An die Musik 開設9周年記念 「大作曲家の交響曲第9番を聴く」

ショスタコーヴィチ篇

文:伊東

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 「大作曲家の交響曲第9番を聴く」に着手するとき、最も気がかりだったのはショスタコーヴィチでした。この曲に特別な愛情がなかったからです。実演でも1度しか聴いたことがありません。どうしたものかと思いながらCDを手当たり次第聴いてみました。面白いもので、そうしているうちに曲への理解が深まってきて、愛着まで感じてくるものですね。こういう企画の効用です。私にとっては非常によい刺激になりました。

 この交響曲第9番は、5楽章で構成されています。楽器編成は特に大きくはありません。弦楽器5部に木管楽器は2本ずつ、金管楽器はトランペット2、ホルン4、トロンボーン3、チューバ。それに打楽器がティンパニ、トライアングル、タンブリン、小太鼓、シンバル、大太鼓という具合です。交響曲第7番、第8番と深刻で重厚長大な曲が続いたのに、この9番は規模的には小粒で、演奏時間は21分から25分程度しかありません。ハイドン的に軽妙洒脱な要素があるかと思えば、本当かどうか分からない悲愴さまで併せ持ち、一筋縄ではいかないところがユニークです。短いからといって軽薄短小であるわけでもなく、かといって荘厳壮麗な曲ではありません。人を食ったような曲であると言えばわかりやすいでしょう。歴史的に大作が並ぶ交響曲第9番をこのようにして発表したのですから、作曲者が初演当時から非難されていたのは当然です。人を食っているのですからねえ。スターリンでなくてもこのような交響曲を前にしたら、「何で?」と首を傾げ、怒り心頭に発してしまうのではないでしょうか。

 ショスタコーヴィチが重厚長大でも壮麗でもない交響曲を世に問うたのは、「俺は御用作曲家ではない」と宣言したに等しいです。彼には天才としての自負があったのでしょう。これでシベリア送りにならなかったのは、ひとえにショスタコーヴィチの世界的名声のお陰です。普通なら命が危ない。いくらショスタコーヴィチだって世知に疎いわけではなかったでしょうから(本当に疎ければ抑圧体制下では寿命を全うできなかったでしょう)、ある意味でこの交響曲第9番は命がけの作品だったと言えます。

 ただし、この曲はショスタコーヴィチが生きた時代背景を無視して聴いても充分楽しめます。熱心なショスタコーヴィチファンから顰蹙を買うことは覚悟の上ですが、以下の試聴記はそうした側面を無視して聴いた結果です。何卒ご了承下さい(ショスタコーヴィチの音楽に対する私の考えは交響曲第8番の試聴記に書きましたので、ここで繰り返す必要はないでしょう。)。

 交響曲第9番はパワーや勢いだけでは乗り切れない曲です。曲が完璧・精巧にできあがっているため演奏にはオーケストラの高度な技術が要求されます。もちろん指揮者とオーケストラの息が合っていないと演奏は難しいでしょう。重厚長大でも壮麗でもない交響曲ですが、それだけに難しい。逆に演奏がうまくいった暁には聴き手だけでなくオーケストラ団員にも大きなカタルシスがあるのではないでしょうか。

 また、この曲の場合、できるだけ録音が良い方が楽しめます。録音がもっさりしているとちょっといただけません。モノラルでもフィリッチャイ指揮ベルリンRIAS交響楽団(1954年録音)のようにすっきりしている録音がお勧めです。

 この観点でいくと、まずはハイティンク盤を筆頭に挙げたくなります。

CDジャケット

ショスタコーヴィチ
交響曲第9番 変ホ長調 作品70
ハイティンク指揮ロンドンフィル
録音:1980年1月、ロンドン、キングズウェイ・ホール
DECCA(国内盤 FOOL-29050/62)

 交響曲第7番でも、第8番でもハイティンク盤を取りあげたので、今回は別の指揮者を取りあげたかったのですが、演奏・録音ともにこれ以上を望めなかったためはずせませんでした。もっと軽く、もっとニヒリスティックに、もっと激しく演奏してもらいたいと思うショスタコーヴィチファンはいるかもしれませんが、極端を求めないハイティンクの美徳がこの曲の演奏に現れているようで私には大変好感が持てます。この演奏を聴くとハイティンクがショスタコーヴィチといかに相性が良かったのか再認識できます。私が所有しているのは大きな箱に入った交響曲全集ですが、交響曲第9番は交響曲第5番とのカップリングで単売されているのでそれがお買い得だと思います。

 次はゲルギエフ盤です。

CDジャケット

ゲルギエフ指揮キーロフ歌劇場管弦楽団
録音:2002年5月18日、サンクトペテルブルク、マリインスキー劇場におけるライブ
PHILIPS(国内盤 UCCP-1083)

カップリング
交響曲第5番 ニ短調 作品47
録音:2002年6月30日、フィンランド、ミケッリ・コンサートホールにおけるライブ録音

 ハイティンクの中庸路線とは違い、第3楽章以下はゲルギエフならではの攻撃的な側面が聴かれます。しかし、このCDは何よりもオーディオ的に面白いのです。

 この頃PHILIPSからは次々とゲルギエフのCDが発売されていました。強力・鮮明な音響と激烈な指揮ぶりが印象的でした。私も好んでゲルギエフのCDを聴いていたものです。しかし、実演で聴くゲルギエフとCDのゲルギエフの音は極端に異なると私は感じています。CDを聴いていても「本当かな?」と思うことがあります。ゲルギエフのCDはPHILIPS録音スタッフによる筋肉増強剤入りではないかと私は疑っているのですが、CDで聴く演奏は編集された商品ですから最近では割り切って楽しむことにしています。オーディオ的にこの曲を楽しむならゲルギエフ盤は最適な1枚でしょう。

 次は時代を遡ります。1960年代のバーンスタインです。

CDジャケット

バーンスタイン指揮ニューヨークフィル
録音:1965年10月19日、ニューヨーク、フィルハーモニックホール(現エヴリー・フィッシャー・ホール)
SONY(輸入盤 SBK 61841)

カップリング
交響曲第5番 ニ短調 作品47
録音:1959年10月20日、ボストン・シンフォニーホール

 このアメリカ人指揮者は音楽を心から愛していたのでしょう。どの聴いても音楽する喜びが演奏から発散されています。ルーティンという言葉からほど遠いところにいた音楽家だったのではないでしょうか。ショスタコーヴィチの場合、バーンスタインにとっては完全に同時代人であって、ショスタコーヴィチの置かれた政治的状況も理解していたと思われますが、バーンスタインは音楽だけを見つめていたようで、この演奏には交響曲第9番のエッセンスが非常に切れ味良く示されていると思います。最初に取りあげたハイティンク盤と並んで非の打ち所がありません。オーケストラが巧いうえに集中力があるので一瞬で聴き手を虜にします。バーンスタインと手兵ニューヨークフィルの魅力が詰まった演奏だと思います。録音は1965年ですが、全く古さを感じさせません。音質も万全です。

 なお、ニューヨークフィル時代のバーンスタインは数日続けて同一プログラムを演奏した後、たった1日でスタジオ録音することを常としたそうです。熱気溢れる演奏がディスクから聴かれるのはそのためでしょう。後年バーンスタインはDGでライブ録音と銘打ったCDを出し始めますが、リハーサル収録分も含めたであろう切り貼りによる「ライブ録音」と、1日で収録された「スタジオ録音」という言葉を並べてみると、言葉とは何なのかと思わずにはいられません。

 バーンスタインは後年この曲をウィーンフィルと再録音しています。

CDジャケット

バーンスタイン指揮ウィーンフィル
録音:1985年10
月、ウィーン、ムジークフェラインザールにおけるライブ
DG(国内盤 POCG-1600)

カップリング
交響曲第6番 ロ短調 作品54
録音:1986年10月、ウィーン、ムジークフェラインザールにおけるライブ

 バーンスタインは晩年になって重厚長大型というのか、末端肥大症型というのかスローテンポで極端な演奏をするケースが増えました。ドヴォルザークの交響曲第9番でみたように、「これは同じ指揮者なのか」と疑問に思うほどの変貌を遂げたものです。

 しかし、どの曲も同じように重厚長大になったわけではないようです。ウィーンフィルとの再録音では全体的にやや厚い響きになってはいますが、極端な音楽にはなっていません。おそらく、バーンスタインの中にはこの曲に対する確固としたイメージがあって、それが終生変わらなかったのだと思います。指揮者の最終的な到達点としてはこの演奏を取るべきでしょう(私はニューヨークフィル盤の方がオーケストラがよく反応しているし、録音もすっきりしているので好きなのですが、これは好き・嫌いの問題でしょう)。

 もう1枚だけ紹介しておきます。チェリビダッケ盤です。

CDジャケット

チェリビダッケ指揮ミュンヘンフィル
録音:1990年2月、ミュンヘン、ガスタイクのフィルハーモニーにおけるライブ
EMI(国内盤 TOCE-55671)

カップリング
交響曲第1番 ヘ短調 作品10
録音:1994年5-6月、ミュンヘン、ガスタイクのフィルハーモニーにおけるライブ
バーバー
弦楽のためのアダージョ
録音:1992年1月、ミュンヘン、ガスタイクのフィルハーモニーにおけるライブ

 「レクイエム・ボックス」というボックスセットからの1枚です。「レクイエム・・・」となっているのは何もショスタコーヴィチだからではなくて、バーバーの「弦楽のためのアダージョ」が収録されているからでしょう。

 閑話休題。これは素敵な録音です。チェリビダッケはミュンヘン時代に、晩年のバーンスタイン以上の極端な演奏をした指揮者でしたが、このショスタコーヴィチを聴くとチェリビダッケがいつも超スローテンポで演奏していたわけではないことが分かります。楽章にもよりますが、概ね平均値からは極端に逸脱しないテンポです。

 すばらしいのは当時のミュンヘンフィルです。一流楽団と見なされることはほとんどなかったオーケストラですが、チェリビダッケのもとでは実に見事な音色を聴かせてくれます。「ショスタコーヴィチの音楽は美しい」と思わせられる音色です。EMIの音質は批判の対象となりがちですが、全体として静謐な雰囲気の中で奏でられるショスタコーヴィチの世界を聴いていると、とても幸せな気持ちになります。EMIというより、会場を知り尽くしたバイエルン放送局スタッフのお陰でしょう。ショスタコーヴィチもチェリビダッケも好きにならずにはいられなくなる1枚です。

 

(2007年11月18日、An die MusikクラシックCD試聴記)