An die Musik 開設8周年記念 「大作曲家の交響曲第8番を聴く」
ブルックナー篇
文:伊東
ブルックナーの天才が遺憾なく発揮された交響曲第8番は、大指揮者達が名オーケストラを使って数多くの録音を残しています。こうしている今もどこかで録音されているかもしれません。きっとこの曲には、指揮者やオーケストラの演奏意欲を刺激する何かが潜んでいるのでしょう。録音それぞれにも豊かな個性が認められるという非常に幸福な曲です。
聴く側も特別の思い入れを持たずにはいられないところがあります。また、1時間を超える大曲をおいそれとは聴けないのに大量の録音があるというのは、聴き手もこの曲を渇望していることを意味しています。
演奏家も様々ですが、聴き手も様々です。多種多様な演奏を聴いていると、この曲に関しては、現役盤として通用している録音には何らかの意義があり、それぞれにファンがいるのではないかと思われてきます。
私の場合、真っ先に指を折る演奏はヨッフム指揮シュターツカペレ・ドレスデンによる録音です。
最新24ビットリマスタリング盤
ブルックナー
交響曲第8番 ハ短調
ヨッフム指揮シュターツカペレ・ドレスデン
録音:1976年11月3-7日、ドレスデン、ルカ教会
EMI(国内盤 TOCE-13244)このCDは私の愛聴盤の中の愛聴盤なので、An die Musikには今まで何度も登場しています。「シュターツカペレ・ドレスデンのページ」にもやや興奮気味の試聴記があります。この演奏についてはそこで書き尽くしたと思っていますが、2006年1月に新しく24ビットリマスタリング盤が出ているのでご紹介しておきます。
artリマスタリングによる全集 これまでもEMIはHS2088やartなど、様々な手法を使ってリマスタリングをしています。この録音に関する限り、今まで最も成功していたのはartリマスタリング(左ジャケット写真)だと思っていたのですが、私は新しい盤が出るとなると買わずにはいられなくなり、ショップに走ってしまうのです。同一音源をメーカーがいじくり回しているだけのような気もしますが、聴いてみると確かに音が違っています。
この24ビットリマスタリング盤では、今まで以上に楽器間の音の分離に優れ、多かれ少なかれ残っていた音の団子状態がかなり解消されているのはもちろん、楽器の音色も良くなったように感じられます。例えば、オーボエの音が過去のCDより艶やかに響きます。また、art盤のように、音はきれいになるものの音の迫力が削がれるということもなくなっています。
この新リマスタリング盤を聴いていて、私は「これはいける! 国内盤だがこれが決定盤になるかも!」と一瞬狂喜乱舞したのですが、その後、このリマスタリングの欠点を知ることになりました。
右のスピーカーからブウン、ブウンという音が聞こえてきます。何だろうと思っていると、どうもこれは低弦の音らしい。私の推測ですが、EMIは、この録音をリマスタリングする際に低音をブーストしたのではないでしょうか。もともとマスターにはこういう音が入っていた可能性も否定できませんが、どうにも不自然です。今までのCDを聴いていて、低減の音がかすかにしか聞こえなかったり、聞こえても団子状態だったりしたことを解消しようとエンジニアが意図的に音を加工したのではないかと私は疑っています。もっとも、ミニコンポではとても聞きやすい迫力ある音になっているので、音決めはミニコンポで聴くことを想定しているのかもしれません(びっくりするほどの臨場感に驚かされます。)。
EMIはこの録音のマスターをどこに、どのように管理しているのでしょうか。何度もリマスタリングしては再発を続けていますが、それはこのヨッフム盤が売れるからでしょう。しかし、低音をブーストするようなことは避けて、何とかマスターに近い音を聞かせて欲しいものです。また、EMIがSACDなどの技術に全く冷淡なのは何か特別なポリシーでもあってのことなのでしょうか。自社による世紀の財産を「これしかない」という水準で継承していってほしいと思います。・・・といいつつ、私はそのうちにまたリマスタリング盤が出れば喜んで買いに行きそうです。
ところで、私はヨッフム盤をいつも基準にして聴いてしまいます。ということはこの曲に関しては激烈な演奏が好きなのでしょう。そういえば、同じEMIに、激烈さではヨッフム盤を上回りそうなCDがありますね。テンシュテット盤です。
ブルックナー
交響曲第8番 ハ短調
テンシュテット指揮ロンドンフィル
録音:1982年9月24-26日、ロンドン、アビーロードスタジオ
EMI(国内盤 TOCE-13059)繰り返しますが、ブルックナーの交響曲第8番は、指揮者やオーケストラに我を忘れて爆発的な演奏をさせる魔力が潜んでいると私は考えています。テンシュテット盤もそうです。これを聴いていると、いわゆるスタジオ録音なのに、ライブの一発撮りではないかと思わせる激烈な箇所が頻出します。楽器のバランス、音程など実におおらかであります(この点ではヨッフム盤も同様です)。
最も顕著なのはフィナーレです。指揮者がオーケストラを管理しているとはとても思えません。各楽器が自分の好きなように、好き放題の音量で鳴らしまくっています。音質的にもヨッフム盤より優れているので臨場感は抜群です。聴き終わると圧倒的な迫力に茫然自失し、「すごい! ブラヴォー」と叫びたくなります。が、ふと我に返ってみると、「本当にこれでいいのか」と自問自答します。それほど破天荒な響きをCD化しています。
このようなCDが、プロデューサーはおろか、指揮者までが承認した上で発売されたことに私は驚きを感じますし、嬉しくもあります。
驚くのは、それこそ素人臭さが残る荒削りな演奏だからです。熱気と迫力に満ちた演奏ではありますが、美しさには欠けるところもあります。嬉しく思うのは、そんな欠点を抱えつつも、このCDには、生きた音楽が詰め込まれていると考えられるからです。音がきれいなだけの演奏、特にCDの場合は音質が良いだけの演奏というのもあるかもしれませんが、それだけでは人の心を揺さぶることはできません。
指揮者がオーケストラを極限まで管理した演奏もありますが、私はそうした場合、ブルックナーの良さがなくなってしまうと考えています。テンシュテット盤はそうではなくて、指揮者の棒に、団員が取り憑かれて世紀の熱演を演じてしまったという観があります。このところライブ録音が流行っていますが、私はこのCDは、ライブ録音よりずっとライブらしいと思っています。
ところで、念のために、一般的な印象としては指揮者の管理が徹底していそうな録音をご紹介します。今回の「交響曲第8番を聴く」シリーズにしつこく登場するクリーブランド管による演奏で、指揮者はジョージ・セルです。
ブルックナー
交響曲第3番 ニ短調
交響曲第8番 ハ短調
セル指揮クリーブランド管
録音:(第3番)1966年1月28,29日、(第8番)1969年10月3,6,10,13日、クリーブランド、セヴェランス・ホール
SONY(輸入盤 SB2K 53519)結論から書くと、セルはオーケストラを徹底的に管理しているようでありながら、音楽が息苦しくはならないよう、緩急自在に絶妙のコントロールをしているように私は思っています。
この交響曲第8番の演奏は、ヨッフムやテンシュテットのように勢いに乗って驀進するスタイルではありません。また、ハイティンク指揮ウィーンフィル盤のように自然体を貫いた演奏とも違っています。ある意味で管理が行き届いた演奏に違いはないのです。
テンポ設定や音楽の流れに関しては指揮者がぎりぎりの所まで手綱を握りしめています。一面では血湧き肉躍る音楽であり、また一面では彼岸的な深遠さを内包する音楽を相手に、セルは冷静に取り組みます。オーケストラの楽器のバランスを統御し、音色を磨き上げ、最弱音から最強音までを美しく響かせます。CDを聴いていると、全く過不足がない演奏ぶりに驚きます。しかし、セルの演奏はそれにとどまらないのです。ブルックナーの音楽に必要な激しさ・厳しさをにじみ出させていますし、聴き手にブルックナーの仰ぎ見るような高峰を見せてくれます。激烈さや派手さはありませんが、セルとクリーブランド管の演奏らしく洗練されてはいても、ブルックナーを堪能できる演奏をしていると私は思います。セルの録音を前にすると、「オーケストラ演奏、オーケストラの録音はかくあるべし」と思えてきます。
聴き所のひとつに、第3楽章のコーダがあります。第3楽章はヒタヒタと音楽が登り詰める、ブルックナーのアダージョの典型を示しますが、大きなクライマックスの後が残滓になってはいません。ブルックナーはここにワーグナーチューバを含むホルンの見せ場を作りました。その演奏のすばらしさ、美しさは比類がありません。ホルンが多用されるせいか、ブルックナーの録音にはウィーンフィルが頻繁に起用されていますが、クリーブランド管が演奏するコーダは、澄み切った美しさの点で傑出しています。こんな1点を聴くだけでも、セルの録音の価値はなくならないのではないかと思います。
このような演奏が、単に指揮者が管理するだけで可能になることはないのではないか、というのが私の考えです。演奏しているのは人間です。セルが団員から忌み嫌われていたことはよく知られていますが、セルの指揮がオーケストラの団員が目指すものと乖離していたら、オーケストラはただの機械に成り下がってしまうでしょう。そのときに、一体どうやってこんな美しい演奏が可能になるというのでしょうか。団員達の自主性にある程度委ねるところがあったとしか思えません。
このCDには交響曲第3番も収録されています。交響曲第8番同様輝かしい演奏が聴けます。セルの指揮した交響曲第3番にはシュターツカペレ・ドレスデンを指揮したライブ録音もありますが、いずれも必聴盤と言えるでしょう。シューベルトの交響曲第8番のCDについても書きましたが、このブルックナーの交響曲第3番、第8番もSACD化してほしいと私は願っています。何とかならないものでしょうか。
(2006年11月7日、An die MusikクラシックCD試聴記)