わくわくして針を下ろして聴いてみると、スピーカーから出てきた音に愕然としました。響きがまったく違うのです。国内盤で聴けたふんわりとして、深い響きはなく、硬質で痩せた響き。アンサンブルは見事だけど潤いも何も感じられない演奏でした。自分自身の内では、「四季」でのアーヨ盤とミケルッチ盤くらいの違いと感じました。蘭フィリップス盤のジャケットを見るとリーダーは、確かにミケルッチです。ここで、私はレコードを買い間違えたのだと判断しました。「調和の幻想」にもアーヨ盤が存在し、それと間違えたのだと考えたわけです。国内盤のジャケットとLPのレーベルには録音年月日も、リーダーも、独奏者の名前も書いてありませんでしたので確かめようもありませんでした。しかし自分自身が感じたギャップは決定的であったので、その仮説を信じました。蘭フィリップスのレコードはその場でたたき割りたい衝動すらありましたが、なけなしのお金で買った代物です。以後棚の一番奥に押しやって、何かの機会があっても、国内盤を出して聴いておりました。

 さらに20年以上の時は過ぎ、インターネットの時代になって、私は「調和の幻想」のアーヨ盤が存在するのか調べてみたことがありました。しかし、イ・ムジチ合奏団自体のディスコグラフィーが存在せず、調査は頓挫してしまいました。

 最近になり、また「調和の幻想」を聴きたくなったときに、ふと私は、あの蘭フィリップスと、国内盤をもう一度聴き比べてみようと思い立ちました。そしてプレーヤーにかけてみると両者の響きは、昔聴いたときのように確かに違います。だが、年を取ったせいか冷静に聴くことができるようになって、響き以外のテンポや音楽はほぼ同一らしいと感じました。

 なぜ響きが違ってしまったのか? 国内盤は一枚のレコードに4曲、片面に2曲です。しかし輸入盤は12曲を2枚組レコードにしているので、片面に3曲でした。またレコード自体も国内盤はどっしりとした厚く重いものでしたが、輸入盤は薄いものでした。これらの要因から、輸入盤では響きが痩せて聴こえてしまったのかもしれないと考えるようになりました。では、CDではどうだろうということで、買い求めたのがこのディスクです。

CDジャケット

 

アントニオ・ヴィヴァルディ:
ヴァイオリン協奏曲集 調和の幻想 作品3

ロベルト・ミケルッチ ヴァイオリン
イ・ムジチ合奏団
録音:1963年6月、オランダ。1962年6月、スイス
独PHLIPS(輸入盤 446 169-2)

スピーカーから流れてきた響きは、国内盤レコードほどではないものの、私が感じた、あの柔らかく、明るく、深いものでした。作品3-6は、屈託なく伸びやかに演奏されており、私がもっとも愛聴している作品3-8は二つのヴァイオリンが独奏となる曲ですが、作品3-6と同じイ短調でありながら、より切なさが感じられ、特に2楽章の絡み合いは胸が締め付けられるような侘びしさがあります。第3楽章での低弦の深い響きはため息がでるようです。作品3-10は4つのヴァイオリンのための協奏曲ですが、この4人のソロの歌心にまったく不揃いさを感じさせません。トスカニーニが絶賛したアンサンブルとは、一糸乱れぬという緊張感ではなく、この歌心であったのだと実感できます。

 

■ 発展 - 2000年代

 

 時代は40年以上が経ち、その間にヴィヴァルディの曲の演奏スタイルも変わりました。当初はシモーネ/イ・ソリスティ・ヴェネティが対抗馬のような扱いでした。その後、マリナー/アカデミー室内管や、アーノンクール/ウィーン・コンツェントゥス・ムジクスなどが刺激的な演奏を行い、ホグウッドやピノックなどが活躍するようになって、ヴィヴァルディの曲はピリオド楽器・奏法が全盛となりました。そんな最近のヴィヴァルディのアルバムの中から一枚取り挙げてみたいと思います。

CDジャケット

アントニオ・ヴィヴァルディ:
2つのマンドリン、弦楽と通奏低音のための協奏曲 ト長調RV532
ヴァイオリン、リュートと通奏低音のためのトリオ ト短調RV85
マンドリン、弦楽と通奏低音のための協奏曲 ハ長調RV425
ヴィオラ・ダ・モーレ、リュート、弦楽と通奏低音のための協奏曲 ニ短調RV540
ヴァイオリン、リュートと通奏低音のためのトリオ ハ長調RV82
2つのヴァイオリン、リュートと通奏低音のための協奏曲 ニ長調RV93

ロルフ・リスレヴァン リュート、バロック・キタラ、マンドリン 
アンサンブル・カプスベルガー
録音:2006年6月、スイス
仏naive(輸入盤 OP30429)

 トリノ国立図書館ヴィヴァルディ手稿譜専門図書室が所蔵する、ヴィヴァルディの全27巻450作品の手稿譜を録音するという、仏ナイーヴ・ヴィヴァルディ・エディションの中の一枚です。6曲が収められていますが、このうちRV425はよく耳にする曲ですし、RV82、RV93はジークフリート・ベーレントがギター協奏曲として編曲して、イ・ムジチと共演したドイツ・グラモフォンのLPで聴いたことがあります。

 最初のRV532から目の覚めるような切れ味のよいピリオド楽器での演奏です。音楽はスピード感に溢れ、停滞するところがありません。緩徐楽章でも心地よく前に進みます。ここには、イ・ムジチを聴いたときのような陰影はあまり感じられません。全てが明るい日差しの中で目一杯手を広げて歌っているかのようです。

 それにしても、ソロを受け持つリスレヴァンは唖然とするくらいに抜群のテクニックを持っています。ただ早く弾き飛ばすというのではなく、余裕をもって音色に気を配っているのが分かります。2曲目のトリオではヴァイオリン・ソロとの掛け合いが見事に絡まっています。有名なRV425は、颯爽としたテンポは変わらないものの、慈しむような弾き方になっています。RV540ではヴィオラ・ダ・モーレの見事な弾きっぷりに圧倒されますが、リスレヴァンはそれに見事に呼応しており音色の違いを鮮明にしながらも、音楽のズレを全く感じません。RV82では、最終楽章がほとんど舞曲のような乗りで演奏していますし、RV93もちょっとした装飾音を加えたり、響きを変えたりする余裕すら見せています。

 この、まさに至芸ともいえるリスレヴァンに対して、アンサンブル・カプスベルガーも名手揃いのようです。ここでのスピード感、リズムの切れの良さは、この曲だからというわけでもなく、この演奏家だからということでもないと考えます。ピリオド楽器と奏法が確立し、自家薬籠中のものとした演奏家たちが思いのまま、自在に音楽をすることになった結果だと思います。

 ところで、音楽と関係ないのですが、仏ナイーヴ・ヴィヴァルディ・エディションのジャケットは一風変わっています。演奏家でもなく、収録されている曲とも関係があるとも思えないモデルたちを登場させています。美女たちだけではなく、男性もいれば、インパクトが強いモデルもいます。曲と関係ないジャケットデザインはいかがなものかという批判もあるようですが、CDジャケットの一つの方向性としては斬新であり、私個人はこういう試みは嫌いではありません。

 

 

 

 今や、ヴィヴァルディをモダン楽器・奏法で演奏することが珍しくなってしまいました。指揮者をおかず合議制で決めていくというイ・ムジチの演奏スタイルは、最初は珍しがられましたが今はアンサンブル・カプスベルガーのように当たり前になっています。現代の演奏スタイルからみたら、1960年代のイ・ムジチの演奏は生ぬるく、おっとりとしており、まるでクラシックカーとF1カーくらいの違いのものでしょう。イ・ムジチの演奏が良いと言えば、年寄りの単なる郷愁に過ぎないと一蹴されてしまいそうです。

 しかしながら私は、イ・ムジチの演奏にはかけがえのない歌心があると思っています。自分の原体験であることの偏見があることは十分に承知しながらも、イ・ムジチのヴィヴァルディの持つ魅力は永遠であるとともに、ナイーヴ・ヴィヴァルディ・エディションにおいてもスタイルを超えて伝わっているものはあると信じているのです。

 

(2008年2月18日、An die MusikクラシックCD試聴記)