「わが生活と音楽より」
2人の若手男性ピアニストを聴く

文:ゆきのじょうさん

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 今、改めて確認するまでもなく、拙稿で採りあげるヴァイオリニストやソリストの殆どが女性です。これはまったくもって書き手がおじさんであるからに他ありません。異性に惹かれるのは仕方ないではないか、と開き直ってもよいわけですが、まったく男性演奏家に興味がないというわけではないことをお示しするために今回は二人の若手男性ピアニストを採りあげたいと思います。二人は奇しくも(?)名前はDavidです。いずれも2枚ずつ、ソロ・アルバムと惹き振りの協奏曲のアルバムです。

 

■ ダヴィド・フレイ

 

 フレイは1981年フランスのタルベ生まれ。タルベ音楽院、パリ国立高等音楽院を経て2002/2003年シーズンからコンサート活動を開始しました。彼のデビュー・アルバムが以下のディスクです。

CDジャケット

シューベルト:幻想曲ハ長調D.760「さすらい人幻想曲」
シューベルト(リスト編曲):
「君はわがやすらい」D.776
歌曲集「白鳥の歌」 D. 957より第13番「影法師」
リスト:ピアノ・ソナタロ短調

ダヴィド・フレイ ピアノ

録音:2005年2月7-9日、ケベック、サンティレネ、ドメーヌ=フォルジェ、サル・フランソワ=ベルニエ
カナダATMA Classique(輸入盤 ACD22360)

 シューベルトからリストへと並べて録音されています。テクニックがしっかりしているのはもちろんなのですが、それに頼るような力任せの演奏ではありません。とても丁寧にじっくり弾いているのがわかります。音色も重苦しいことはなく、むしろ涼やかな印象をもたらします。「さすらい人幻想曲」では風変わりな解釈はしていないと感じます。しかし音楽は自然に伸縮し、次にどのように進むべきかをきちんと描いていきます。決して凡庸ではありません。

 「影法師」もおどろおどろしさはなく、淡々と歩を進めながら全体の流れを保っています。興味深いのはペダリングで、突然短く響きを断ち切ったり、長く余韻を残したりとかなり工夫しているようです。

 最後のリストのソナタは、速いパッセージも淀みなく弾いているのですが、聴き手を強引に引きずり回して疲れさせるような解釈ではありません。どんなに強奏になっても響きは濁らず、コントロールしているのは並みの演奏家ではないと思います。リストがここまで爽やかに聴き通せるのは私には珍しい体験でした。

 フレイは、その後Virgin CLASSICSに移籍し、まずバッハとブーレーズという異色の組み合わせのソロ・アルバムで「メジャー・デビュー」します。引き続いて、弾き振りでバッハのチェンバロ協奏曲をピアノで録音しました。

CDジャケット

J.S.バッハ:
ピアノ協奏曲イ長調BWV1055
ピアノ協奏曲ヘ短調BWV1056
ピアノ協奏曲ト短調BWV1058
ピアノ協奏曲ニ短調BWV1052

ダヴィド・フレイ ピアノと指揮
ドイツ・カンマーフィルハーモニー、ブレーメン

録音:2008年1月29日 – 2月1日、ブレーメン、カンマーフィルハーモニー
欧EMI / Virgin CLASSICS (輸入盤 50999 213064 2 6)

 ピリオド楽器でのピリオド奏法で演奏するのが正統となっている現代において、珍しくもモダン楽器・奏法のオーケストラを従えてピアノで録音されたディスクです。聴き始めてすぐに分かるのは、独奏ピアノと弦楽合奏との発想がぴったりと合っていることです。フレイがここはこう弾きたいと考えて、オーケストラは従ってこう弾いて欲しいという解釈の打ち合わせが、かなり徹底して行われたと想像できます。実際、販売元から配信されているリハーサル風景の動画を見ますと、フレイは弦楽パートのニュアンスをあらゆる言葉を用いながら懸命に伝えようとしており、その熱意に次第にオーケストラ側も納得していく様子がよく分かります。伝聞では4日間にわたって各々8時間のセッションが設けられたとのことです。勢いだけで煽るように演奏すれば、細部の詰めが甘くてもよいという録音が蔓延っている中で、このディスクにおけるフレイの拘りは半端ではありません。例えばBWV1058の有名な第二楽章における弦のピチカートも気の抜けた響きは皆無です。全ての曲においてピアノ・ソロがあるところで強く厚く響かせたときに伴奏の刻みはどのように弾くべきか、という一つ一つを積み重ねていったことが痛切に感じます。これは右手だけではなく、左手が作る低音部と低弦との関係においても同じです。その結果として生まれてくる音楽は、デビュー・アルバムでのシューベルト/リストと同様に爽やかさをもたらしてくれています。

  このアルバムで唯一の欠点があるとしたらそれは、わずかに認められる編集の瑕疵ではなく、ジャケット・デザインにあります。いかにもピアノの貴公子と言いたげな作りようは、前述の動画サイトでの印象とは全く異なっています。このようなジャケットでは、中味の真摯で丁寧な音楽の創造を正しく伝える所作になっていないどころか、貶めていることは明白です。この点だけがとても残念であることを書き添えたいと思います。

 フレイは2008年11月にはチェチーリア・バルトリの伴奏として、そして2009年5月にはNHK交響楽団定期演奏会のソリストとして来日しているようです。最近のアーティストとして珍しく(?)公式サイトを持っていませんので、今後の来日スケジュールは分かりませんが、一度は聴いてみたいピアニストです。

 

■ デイヴィッド・グライルザンマー

 

 二人目のデイヴィッド・グライルザンマー(グレイルザンマー)は1977年生まれのイスラエル出身のピアニストです。フランスやイタリアで研鑽を積み、最終的にはジュリアード音楽院でピアノと指揮を学び、2004年ジュリアード国際協奏曲コンクールで優勝したそうです。グライルザンマーのデビュー・アルバムはモーツァルトの協奏曲を弾き振りしたものでした。

CDジャケット

モーツァルト:
ピアノ協奏曲第5番ニ長調 K.175
ピアノ協奏曲第6番変ロ長調 K.238
ピアノ協奏曲第8番ハ長調 K.246「リュッツォウ」

デイヴィッド・グライルザンマー ピアノと指揮
スエダマ・アンサンブル

録音:2005年9月17-18日、アメリカ芸術文学アカデミー、ニューヨーク
仏naive(輸入盤 5149)

 聴いていて思わず身体でリズムを取ってしまうような、そんなリズムの冴えと躍動する音色に満ちた演奏です。アンサンブルにはもたつくところはありませんし、一方において荒っぽさは感じられません。グライルザンマーのピアノは響きが美しいのはもちろんなのですが、繊細さというよりは音の硬軟を散りばめてしっかりとした曲の姿を映し出さそうとしていると思います。したがってモーツァルトの「初期」協奏曲と言っても、聴き応えは十二分にあります。それはスエダマ・アンサンブルにも当てはまることで、おそらくモダン楽器中心の編成だと思いますが、切れ味のよい、濁りのない演奏をしています。なお、アンサンブルの名称「スエダマ」とはモーツァルトの名前である「アマデウス」のスペルをひっくり返したもの(Amadeus → Suedama)だそうです。カデンツァは全てグライルザンマーの自作だそうですが、それぞれの曲の持ち味を損ねることのない自然なものと感じました。

 グライルザンマーは次に実に凝ったプログラムのソロ・アルバムを発表します。

CDジャケット

fantaisie_fantasme

J.S.バッハ:半音階的幻想曲とフーガより幻想曲
ケレン:ファンタジーってゆーか、2つのファンタストローフよりその最初のやつ
ブラームス:幻想曲集 作品116 より間奏曲イ短調
シェーンベルク:6つのピアノ曲より第1,2,3番
リゲティ:クジカ・リチェルカータより第6楽章
ヤナーチェク:ピアノ・ソナタ「1905年10月1日」より「予感」
ケージ:プリペアド・ピアノのためのソナタ第5番
モーツァルト:幻想曲ハ短調 K.475
ケージ:プリペアド・ピアノのためのソナタ第12番
ヤナーチェク:ピアノ・ソナタ「1905年10月1日」より「死」
リゲティ:クジカ・リチェルカータより第8楽章
シェーンベルク:6つのピアノ曲より第4,5,6番
ブラームス:幻想曲集 作品116 より奇想曲ニ短調
ケレン:ファンタジーってゆーか、2つのファンタストローフよりファンタジー
ケレン:ファンタジーってゆーか、2つのファンタストローフよりその最後のやつ
J.S.バッハ:半音階的幻想曲とフーガよりフーガ

デイヴィッド・グライルザンマー ピアノ

録音:2007年4月、スイス、ラ・ショード・フォン、ルール・ブルー・スタジオ
仏naive(輸入盤 V5081)

 曲順を見て頂ければ一目瞭然ですが、バッハから始まりモーツァルトを中心に鏡像(回文?)のように配列されています。したがって、1曲1曲を取り出して楽しむというよりは、全体を一つのプログラムとしてその流れや対比、抑揚を味わうという性格のアルバムだと思います。不思議に思ったのは、例えばリゲティからヤナーチェク、ケージからモーツァルトと曲が移り変わっても何ら違和感がないことです。曲の配列ももちろんのこと、演奏においても計算しつくした結果であるのでしょう。この中で一番馴染みのないジョナサン・ケレンは1978年生まれと言いますから、グライルザンマーと同世代の作曲家、ヴァイオリニストなのだそうです。アルバムの曲はグライルザンマーの委嘱作品と説明がありました。このケレンの作品と、ケージの曲がアルバムの中でもとりわけ惹きつけられるものを感じました。

グライルザンマーは2005年に初来日、2007年11月には彩の国さいたま芸術劇場でのピアノ・エトワールシリーズで来日し、上記アルバムの曲を中心にリサイタルを開いています。今後も来日の予定はあるようですが現時点で詳細は不明です。

CDジャケット

なお、「fantaisie_fantasme」は、グライルザンマーのバックに3人の東洋人らしい女性がいるという風変わりなジャケットです。この「3」という数字は、グライルザンマーにとってある種の拘りがあるようです。最後のケレンの作品をまとめて1曲としたら、全部で15曲ですから3の倍数です。最初と最後のバッハと、中央のモーツァルトを除くと作曲家は6人となり、ブラームス、シェーンベルク、ヤナーチェクの3人と、リゲティ、ケージ、ケレンの3人に分けようと思えば分かることができます。そしてデビュー・アルバムのモーツァルトですが、協奏曲は3曲録音して、しかも元々はVANGUARD CLASSICSから出たもの(ATMCD 1789)をnaiveがリイシューしており、そのオリジナルジャケットでは3人の黒人(?)が登場しているのです。

次のアルバムではどんな拘りを見せてくれるのか、楽しみなピアニストの一人です。

 

 

 

 ダヴィド・フレイと、デイヴィッド・グライルザンマーはほぼ同世代ですが、現在のところ日本では、フレイが才気溢れる貴公子のように売られ、グライルザンマーがちょっと変わり者のような扱いをされているようです。私が聴いたかぎりでは、グライルザンマーはかなり理論的であり、フレイは逆に感性を重視した音楽を志向しているように感じます。一方で、二人に共通しているのは音楽に対して手抜きなく創り上げようとする気概です。この若い二人が次にどのような「突拍子もない」企画のアルバムを創ろうとしても、それを支え、育て、受け容れ、真摯に評価することができるかどうかが、クラシック音楽に突きつけられた課題の一つではないかと思います。

 

2009年7月4日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記