An die Musik 開設8周年記念 「大作曲家の交響曲第8番を聴く」
ベートーヴェン篇
文:松本武巳さん
ベートーヴェン
交響曲第8番 へ長調 作品93
ヘルベルト・ブロムシュテット指揮シュターツカペレ・ドレスデン
録音:1978年2月14-16日、ドレスデン、ルカ教会
キング(国内盤 KICC 9403)
カップリング
ベートーヴェン:交響曲第5番 ハ短調 作品67
なお、全集はBrilliant Classicsから廉価にて発売されていますが、キングから発売されたHyper Remastering盤が現時点では最も優れた音で聴けるCDと判断して伊東が上記CDのジャケットを使わせて頂きました。ベートーヴェン
交響曲第8番 へ長調 作品93
サー・コリン・デイヴィス指揮シュターツカペレ・ドレスデン
録音:1993年9月、ドレスデン、ルカ教会
Philips(輸入盤 4756883、交響曲全集)■ 突然カペレの聴き比べをする訳は…
実は、私が初めてシュターツカペレ・ドレスデンの来日公演に行ったのは、ブロムシュテットとともに来日した際で、かつ聴いたのはベートーヴェンプロであった。2回目にシュターツカペレ・ドレスデンの来日公演に行ったのは、コリン・デイヴィスとの来日時で、聴いたのはまたしてもベートーヴェンプロであった。そして、3度目に聴いた彼らの来日公演ではシノーポリによるベートーヴェンだった。ちなみに4回目がハイティンクとの来日で、5回目が今年のチョン・ミュンフンとの来日公演であり、またもやベートーヴェンを聴く羽目になったのである。要するに私はカペレの来日公演で、最もベートーヴェンを演奏しそうな指揮者であるハイティンク以外の、すべての指揮者のベートーヴェンに付き合ったことになるのだ。そこで、カペレとの第8番の録音が残されており、かつ私にとってもカペレ初体験のブロムシュテットと、2回目の色んな意味で印象深いコリン・デイヴィスの、2人のベートーヴェンの第8番を聴き比べたいと思う。
■ 話が突然飛びますが…
JR東日本が、10数年前に駅の発車ベルを音楽に変えた際に、京浜東北線の大井町駅では、短期間ではあるがベートーヴェンの第8番の冒頭部分を発車ベルとして使ったのである。これが実に陳腐で、まったく発車ベルとしてはそぐわず、短期間でお蔵入りとなったのであるが、実はこの大井町駅で私はシノーポリを見かけたことがあるのだ。まさにだからどうした? と言われれば、どうにもならない話である。言いたかったのは名曲であることとBGMとして使用することはまったく無関係であることを書きたかったに過ぎないので、顰蹙を買ったとしたらすみません。
■ ブロムシュテットの場合
この地味な全集であるが、隠れたファンは結構多いのではないだろうか? 彼は今年もN響を振りに来日したし、日本人にはかなり馴染みのある指揮者であろうと思う。そして、この第8番は、私にとってこれ以上の《スルメ》録音は無いと思うほどに、繰り返し聴くことに意義がある録音であると信じている。一見地味であるが実は演奏のメリハリは相当に効いているし、録音も地味そうに見えるが、どうしてどうして、細部まできちんと聞き取れてかつバランスも良い録音は、そう多くは無いと思えるほどの優秀録音に入ると思う。かつ第8番以外を含めた全集としての統一感が、演奏内容も録音もともに十分に取れており、全集として買うなら今なお私はイチ押しをしたい全集である。あえていえば、第9番のみ1985年ころの同メンバーによるライヴ録音の方が更に良い演奏内容であるが、このライヴ録音も廉価盤で入手できるので、私は本当に強く推したいと思う。
■ コリン・デイヴィスの場合
私にとって、彼はエニグマである。無能な指揮者とは決して思えないのだが、要するに信用できないとまで言うと言いすぎであるならば、油断ならない指揮者であるのだ。見かけの温厚な紳士ぶりとは異なり、実態は相当に性格が激しい気性であり、かつキレ易い人物であるようで、ときたま本当に唖然とする演奏をすることもあるが、オケやソリストや場合によると聴衆をナメた指揮をすることもある。そして、大方の評価と異なり、私は彼のドレスデン時代を評価していないのである。一方で、大方が評価しなかったであろうと思われるバイエルン時代を、実は私は結構評価しているのである。私は彼がカペレと長いお付き合いをしなかったことを、内心ホッと胸を撫で下ろしているのである。たまたま、彼のカペレとの来日公演では、ベートーヴェンの第5番&第6番というプログラムを聴いたのだが、この今年のチョン・ミュンフンとのまったく同一プロを聴いた私は、むしろチョン・ミュンフンとの今年のカペレの来日公演の方が、個人的には遥かに満足できたことをここでご報告しておこうと思う。
■ カペレの響きとベートーヴェン
カペレとともにベートーヴェンを演奏すると、名演になりそうな指揮者と、駄作が残りそうな指揮者が、はっきりと分かれそうな気がするのは私だけであろうか。私は、これこそが伝統あるカペレだからこそ起こることなのだと信じている。そして、世評がどうであれ、カペレの体質と東洋人による指揮は意外にミスマッチであるとは思っていない。むしろ西洋本流の指揮者の中で、合う合わないがはっきりと二分されるように思われてならないのだ。シノーポリがミスマッチか、コリン・デイヴィスがミスマッチか、そんな表面的なことよりも、こんな観点からオーケストラを話題の俎上に乗せて議論ができる素晴らしさを、ぜひ今後も残し続けて欲しいと願ってならないのである。そして、この話題を伝えるために書く題材として、極めて適切な楽曲がベートーヴェンの中で、もっとも地味ではあるが隠れファンも多いと信じる第8番で、ぜひ語りたいと思ったのである。
(2006年12月17日、An die MusikクラシックCD試聴記)