An die Musik 開設8周年記念 「大作曲家の交響曲第8番を聴く」

マーラー篇

文:伊東

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 An die Musikの中で何度か書いてきていますが、私はマーラーの最高傑作は交響曲第8番だと思っています。そのため、手にしたCDはよほどのことがない限り購入することにしています。本来簡単には録音できない曲ですから、市場に出回っているのは周到に用意された立派な演奏ばかりです。指揮者、オーケストラ、声楽陣すべてが安易な気持ちで臨むことが考えられない曲なので、どのCDを購入したとしてもかなり満足できます。ケント・ナガノのCD紹介のときに書きましたが、声楽陣の声に好き嫌いがあるのでもなければ、それぞれの演奏の個性を楽しめまるでしょう。

 私の場合、この曲はクーベリック盤がスタンダードであり、別格最高の演奏としてテンシュテット盤があります。ところが、事実上これと同じことをAn die Musikの共同執筆者である松本さんが書いておられます。こちらをご覧下さい。私ごときが補足する余地もないほどのまとめぶりです。仕方がないので、同じ結論にはなりますが、私からのまとめを、いくつか記憶にとどめているCDをご紹介する形でしておこうと思います。

CDジャケット

マーラー
交響曲第10番
ウィン・モリス指揮ニュー・フィルハーモニア管
録音:1972年10月
交響曲第8番
エドゥワルド・フリプセ指揮ロッテルダムフィル
録音:1954年7月3日
SCRIBENDUM(輸入盤 SC 010)

 この3枚組CDの目玉は、交響曲第8番ではなく、世界初録音となった交響曲第10番です。交響曲第8番はほとんどおまけなのですが、これはマーラーの交響曲第8番の世界初の商業録音だといいます。それもライブ録音でした。そもそもこの巨大な交響曲じっくりとスタジオで録音すること自体が相当の困難を伴っていたのですね。だいいち、奏者すべてを収容できるスタジオなどなく、収容できる場所は何日も使えないのでしょう。奏者が一堂に会しての練習は、録音を意識するどころか、アンサンブルをまとめるだけでも大変だったのではないかと思われます。そうなると、勢い、「公演日の演奏を収録しよう」となるはずです。

 CDの解説書には、プログラムがかさかさと音を立てないように特別な紙を使ったことなど、録音にまつわる工夫が記載されています。録音スタッフにとっても何が起きるか分からないライブ録音だった上に長大な曲なので難しい仕事だったのでしょう。

 なお、これはモノラル録音ですが、十分な迫力を今に伝えます。マーラーの交響曲第8番というと、巨大な音響を伴うために優秀なステレオ録音でないとその良さを味わえないのではないかと想像されがちですが、そのようなことはありません。熱気を帯びた良い演奏は、しっかりと聴き手の耳に届き、感銘を与えてくれるものです。

 ちなみに、この曲のライブ盤には破天荒と言えるほどすさまじいものがあります。ミトロプーロス盤です。

CDジャケット

マーラー
交響曲第8番
ミトロプーロス指揮ウィーンフィル
録音:1960年8月28日、ザルツブルク
ORFEO(輸入盤 C 519 992 B)

 1960年代にはマーラー演奏が活発化し、世界的なブームが始まるわけですが、さしずめミトロプーロスのザルツブルク音楽祭での演奏はその嚆矢となったのではないかと思われます。マーラーの交響曲演奏の歴史がオーケストラにも、声楽陣にもまだまだ浅かったと思われる時代の演奏です。全曲を完璧に暗譜し、この交響曲を我がものにしていたであろうミトロプーロスですが、このCDで聴くと、まるで初演はこのような感じだったのではないかという猛烈な熱気とパワー、そしてアンサンブルの乱れにまで圧倒されます。人間が演奏するのですから、生命のある音楽として感じられる限りトランペットの音がいくら外れようとも私はそれを非難しません。それどころか、このCDを聴く度に私は興奮します。このような熱狂的なスタイルは、バーンスタインにも見られるのですが、ミトロプーロス盤は、モノラル録音というハンディキャップを全く感じさせません。

 そうは言っても、やはり良質な録音でこの曲を聴きたいと思うのが普通です。アンサンブルも精緻であるほうが望ましいでしょう。そこでこの曲の最大のスタンダードであるクーベリック盤が登場します。

CDジャケット

マーラー
交響曲第8番
クーベリック指揮バイエルン放送響
録音:1970年6月、ミュンヘン博物館コングレスザール
DG(国内盤 POCG-1393)

 私は今回の原稿を書くために再度この録音を聴き直してみましたが、やはりすばらしいと思いました。この曲を聴いていて「馬鹿馬鹿しい」と感じる人がいるのは、第1部が極度に加熱して、喧噪に陥ってしまいがちなためでしょう。その意味では、上記ミトロプーロス盤における第1部はその非難を免れ得ないと私は思っていますが、クーベリック盤は、あらゆる点でバランスが取れています。これを昔の音楽評論家達はプラスに評価しなかったのですが、全体の構成、熱気、ロマンチシズム、叙情性、それらを支えるアンサンブルの精緻さ、声楽陣の質、どれをとっても非の打ち所がありません。多くの指揮者がマーラーの交響曲第8番を録音しつつある昨今ですが、この演奏を簡単には超えることができないのではないでしょうか。

 クーベリックにはこの曲のライブ録音もあります(audite、1970年6月24日録音)。指揮者以下同一メンバーによるライブです。クーベリックというと、1990年代に「ライブの人」という売り文句がつけられ、ライブ録音が人気を集めました。audite盤はSACDとのハイブリッドですので音質も万全で、ライブらしい感興に満ちた演奏を楽しめますが、「非の打ち所がない」とは言えません。私の場合、全曲を何度も聴こうとする際にはどうしてもDG盤になります。もしスタンダードを1枚というのであれば、今もやはりこのDG盤でしょう。

 マーラーの「8番」といえば落とせない録音がひとつありますね。ショルティ盤です。

CDジャケット
ジャケットの裏面

マーラー
交響曲第8番
ショルティ指揮シカゴ響
録音:1971年8、9月、ウィーン、ゾフィエンザール
DECCA(輸入盤 289 460 972-2)

 ご多分に漏れず、私も高校生の頃このショルティ盤を購入し、愛聴していました。LPジャケットにはゾフィエンザールいっぱいに広がるオーケストラの写真が掲載されています。その写真だけで高校生をノックダウンさせうる強烈なものでした。今では珍しくもない構図なのかもしれませんが、当時こうした録音セッションの写真を、解説の中に入れるのならともかく、ジャケットに堂々と掲載するのは新機軸だったのではないかと思います。DECCAの優秀録音も手伝って、この録音はCD時代になっても人気がありました。が、今振り返ってみると、この録音の最大の功績は、優秀録音とジャケット写真とで多くの聴き手にこの曲を広く認識させたことにあるということではないかと思えます。

 さて、いよいよテンシュテット盤についてご紹介しましょう。

CDジャケット

マーラー
交響曲第4番
交響曲第8番
テンシュテット指揮ロンドンフィル
録音:1986年4月20-24日、ロンドン、ウォルサムストウ・タウン・ホール、1986年10月8-10日、ウェストミンスター大聖堂
EMI(輸入盤 0946 361580 2 0)

 ショルティ盤に親しんだ後、マーラーの交響曲は長くて、騒々しくて付きあっていられないと思い始めた私は、一頃マーラー演奏から遠ざかっていました。とりわけ第8番は巨大であり、長大です。ひとたびマーラーに対する熱が冷めると最も敬遠したくなるのがこの曲なのです。

 そうした中で私が出会ったのはテンシュテット盤でした。第2部が始まったときに、その語り口にすっかり魅了されてしまいました。長大な第2部の音楽がダイレクトに心に沁みてきます。その演奏の深さと大きさに驚かされ、一挙に聴き通してしまいました。テンシュテットという指揮者の底知れぬすごさを知ったのはそのときです。

 クーベリック盤がマーラーの作曲した音楽を最高の形で再現したものとするならば、テンシュテット盤はテンシュテットがマーラーその人になり、自分の理想とする演奏を自由自在に繰り広げたものと言えるでしょう。同じことは、バーンスタインのマーラー演奏についても言われたと思いますが、この曲に関する限り、テンシュテットはバーンスタインを超えています。

 私はこのテンシュテット盤を聴いて以来、この曲の虜となり、現在に至っています。マーラーの交響曲第8番が苦手だ、分からないという人にはこのCDを勧めます。

 昔はマーラーを演奏する指揮者でもこの曲を演奏しないか、できなかったのに対し、最近では指揮者達が続々とこの曲を録音し始めています。改めて書きますが、私はこの曲が好きなので、許容範囲も広く、よほどのことがなければ十分に満足します。しかし、その中でもテンシュテット盤は別格です。CDに、これだけの音楽を詰め込めるのだと驚いたのはかれこれ20年近く前になるようですが、その思いはこの録音を聴く度に強くなります。傑作中の傑作です。

 

(2006年11月13日、An die MusikクラシックCD試聴記)