An die Musik 開設9周年記念 「大作曲家の交響曲第9番を聴く」
マーラー篇
文:松本武巳さん
マーラーの交響曲とボヘミアの関係について、かつて私はクーベリックのコーナーで、マーラーの交響曲第1番の試聴記を書いたときに、多少述べたことがある。そこで、このマーラーの第9番に関しては、個人的に好きなディスクに加えて、チェコ関係の指揮者やオーケストラのディスクを少々並べて検討してみたい。ここでの記述の順序は、録音年順であるが、月日は意図的に無視している部分があることをご了承頂ければ幸いである。
マーラー
交響曲第9番 ニ短調
カレル・アンチェル指揮チェコフィルハーモニー管弦楽団
録音:1966年同時期の録音であるクレンペラー盤や、チェコフィルの後任者であるノイマン盤と似た、とても暖かく、ゆったりと安心感に浸れる演奏である。アンチェルの解釈とチェコフィルの音色がきちんと合っており、両者の関係が良好であったことも想起させる。これを聴くとノイマンは、アンチェルを演奏解釈面でも継承したのだと思えてくる。
ラファエル・クーベリック指揮バイエルン放送交響楽団
録音:1967年クーベリック盤は、後日クーベリックのページのマーラーシリーズにて取り上げる予定である。
ヴァーツラフ・ノイマン指揮ライプチッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
録音:1967年ノイマンの当該曲最初の録音である。ノイマンはその後チェコフィルと82年、95年に再録音している。さて、この演奏はあまりにも禁欲的な演奏であり、加えて演奏が極めて淡白でもあるので、ノイマンで聴くならば、やはり後年の2枚のいずれかで聴きたいと思うが、反面、曲の持つ本質的な造型はこの録音からはとても明確に見えてくる。実は万人にお薦めするつもりは無いが、個人的には結構このディスクが好みであるのも確かなので、ここに加えた次第である。
オットー・クレンペラー指揮ニューフィルハーモニア管弦楽団
録音:1967年60年代屈指の名演だと思う。この録音からは、まさに人間らしさ・人間臭さを感じ取れる稀有な演奏である。マーラーの交響曲の今日的人気の根源を、はっきりと感じ取れる演奏の中では、もっとも古い時期の録音だと言えるだろう。クレンペラーしかなしえなかった世界がそこここに漂っている、そんなディスクでもある。
オットー・クレンペラー指揮ウィーンフィルハーモニー管弦楽団
録音:1968年クレンペラーの指揮は、前年にスタジオ録音されたディスクの方が数段勝っていると思う。ウィーンフィルはこの曲の理解度が、少なくとも当時は不十分であったと思われてならない。クレンペラーの意図が反映されているとは言いがたい上にアンサンブルも結構乱れている。クレンペラーとウィーンフィルの記念碑としての価値はあるものの、演奏自体はNPOとの録音があれば十分である。
ラファエル・クーベリック指揮バイエルン放送交響楽団
録音:1975年東京文化会館でのライヴ録音でクーベリックの来日公演の記録である。こちらも後日クーベリックのページで取り上げる予定である。
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリンフィルハーモニー管弦楽団
録音:1979年カラヤンでは82年ライヴ録音が有名であるがこのスタジオ盤の方が個人的には好きである。カラヤン美学をとことん堪能できるディスクであると思う。あえて言えば、この曲に対する思い入れが指揮者に少ないように思えることが、欠点といえば欠点であろう。しかし、そもそもカラヤンに思い入れを求めることはお門違いであるとも言えるだろう。
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリンフィルハーモニー管弦楽団
録音:1982年ライヴならでの気合とかは感じ取れるが、スタジオ録音と比較して、解釈面も演奏時間もほとんど変わらない。終楽章はこの世のものと思えない美しさで、究極の耽美的な演奏だと思う。人間がここまである側面を徹底的に追究出来るのだと思い知らされ、通常とは違った意味でカラヤンの真の凄さを実感できるかも知れない。そんな気にさせられるディスクである。好き嫌いを完全に超越した世界であると思う。
ヴァーツラフ・ノイマン指揮チェコフィルハーモニー管弦楽団
録音:1982年この演奏を聴くと、ノイマンは真にマーラー指揮者であったと認識させられる。どっしりとした安定感があり安心して身を委ねられる演奏だと思う。チェコフィルも、指揮者にきちんと合わせている。今後も模範となる演奏であり、録音であると思う。
リボル・ペシェク指揮ロイヤルリバプールフィルハーモニー管弦楽団
録音:1990年1933年プラハに生まれ、82年からチェコフィルの常任指揮者、チェコフィルとともに何度か来日している。87年よりロイヤル・リバプール・フィルの首席指揮者で、この頃の録音である。演奏は実に真っ当であり、安心して聴くことが出来る。心に残る演奏とは若干異なるのも事実なので、推薦するには躊躇する。
ヴァーツラフ・ノイマン指揮チェコフィルハーモニー管弦楽団
録音:1995年ノイマンのラストレコーディングで、セッション終了の5日後に彼は逝去した。人間の感情すら感じさせない程の、純粋な意味での音楽だけが鳴り響く、恐るべき凄演である。1982年盤には、まだまだ色彩感を十分に感じ取れたのだが、この演奏は自然の流れにほぼ全てを委ね、指揮者の人為的な部分が一切感じられないのである。すでに死を宣告されていたノイマンがまさに諦観の境地で指揮した、人生の最期にたどり着いた世界なのであろう。録音が残されたことを幸運と思うか、それとも耳を塞ぎたいと思うか、聴き手もまたそれぞれなのかも知れない。ノイマンが好きな聴き手には宝物であろうことも容易に想像できるディスクである。
ロリン・マゼール指揮バイエルン放送交響楽団(DVD)
録音:1996年ミュンヘン・ヘルクレスザールでのクーベリック追悼コンサート(1996年逝去、1979年までバイエルン放送交響楽団の指揮者)のライヴ映像である。マゼールの旧盤(ウィーンフィル)と演奏時間を比較すると、当該盤の方が第1楽章はかなり長く、第2楽章はほとんど同じで、第3楽章は少し長く、第4楽章もやや長い。バイエルン放送響はクーベリック追悼演奏会であることも加わってか、各演奏家が感情を込めており聴き手の心が強く打たれる。マゼールの指揮も気合の入った指揮振りであり、名演奏であると言い切って良いと思う。
ズデニェク・マーツァル指揮プラハ交響楽団
録音:2000年チェコフィルの首席指揮者マーツァルも、マーラーが得意であり、ここではプラハ響がとても丁寧に演奏しておりレベルはかなり高い。演奏解釈も無理な主張や独自の解釈等は一切せず、自然なテンポで貫かれている。なお、このディスクはライヴ録音である。
ヴラディーミル・アシュケナージ指揮チェコフィルハーモニー管弦楽団
録音:2002年アンチェル、ノイマンなどとマーラーの交響曲で多くの名演を残しているチェコフィルが、暖かい落ち着いた響きを醸し出している。好演奏だが、もっと明確な解釈を指揮者が示せればもっと良かったと考える。
ガリー・ベルティーニ指揮東京都交響楽団
録音:2004年2004年5月30日横浜みなとみらいホールでの東京都交響楽団とのライヴ録音。都響離任のコンサートであり、マーラーチクルスの完結コンサートでもあったのだが、結果的にベルティーニの人生最後の演奏会となってしまった。この演奏に立ち会えたことは、自身にとり終生忘れがたいものがある。
(2007年11月7日記す)
(2007年12月12日、An die MusikクラシックCD試聴記)