シンフォニック・ジャズ

文:青木さん

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 今回ご招待いたしますのは、世間であまりマトモに論じられることのない「シンフォニック・ジャズ」の世界。ジャズの影響を受けたクラシック音楽のオーケストラ曲のことですが、「なんとか・ジャズ」という言い方だとジャズの中の一分野みたいに聞こえるので、どうも違和感をぬぐいきれません。でもよく使われるコトバであり他に適切な用語も思い浮かばないので、これを使うことにしました。まずはそういうコンセプトで企画・制作されたアルバムから。

 

PART 1 シンフォニック・ジャズのアルバム   

 

(1)ラトルとMTTのジャズ・アルバム対決

CDジャケット

CD1 “ザ・ジャズ・アルバム”
[1]ミヨー:バレエ音楽「世界の創造」 (1923)
[2]ガーシュウィン [グローフェ編]:ラプソディ・イン・ブルー (1924)
[3]クレーマー&レイトン [スティル編]:君去りし後
[4]カーン、アードマン、マイヤーズ&ショーベル(ヘイトン編):ノーバディーズ・スウィートハート
[5]ストラヴィンスキー:エボニー・コンチェルト (1945)
[6]ハリス&ヤング [チャリス編):スウィート・スー
[7]バーナード&ブラック [チャリス編]:ダーダネラ
[8]ドナルドソン&カーン [グローフェ編]:メイキン・フーピー
[9]ドナルドソン&ホワイティング [グローフェ編]:私の青空
[10]マクフィエル&マイケルズ [チャリス編]:サン
[11]バーンスタイン:プレリュード、フーガとリフ (1949)
サイモン・ラトル指揮 ロンドン・シンフォニエッタ
ピアノ:ピーター・ドノホー
録音:1986年12月-1987年1月 ウェンブリー、CTSスタジオ
EMI(国内盤:EMIミュージック・ジャパン TOCE90157)

CDジャケット

CD2 “ニュー・ワールド・ジャズ”
[1]アダムス:ロラパルーザ (1995)
[2]ガーシュウィン:ラプソディ・イン・ブルー (1924)
[3]バーンスタイン:プレリュード、フーガとリフ (1949)
[4]ミヨー:バレエ音楽「世界の創造」 (1923)
[5]ストラヴィンスキー:エボニー・コンチェルト (1945)
[6]ヒンデミット:ラグタイム (1921)
[7]アンタイル:ジャズ・シンフォニー (1925)
[8]ラスキン:映画「悪人と美女」のテーマ (1944)
マイケル・ティルソン・トーマス指揮(及びピアノ) ニュー・ワールド交響楽団
録音:1997年1月26-27日 フロリダ、パフォーミング・アーツ・ブロワード・センター
RCA(国内盤:BMGジャパン BVCC31007)

 

 直球タイトルのラトル盤と、オーケストラの名称に引っ掛けたタイトルのMTT盤。この両CDは、四つの曲が重複している。ラトル盤はいわばクラシック系のその四曲([1][2][5][11])を核とし、ポピュラー系のスタンダード・ナンバーを組み合わせるという構成。それらのポピュラー曲はポール・ホワイトマン楽団用のアレンジを再現したバージョンで、ホワイトマン楽団こそは[2]の「ラプソディ・イン・ブルー」の初演団体、という関連性をいちおう持たせてあるものの、クラシックとポップスがごちゃ混ぜに並ぶ結果となりすっきりしない仕上がりになってしまっている。その点ちょうど10年後に録音されたMTT盤は全体の統一感はあるのだが、ゲンダイオンガク色が強くなっているので親しみやすさの面では一歩譲った格好だ。企画性としては一長一短、個人的にはMTT盤が圧倒的に好み、という印象だった。では共通する四曲について、楽曲と演奏の感想を簡単に。

 

○世界の創造 (1923)

ロンドンとニューヨークでジャズの洗礼を受けたというミヨーだが、この作品は「アフリカにおける天地創造」が題材らしいので、アフリカをルーツとするジャズの導入は、ある意味で道理にかなっているのかも。楽器の用法、ブルージーなフレーズ、ニューオーリンズやスウィングの雰囲気など、多彩というか雑多な要素がジャズを主張している。とはいえ全体はクールなトーンに支配されていて、そのあたりのムードをうまく出しているのは、一歩引いた俯瞰的スタンスをとるかのようなラトル。MTTはもっと内面からみた世界観という雰囲気の演奏で、シャープなサウンドがそれを助長している。

○ラプソディ・イン・ブルー (1924)

説明不要の超有名曲。両盤ともグローフェがフル・オーケストラ用に再編曲した「通常版」ではなく、初演時の「オリジナル版」(こちらもオーケストレーションはグローフェ)での演奏なのだが、MTTよりもラトルのほうが溌剌とした雰囲気なのはやや意外。

○プレリュード、フーガとリフ (1949)

ウディ・ハーマンの依頼で作曲されベニー・グッドマンが初演したというこの曲が、バーンスタインの数多い作品の中で最もジャズ寄りの一曲、だという。わずかなテンポの違いこそあれ、どちらもスカッとした快演だ。というより、曲があまりにもすばらしすぎる。

○エボニー・コンチェルト (1945)

これもウディ・ハーマンのために作曲されたもので、ラグタイム→ブルース→ルンバという構成だが、そんな形式面は意識しないほうが楽しめるように思う。かなり屈折した曲想で、それに沿った演奏だと感じられるのはMTT。ラトルはちょっと明るすぎるような。

 という感じだが、これらの曲に関する限り、両盤ともタイプはやや異なるものの、互角の高水準だと思う。入手しにくいMTT盤を探し続けたりするよりも、何度も再発されてきているラトル盤をさっさと買って楽しむほうが利口な選択かもしれない。

(2)MTT補遺&クラリネット

CDジャケット

CD3
[1]コープランド:クラリネット協奏曲 (1949)
[2]ジェンキンズ:グッドバイ「ベニーを追憶して」 [B.ダグラス編]
[3]バーンスタイン:クラリネット・ソナタ [S.ラミン編]
[4]バーンスタイン:「ウェスト・サイド」異版 [F.ベネット編]
[5]ガーシュウィン:プロムナード(ウォーキング・ザ・ドッグ) [S.シルヴァーマン編]
[6]ガーシュウィン:ポーギーとベス〜ベス、お前はおれのもの [S.シルヴァーマン編]
[7]ガーシュウィン:ショート・ストーリー [D.セベスキー編]
[8]ガーシュウィン:三つの前奏曲 [D.セベスキー編]
クラリネット:リチャード・ストルツマン
マイケル・ティルソン・トーマス[1,2]、エリック・スターン[3-8]指揮 ロンドン交響楽団
録音:1992年11月18日[1-2]、1993年5月8-9日[3-8] ロンドン、アビー・ロード第1スタジオ
RCA(国内盤:BMGビクター BVCC638)

 

 クラシックとジャズの両分野において重要な役割をになう楽器といえばもちろんピアノだが、次点はクラリネットではないだろうか。戦後のモダン・ジャズ以降はトランペットやサックスにその地位を譲ったものの、それ以前のディキシーランドやスウィングの時代には花形ソロ楽器。バンド・リーダーとしても名を成したベニー・グッドマンやウディ・ハーマンも、担当楽器はクラリネットだった。その二人がクラシック畑の作品の作曲や初演に関与した例は、すでにいくつか触れたほかにもいろいろあるようだ。そういう曲も入っているストルツマンのこのアルバムは、あえて銘打たれてはいないものの結果的にシンフォニック・ジャズの一断面を鮮やかに切りとった作品集になっていて、なかなか興味深い一枚だと思う。

 コープランド作の[1]は二部形式の曲で、クラリネットの淡い叙情性とジャジーな性格の両面をそれぞれで引き出すという構成の、たまらなくいい曲だ。この曲の注文主もベニー・グッドマン、そのつながりでグッドマン楽団のクロージング・テーマだったメロウな[2]が演奏され、ここでMTTは出番終了。[3]以降は別指揮者によるバーンスタインとガーシュウィンの編曲ものだが、[1]に合わせて弦楽中心のアレンジになっているので統一感がある。これはこれで「ウィズ・ストリングス」風というか、管も活躍する[4]とは違った意味でのシンフォニック・ジャズらしい雰囲気があって、なかなか結構。ストルツマンのクラリネットが自己主張しすぎることなくうまく溶け込んでいるのも美点だが、この人はやはり普通のクラシック系の奏者とは違う個性を持っているように感じる。

 なお[1]は“CONCERTO!”シリーズというテレビ用の映像作品から採られたもので、LDやDVDと同一音源とのこと。ストルツマンは[1]を別に録音しており、ストラヴィンスキー「エボニー・コンチェルト」やバーンスタインの「プレリュード、フーガとリフ」も入っているそちらのCDもよいのだが、今回はMTTつながりということでこちらのCDを採りあげた。ガーシュウィン集やコープランド集をいくつも制作しているMTTとしても、忘れられがちな録音のようでもあるし。

CDジャケット

CD4 “コレクターズ・エディション”
[1]バーンスタイン:プレリュード、フーガとリフ (1949)
[2]コープランド:クラリネット協奏曲 (1949)
[3]ストラヴィンスキー:エボニー・コンチェルト (1945)
[4]グールド:クラリネットとバンドのためのデリヴェーション
[5]バルトーク:コントラスツ
クラリネット:ベニー・グッドマン
レナード・バーンスタイン[1]、イーゴリ・ストラヴィンスキー[3]、モートン・グールド[4]指揮 コロンビア・ジャズ・コンボ/アーロン・コープランド指揮コロンビア交響楽団[2]
ピアノ:ベラ・バルトーク[5]/ヴァイオリン:ヨーゼフ・シゲティ[5]
録音:1940年5月13日[5,mono]、1963年2月20日[2]、4月25日[4]、5月6日[1] 、1965年4月27日[3]
コロンビア(国内盤:CBSソニー 32DC870)

 

 シンフォニック・ジャズのクラリネット奏者といえば、何度も名前の出てきたベニー・グッドマンこそが第一人者だろう。その側面に焦点を当てて編まれたこのディスク、バックの指揮者がすべて「作曲者本人」というのがなんだかすごい。シンフォニックではない室内楽の[5]でさえ、作曲者が演奏に参加している。よくぞ集めたり、といいたくなるこの音源蒐集ぶりが「コレクターズ・エディション」と銘打たれているゆえんだろうか。LP時代に“MEETING AT THE SUMMIT”というタイトルで出ていた[1]〜[4]に[5]を加えてグッドマン追悼盤として出たCDだという。

 ストルツマンとは違う意味で個性的なクラリネットではあるものの、曲がモーツァルトやブラームスならともかく、こういったレパートリーだけに違和感は特にない。むしろ少々気になるのはサウンド・プロダクションの側面。60年代のソニー(コロンビア)の録音は、それなりにクリアではあるものの定位が不自然な傾向があって、ステレオ感の誇大強調やクローズアップ音像が目立ちがちだ。まあそのせいで「こんな音も鳴っていたのか」的な発見もあったりもするので、こういうものだと割り切ればかまわないのだけれど。それにしてもこんなディスクが成立するという事実からは、グッドマンの功績のみならず、クラリネットという楽器の存在の特異性も伺えるようだ。

 

PART 2 ガーシュウィンとストラヴィンスキー

 

 さて、ここまでのアルバムを並べてみるだけでもわかるように、とりわけポピュラーな「ラプソディ・イン・ブルー」の作曲者ガーシュウィンこそ、シンフォニック・ジャズを確立し後世に大きな影響を与えたパイオニア的存在といえるだろう。そして「エボニー・コンチェルト」のストラヴィンスキーも、ジャズを採り入れたユニークな作品を早くから作ってきた。次はこの二人に焦点を当ててみたい。

(1)ガーシュウィンのシンフォニック・ジャズ

CDジャケット

CD5
ガーシュウィン
[1]ラプソディ・イン・ブルー (1924)
[2]パリのアメリカ人 [F.キャンベル=ワトソン改訂版] (1928)
[3]ピアノ協奏曲 ヘ調 (1925)
[4]交響的絵画「ポーギーとベス」 [R.R.ベネット編] (1935/1942)
[5]アイ・ガット・リズム(ピアノとオーケストラのための変奏曲) [W.C.シェーンフェルト改訂版] (1934)
[6]ラプソディ第2番(ピアノとオーケストラのための) [R.マクブライド編] (1931)
[7]キューバ序曲 (1932)
[8]プレリュード(ピアノ・ソロのための) (1925)
エド・デ・ワールト[1-5,7]/エリアフ・インバル[6]指揮 モンテ・カルロ国立歌劇場管弦楽団
ピアノ:ウェルナー・ハース[1,3,5,6,8]
録音:1970年6-10月[1,3,5]、1971年5月3-8日[2,4,7]、1972年10月17-18日[6,8]、モンテ・カルロ
フィリップス(国内盤:日本フォノグラム PHCP9151-2)

 

 ガーシュウィンが作曲した「シリアス・ミュージック」(非ポピュラー音楽)としての管弦楽作品は七曲しかないそうで(Wikipedia等による)、そのすべてがこの旧フィリップス“DUO”シリーズのCD5で揃う。七曲のうちジャズ色が濃いのは、独奏ピアノをフューチュアした[1][3][5][6]。やはりピアノこそがジャズ・イディオムの体現にもっともふさわしい楽器なのだろう。[1]はラトルやMTTと違って通常のオーケストラ版だが、それでもジャジーな雰囲気がさほど薄まっていないのはピアノの活躍があればこそ。タイトルのせいで二番煎じ的イメージを持ってしまう[6]も、それを忘れて聴いてみればけっこういい作品だ。[3]は協奏曲らしく三楽章形式を採ったにもかかわらず構成面がややルーズで、冗長感を否めない面も。ジャズとオーケストラの融合に関しては、変奏曲形式の[5]がもっとも成功しているように感じる。そして、編曲版がストルツマン盤に入っていた[8]、ここに入っているのはピアノ・ソロ版だが、これがすばらしい。うれしいオマケ。

 この二枚組CDの音源はもともとLP三枚組のセットとして出ていたもので、演奏者はすべて欧州勢で統一されており、本家たる米国の関与が排除されている。といっても落ち着いたていねいな好演で、聴いていて違和感のようなものはない。もちろんリズムの鋭い冴えや軽妙洒脱な雰囲気は控えめながら、これくらいのほうが管弦楽作品らしい側面をよく伝えていて、勢い先行の粗っぽい演奏よりずっといいと思う。フィリップス・トーンに彩られた音質もまことに結構。[4]〜[8]はシルバーライン・シリーズのCDでも出ていた。なお旧フィリップスには[1][2][3]のプレヴィン盤もあるが、旧EMIの旧盤と同じく[1]に無残なカットがあるのでアウト。

 ちなみに似たような企画のものとして、VOXから出ていたスラットキン&セントルイス響盤もCD化されていた。やはりLP三枚分が二枚組CDに収められ、“The Complete Gershwin – Works for Orchestra, for Piano & Orchestra”と題されている。収録曲は、ワールト盤の[1]〜[7]に加えて、弦楽四重奏のための初期の習作「子守歌」(シャイーらの録音あり)と、最後の器楽曲になったという「プロムナード」(映画「踊らん哉」の音楽で、ストルツマンのCD3にも収録)。これらをもって「コンプリート」と称するからには、フィードラーやMTTらが録音しているミュージカル・ナンバーや映画音楽なんかは非クラシックの別物という認識なのだろう。「ポーギーとベス」の組曲として、ガーシュウィン自身が手がけたという「キャットフィッシュ・ロウ」を選んでいる点でも、アルバム表題にふさわしい。聴いていて楽しいのはベネット編曲の「交響的絵画」のほうだと思うけど。

 

CD6 “ガーシュウィン・バイ・グローフェ”

CDジャケット

ガーシュウィン
[1]アイ・ガット・リズム変奏曲 [ガーシュウィンによるオリジナル・オーケストレーション]
[2]ヤンキー・ドゥードゥル・ブルース
[3]ヤンキー・ドゥードゥル・ブルース [エジソン・ファイサイド型蓄音機によるアコースティック録音]
[4]すてきな気持ち
[5]誰かが私を愛している
[6]スウィート・アンド・ロウ・ダウン
[7]天国への階段
[8]私の彼氏
[9]魅惑のリズム
[10]サマータイム
[11]ラプソディ・イン・ブルー [グローフェによるオリジナル・ジャズバンド版]
スティーヴン・リッチマン指揮 ハーモニー・アンサンブル・ニューヨーク
ピアノ:リンカーン・マヨーガ[1,10,11]
アルト・サックス、クラリネット、バス・クラリネット:アル・ガロドロ[9,10,11]
録音:2004年4月[9]、2006年4月[10,11]、2007年5月 ニューヨーク州大学パフォーミング・アーツ・センター
ハルモニア・ムンディ(海外盤:HMU907492)

 

 比較的最近に出たこのディスクは、CD1のラトル盤に似たコンセプトによるガーシュウィン集。ポール・ホワイトマン楽団のためのオリジナル・アレンジを使用した演奏集となっていて、冒頭の「アイ・ガット・リズム」変奏曲はガーシュウィン自身のレアな版、「サマータイム」はサックスとピアノのデュオ、他はグローフェによる編曲。ジャケットには(なぜか裏面にだけ)アルバムのサブタイトルとして“Symphonic Jazz”と大書きされている。ベースやドラムスやバンジョーがいるかと思うと弦やホルンやチューバも入っているという、ジャズのビッグ・バンドともクラシックのオーケストラとも異なる奇妙な編成のポール・ホワイトマン楽団。しかしながら、どちらかといえばこれはやはりジャズだろう。それが「シンフォニック・ジャズ」の原型にして典型例なのだとすれば、「ジャズの影響を受けたクラシック音楽のオーケストラ曲」の総称としては、やはり別の言い方を探さなければならない。

 それはさておき、シンフォニック・ジャズが誕生した時代の空気を現代に蘇らせることを主眼としたこのCD、なんだかすごい。ジャケットやブックレットには当時の写真を多数掲載、CD本体はアナログ盤風のデザイン(信号面まで黒い!)、さらに一曲だけわざわざ1909年のエジソン蝋管蓄音機を使ってアナログ録音(ノイズまみれ・・・)、といったコダワリぶり。演奏のほうもいわば「ピリオド・アプローチ」を徹底しているとみえて、「ラプソディ・イン・ブルー」などは同じ原典版を使っているラトル盤やMTT盤ともかなり異なる味わいだ。指揮者の力量の違い等もあるのかもしれないが、やはりこれは当時のサウンドの再現をマニアックに追及した成果なのだろう。

 なお当盤の演奏者たちは、「初演版によるグローフェ作品集」も録音しており、すでにゆきのじょうさんが紹介されていた。

 余談になるが、“Rhapsody In Blue”(邦題『アメリカ交響楽』)というガーシュウィンの伝記映画の中で、「ラプソディ・イン・ブルー」初演のシークエンスがある。わりと最近の映画だと“Coco Chanel & Igor Stravinsky”の冒頭が「春の祭典」の初演光景(モントゥーぽい指揮者も登場!)だったことを思い出すが、ガーシュウィンのその映画が作られたのは初演からわずか30年後ということで、ここではホワイトマンが本人役で楽団ごと出演。視覚面の再現性はかなり高いとみてよさそうだ。

(2)ストラヴィンスキーのジャズ・サイド

CDジャケット

CD7
ストラヴィンスキー:組曲「兵士の物語」 (1918)
(「プルチネルラ」組曲とカプリング)
イーゴリ・ストラヴィンスキー指揮 コロンビア室内アンサンブル
録音:1961年2月10-13日 ハリウッド、リージョン・ホール
コロンビア(海外盤:Sony Classical SX9K 64136)

 「シンフォニック・ジャズ」の王道パターンを定着させたガーシュウィンに対して、ストラヴィンスキー大先生のジャズ導入手法はさすがに一筋縄ではいかぬもの。1916年にエルネスト・アンセルメからもらったジャズのスコアに興奮したという彼が、1918年に完成させた舞台音楽「兵士の物語」は、主に楽器編成の点でジャズを参考にしたという。特に、一人の奏者がプレイする八種の打楽器がドラム・セットを彷彿とさせる瞬間があったりして、このリズムの扱いは当時かなり斬新だったのではなかろうか。

 台詞の入る全曲版と演奏会用の組曲版とがあり、ジャン・コクトーが語りと台本構成を担当したマルケヴィチ盤(旧フィリップス)が前者の大名盤とされているものの、音楽の入らないナレーションの箇所が多すぎてちょっとタイクツ。一方の組曲版だが、この曲のようなストラヴィンスキーの中〜小編成の曲を聴くときは、本人指揮の自作自演盤がいい。ドライでそっけない表情ながら意外と奥の深い面や新発見があったりして、いまのところもっとも気に入っている。“THE ORIGINAL JACKET COLLECTION”シリーズなら当時のコロンビア社の凝ったジャケット・デザインも楽しめて、言うことなし。その場しのぎのような演奏団体名はいただけないけれど。

CDジャケット

CD8 “室内楽とジャズ・アンサンブルのための音楽”
ストラヴィンスキー
[1]ジャズ・バンドのためのプレルディウム (1937)
[2]パストラール (1907/1933)
[3]11楽器のためのラグタイム (1918)
[4]木管楽器のための八重奏曲 (1923)
[5]タンゴ (1940/1953)
[6]12楽器のためのコンチェルティーノ (1920/1952)
[7]エボニー・コンチェルト (1945)
イーゴリ・ストラヴィンスキー指揮 コロンビア・ジャズ・コンボ[1,5,7]/コロンビア室内アンサンブル[2,3,4,6,]
クラリネット:ベニー・グッドマン[7]
録音:1961年1月5日[4]、1962年1月26日[3]、1965年4月27日[1,5,7]、以上ニューヨーク/1965年10月26日 ハリウッド、リージョン・ホール[2,6]
コロンビア(海外盤:Sony Classical SX9K 64136)

 

 「兵士の物語」が作曲された1918年といえば、ストラヴィンスキーの作風が「原始主義期」から「新古典主義期」へ移る過渡期に当たるようだ。CD1、2、4に入っていた「エボニー・コンチェルト」はもっと後年の1945年の作品ということでシンフォニック・ジャズとして高い完成度を持つ作品だが、それ以前の「ラグタイム」「八重奏曲」「プレルディウム」などの奇天烈さにも独特の魅力がある。

 これらの曲を作曲者自身が、これまたテキトーに命名された楽団を指揮して録音した上記CDは、数あるストラヴィンスキー自作自演盤の中でも特に個性的な一枚だと思う。「兵士の物語」に続いて作曲されたという[3]では「ハーリ・ヤーノシュ」でおなじみのツィンバロンを大フューチュア、それがジャジーなリズムに乗るとバンジョーに聴こえたりして、なんともはやユニークきわまる世界。このディスクにも「エボニー・コンチェルト」がちゃんと入っていて、ソロはベニー・グッドマン。つまりCD4に使われている音源だ。

 

PART 3 1920〜1930年代のヨーロッパ

 

(1)年代別の企画盤

国内盤
輸入盤

CD9,10 “1920年代のピアノ協奏曲集 vol.1&2”
[1]アンタイル:ピアノ協奏曲第1番 (1922)
[2]コープランド:ピアノ協奏曲 (1926)
[3]オネゲル:ピアノとオーケストラのためのコンチェルティーノ H.55 (1924)
[4]ラヴェル:ピアノ協奏曲 ト長調 (1930)
[5]シュルホフ:ピアノと小オーケストラのための協奏曲 Op.44 (1923)
[6]アンタイル:ジャズ・シンフォニー〜ピアノとオーケストラのための (1927)
[7]ガーシュウィン:ピアノ協奏曲 ヘ調 (1925)
ピアノ:ミヒャエル・リシェ
クリフトフ・ポッペン指揮 バンベルク交響楽団[1]
スティーヴン・スローン[2,3]、イスラエル・イーノン[4]、ガンサー・シュラー[5]指揮 WDRケルン放送交響楽団
ウェイン・マーシャル指揮 ベルリン放送交響楽団[6,7]
録音:1993年12月15-17日[5], 1995年9月[2,3], 1999年9月[4] ケルン、フィルハーモニー/2001年10月 バンベルク[1]/2002年12月[6], 2003年2月[7] ベルリン、イエス・キリスト教会
アルテ・ノヴァ(国内盤:BMGファンハウス BVCE38070[1-4]、BVCE38071[5-7])

 

 ここまでの楽曲の作曲年号を見てもわかるように、クラシックの作曲家が最初にジャズに影響を受けたのは主として1920年代ということになるようだ。その切り口でピアノ協奏曲だけを集めて制作された正続二枚のシリーズがCD9とCD10。全曲のピアノ独奏を担当しているリシェ自身によるライナーノートは、「かつて1920年代ほどクラシック音楽とジャズが近しく接近したことはなかった」という一文で始まっている。

 二曲あるアンタイルの作品のうちの[6]はMTTのCD2にも収録されているが、クレジットされている年号がその両盤で違っている。出版社の記載と実際の作曲年とにズレがある模様。いずれにしても、ケッサクな「バレエ・メカニック」と同時期の作品だ。それより前に作曲された[1]はこれが世界初録音だそうで、「春の祭典」にソックリな部分ばかりが耳につくせいか、ジャズ風味は控えめという印象。その点[6]はタイトルに偽りなし(コンチェルトだけど)。曲想がめまぐるしく変化し(いろいろな既存曲が引用されているらしい)、賑々しく楽しい作品。[2][3]はジャズ・エレメンツを組み込んだ作曲法という観点からはいまひとつ未整理な印象で、でもそのアンバランスさが独特の魅力に感じられたりもする。という順で続けて聴いていくと、やはりラヴェルの[4]は別次元の傑作だと痛感する。しかしここに至って演奏面にやや不満が。もうちょっとシャープさ又は洒脱さのどちらかが欲しかった。

 CDが替わってシュルホフの[5]は、一般にはピアノ協奏曲(第2番)Op.43「ジャズ風に」と呼ばれているものと同じ曲のようだ。解説によると後期ロマン派+ダダイズム+ジャズという様式とのことながら、ダダと聞いても三面怪人のほうを想起してしまうのが情けない。混沌としたイメージで開始されたのち、最終楽章に当たる「Allegro alla Jazz」の部分に至ると激しいリズムが炸裂。続くアンタイルの[6]を経たラストの[7]は、この流れで聴くと「ラプソディ・イン・ブルー」「パリのアメリカ人」から続けて聴いたときとはガラッと違う印象になるのがおもしろいのだが、ともあれやはりガーシュウィンは才人だと感じ入る。曲順ということでいえばラヴェルが中トリでガーシュウィンがトリという寄席のような構成で、やはりこの両曲が真打ち・大看板であるという御意見(だれも言ってないけど)には賛成だ。

 とにかくこの二枚のCD、楽曲と演奏者の詳細な解説の邦訳が付いた国内盤が定価各1000円だった。ジャケット・デザインは海外盤に負けるものの、それ以外はまず文句なしのお勧め盤といっていいだろう。このように同時代のピアノ協奏曲に限定してみても、ジャズとクラシックの融合法にはさまざまなアイデアがあったという多様性を実感できる。

CDジャケット

CD11 “SOUNDS OF THE 30S”
[1]ラヴェル:ピアノ協奏曲 ト長調 (1930)
[2]ストラヴィンスキー:タンゴ[ピアノ・ヴァージョン](1940)
[3]ヴァイル:スラバヤ・ジョニー(「ハッピー・エンド」から)(1929)
[4]ヴァイル:タンゴ・バラード (「三文オペラ」から)(1928)
[5]ストラヴィンスキー:タンゴ[フェリックス・ギュンターによるオーケストラ・バージョン]
[6]デ・サバタ:組曲「千一夜物語」(1931)
ピアノ:ステファノ・ボラーニ
リッカルド・シャイー 指揮 ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
録音:2011年8月29日-9月2日 ライプツィヒ、ゲヴァントハウス
デッカ(国内盤:ユニバーサル・ミュージック UCCD1326)

 

 CD9とも共通するラヴェルから始まるこのCDは、「1920年代のアメリカのムーヴメントが波及したヨーロッパの1930年代」をコンセプトにしているらしく、ジャズのピアニストを迎えているということもあって、今回のテーマに合致するものといえる。一方で、起用されているオーケストラにはミスマッチのイメージが強い。とはいえこれはガーシュウィン集に続く彼らの第二弾CDということで、あえてその違和感を狙った企画なのだろう。実際のサウンドは、たとえばコンドラシン指揮コンセルトヘボウ管の「パリのアメリカ人」のような居心地の悪さはなく、ボラーニのピアノも緩急自在ではあるものの総体的には意外と端正で、これはこれで「欧州で花開いたシンフォニック・ジャズ」の一パターンのように感じられないこともない。

 しかしそれは[1]と[5]の二曲だけ。[2]から[4]はピアノ・ソロによる演奏で、そのうち[2]がオーケストラ(作曲者による編曲とは別の版)によって[5]で繰り返される構成となっている。[6]は指揮者として知られるサバタの作品で、ジャズっぽさという意味での1930年代的雰囲気はほとんどなく、30分近くを費やしてここに収録される意味がいまひとつわからない。楽しい作品ではあるのだけれど。

※ラヴェルが最初にジャズ的手法を導入した歌劇「子供と魔法」の初演を指揮したのがデ・サバタだった、という因縁めいた関連性がライナーノートに記されていた。

海外盤LP
海外盤
国内盤

CD12 “PARIS 1917-1938”
[1]サティ:バレエ「パラード」(1917)
[2]ミヨー:バレエ「屋根の上の牛」(1920)
[3]オーリック:序曲 (1938)
[4]フランセ:ピアノとオーケストラのためのコンチェルティーノ (1934)
ピアノ:クロード・フランセ[4]
アンタル・ドラティ指揮 ロンドン交響楽団
録音:1965年8月4-6日
マーキュリー(海外盤LP:SR90435、国内盤CD:PHCP-10253)

 ちょっと年代スパンが拡大するし、ジャズ的要素は少ないのだが、大好きなドラティのマーキュリー録音なので無理やり登場させた。原題からわかるように、いわゆる「フランス六人組」を核とした近代フランスの作曲家による作品集。明るく洒脱な雰囲気、にぎやかなシンコペーションなどによって、シンフォニック・ジャズぽいムードを感じることができる。中でもピアノが入る[4]がやはりもっとも「それっぽい」印象だ。独奏者のクロードは作曲者の令嬢とのこと。

 それにしても毎度のことながら、キビキビとした躍動感に満ちたドラティの指揮ぶり、そしてマーキュリーの生々しくエネルギーあふれるサウンドは最強、まったくすばらしい。CDは別のアルバムからの曲を加えて編集されており、ジャケットもタイトルも変えられている。海外盤はリヴィング・プレゼンスを集成したボックス・セットのVol.2にも収録。

 

(2)ここまでの総括

 ジャズに限定せず広く「1920年代」をテーマにしたアルバムとして、手持ちの中ではビシュコフ指揮パリ管の『パリ1920』(プーランク、ミヨー、オネゲル)やシャイー指揮コンセルトヘボウ管の『1920年代のアヴァンギャルド!!』(モソロフ、プロコフィエフ、ヴァレーズ)が見つかった。シャイーとコンセルトヘボウといえばショスタコーヴィチの『ジャズ・アルバム』も、1930年代に作曲された楽曲集とはいえ「20年代の流行を遅ればせながら採り入れた作品群」ということで、この延長上の一枚だろう。しかしショスタコの「ジャズ」は、ポピュラー音楽ないし流行歌というかなり広義の解釈。そういえば現代日本においても、「定禅寺ストリートジャズフェスティバル」「高槻ジャズストリート」等に代表される市民参加型ジャズ・フェスで演奏される音楽は、いわゆる狭義のジャズには限定されていないし。

 こうしてみてくると、この1920〜30年代というのはとにかくなんらかの新しいムーヴメントを採りいれずにはいられない、そんな時代だったようだ。ジャズはその新奇アイテムの代表的手段に過ぎず、音楽理論上の意図があって積極的に導入されたわけではなかったのかもしれない。だとすれば融合の手法や度合いを分析してもあまり意味ないわけで、エネルギッシュかつ混沌としたその「時代の雰囲気」を味わうことができれば十分なのではないだろうか、とも思う。

 それにこの時期のシンフォニック・ジャズに影響を与えた「ジャズ」は、ジャズの歴史を概観すればわかるように未だ進化の途上段階であり、ラグタイムやディキシーランドせいぜいスウィングといったところにとどまっているわけだ。ジャズと聞いて我々が普通にイメージする戦後のモダン・ジャズとは異なるものに対して、現代の感覚であれこれ考えたところで、あまりシャープな考察になりそうもない。これはたとえば「幻想交響曲」の革新性を現時点ではなかなか実感しにくいのと同種のもどかしさだろうか。

 

PART 4 第二次大戦後のアメリカ

 

 ジャズを成立させガーシュウィンが生まれ育った地でもあるアメリカ。しかし戦前のシンフォニック・ジャズはそのアメリカではなく、前章でも見てきたようにパリを中心としたヨーロッパで花開いた。ガーシュウィン自身も自らの管弦楽法のスキル・アップを目指して渡欧したほどだったが、ラヴェルに「一流のガーシュウィンが二流のラヴェルになることはあるまいよ」と言われ、ストラヴィンスキーには「どないやったらあんさんみたいに儲かりまんねん?」と逆に教えを請われ・・・という逸話(≠実話)はよく知られている。

 そのストラヴィンスキーをはじめとしてシェーンベルク、バルトーク、ミヨー、ヒンデミット、ヴァレーズらがこぞって移住(亡命)した大戦前後のアメリカ。そこでのジャズはビ・バップ〜ハード・パップ〜モードといったモダン・ジャズの時代に突入していた。そして同地におけるシンフォニック・ジャズはますます拡大というか拡散していったようで、もはやとても全貌を把握できない。ここでは、管弦楽団とジャズ・ミュージシャンが共演するという、実際の演奏面での融合を果たしてしまった作品のCDをいくつかご紹介。

CDジャケット

CD13
ロルフ・リーバーマン
ジャズバンドとシンフォニー・オーケストラのための協奏曲 (1954)
サウター=フィネガン・オーケストラ
フリッツ・ライナー指揮 シカゴ交響楽団
録音:1954年12月6日 シカゴ、オーケストラ・ホール
RCA(国内盤:BMGファンハウス CTB1001)

 

 頭脳派モダン・ジャズ・グループとでもいうべき存在だったらしいサウター=フィネガン・オーケストラ(実態は小さめのビッグ・バンド)と、硬派コンビのライナー&シカゴが共演したという、なんとも異色のコンチェルト。録音に先立って行われた初演は「シカゴ・オーケストラ・ホールでの定期演奏史上最も長いスタンディング・オベイション」を受け、「大きなジェスチュアで指揮し、自らこの共演を非常に楽しんでいるようであった」というライナーは、終演後に「新しい音楽のあり方が見えたような気がする、と語った」・・・といったことが初出LPの裏ジャケ解説に書いてあった(国内盤CDに邦訳掲載)。

 楽曲の構造としてはジャズ・バンド側を前面に立てたコンチェルティーノ形式で、十二音技法で作曲されており、スウィング(ジャンプ)〜ブルース〜ブキウギがオーケストラの間奏を挟んで続いてゆき最後のマンボで両者が融合・・・などと言われてもさっぱりイメージしにくいと思うが、モノラル版ならばナクソスの音楽配信サイト「ナクソス・ミュージック・ライブラリー」で実際に聴くことができる。『音盤考現学』(アルテスパブリッシング,2008)で片山杜秀氏も書いているように、十二音技法とジャズの相性のよさに驚かされる一曲。そしてクラシック音楽的な側面をもっとも強調しているのは、弦や木管ではなく硬い響きのティンパニであるというのも、ライナー&シカゴらしい微笑ましさのように思えてならない。

 上記の国内盤CDは“リビング・ステレオの黄金時代”というシリーズ商品の特典盤として制作された非売品で、RCAの名プロデューサーだったジョン・ファイファーに捧げられたCD“The Golden Age of Living Stereo”からの抜粋にこのリーバーマンと「星条旗」(これもライナー&シカゴ)をくっつけて構成したもの。リビング・ステレオのテスト録音や別テイクなどレア音源満載の一枚だ。海外盤では、ライナー指揮シカゴ響のRCA録音を集成したボックス・セットに収録。

CDジャケット

CD14
ラリー・オースティン
オーケストラとジャズ・ソロイスツのための即興 (1961)
トランペット:ドン・エリス
ベース:バール・フィリップス
ドラムス:ジョー・コクーゾ
レナード・バーンスタイン指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック
録音:1964年1-2月 ニューヨーク、マンハッタン・センター
コロンビア(国内盤:ソニー・ミュージックエンタテインメント SICC540)

 

 『バーンスタインの指揮する同時代の音楽』なるタイトルのアルバムに入っている、トランペット・トリオとオーケストラの共演曲。このアルバムにはニューヨーク・フィルのほぼ100%即興演奏とされる仰天録音(作曲者のクレジットは当然なし)も収録されているが、このオースティンの曲は「即興」と題されてはいるものの、オケのパートはほとんど譜面化されているようだ。一方のジャズ・トリオ側はそうではないようで、オーケストラが止む箇所などはインプロヴィゼーションの応酬でまるきりジャズ、なんのCDを聴いているのかわからなくなるほど。

 一応は伝統的ブルース〜スローテンポ・ブルース〜チャールストンという三セクションで構成されていると解説に書いてあるが、そんな形式を意識しながら聴くような音楽ではないようにも思う。腕利きジャズ・プレイヤーが繰り出す高テンションの推進力にオーケストラが引っ張られているという、一種独特の共演の構図がスリリング。一曲目に入っているリゲティのあの「アトモスフェール」よりも、個人的にはずっと惹かれた。

CDジャケット

CD15
ウィリアム・ルッソ
[1]3つの小品(ブルース・バンドとオーケストラのための)Op.50 (1968)
[2]ストリート・ミュージック − ブルース・コンチェルト (1976)
ハーモニカ&ピアノ:コーキー・シーゲル
ギター:ジム・シュウォール[1]
ベース:アル・ラドフォード[1]
ドラムス:シェリー・プロトキン[1]
小澤征爾指揮 サンフランシスコ交響楽団
録音:1972年6月[2], 1976年5月[1] カリフォルニア、カパティーノ
ドイツ・グラモフォン(国内盤:ユニバーサルクラシックス&ジャズ UCCG3404)

 

 今度はブルース・バンドとオーケストラの共演。[1]の四人のソロイストは「シーゲル=シュウォール・バンド」とクレジットされ、シーゲルのピアノはエレクトリック・ピアノ。なんだかえらいところまで来てしまった・・・という感じだけれど、これとバーンスタインの「ウェスト・サイド・ストーリー〜シンフォニック・ダンス」を組み合わせて天下のドイツ・グラモフォンが世に出したオザワのLPはけっこう売れたそうな。

 さてCD14のオースティンの作品もそうだったが、即興パートが中心となるとその演奏者の力量と個性が出来栄えを大きく左右する。ドン・エリスやバール・フィリップスはさすがに名の通ったジャズマンだと納得させるだけの創造性を発揮しており、大きな聴きごたえにつながっていた。それに較べると、いやルッソの両曲は「ジャズ」とは銘打っていないのだから比較はフェアではないかもしれないが、[1]での単調なリズムに乗ったソロはいかにも野暮ったく、ありていに言えばあんまりカッコよくない。その泥臭さこそがブルースだと言われればそれまでなのだが。オーケストラも「伴奏」色が強くて、ちょっと底が浅い印象もある。

 その点で[2]は、オケとの共演者をバンドではなくシーゲル一人に絞っていることで、そのあたりの欠点が改善されているように感じた。ハーモニカをこれほど雄弁に吹きまくることのできる技巧にまず驚き、それを「協奏曲」の単なる独奏楽器に据えただけに留まらない楽曲の構成に耳を惹かれる。解説によると、オーケストラ中に三つの楽器グループを作り、それらがコンチェルト・グロッソのように組み合わされているとのこと。その構図をあまり明確にしない程度の複雑さが、かえって楽曲に奥行きを与えているようだ。ソロ楽器がピアノに替わる第2楽章と第3楽章はジャズ色が強くなり、曲もややシンプルに。そして終楽章では再び独奏楽器がハーモニカとなり、オーケストラともども大きく盛り上がる。唐突にブラスのコラールが挿入されたりするあたりはアイヴスを連想させ、いかにも「アメリカ」的。全体が分節化されて目まぐるしく展開するのが「ストリート」風の趣向なのだろうか。

CDジャケット

CD16
ハンニバル・ロクンベ
アフリカン・ポートレイツ
ハンニバル・ロクンベ・クァルテット
モーガン州立大学合唱団、ケネディ・キング・カレッジ・コミュニティ合唱団 ほか
ダニエル・バレンボイム指揮 シカゴ交響楽団
録音:1995年5月 シカゴ、オーケストラ・ホール(Live)
テルデック(国内盤:ワーナーミュージック・ジャパン WPCS4758)

 シカゴ交響楽団のディスコグラフィ中、もっともワケのわからぬ珍盤として知られるCD。国内盤の巻きオビに「壮大なスケールで描かれる、黒人の受難と、ブラック・ミュージックの歴史」と記されていて、その通りの内容の音楽劇だ。作者のハンニバル・ロクンベはジャズ・トランペッターで、ギル・エヴァンス楽団などでおなじみのハンニバル・マーヴィン・ピーターソンその人。アフリカの民俗楽器、ゴスペルやブルースのシンガー(「コーリング・ユー」のジュヴェッタ・スティールなど)、そしてクラシック系の独唱者や合唱団がシカゴ響の本拠地オーケストラ・ホールにずらりと並び、音楽監督バレンボイムが指揮するシカゴ響と共演。CDブックレットにそのコンサートの写真が掲載されていて、なんとも不思議な雰囲気。

 曲の大半はジャズというよりそのルーツに位置するような音楽だが、時代が進んで最後のほうの「1952年のニューヨークのジャズ・クラブ」の場面になると、ハンニバル率いるクァルテットが登場する。しかし彼らの熱演が続く間、オーケストラは沈黙。ここだけはジャズ度100%だ。その次の曲の冒頭で少しだけオーケストラや合唱と共演しているものの、これはシンフォニック・ジャズとはちょっと違うものだと言わざるを得ない。とはいえ黒人音楽に興味があるなら一聴の価値のあるCDだろう。シカゴ響の起用意義は別にして。

 手持ちのCDで他に似たようなものとしては、サイモン・ラトルの友人だというマーク=アンソニー・ターネイジが作曲した「ブラッド・オン・ザ・フロアー」(アーゴ→デッカ)において、マイルス・デイヴィスのグループにいたギタリストのジョン・スコフィールドとウェザー・リポートのドラマーだったピーター・アースキンがアンサンブル・モデルンと共演している。でも曲がつまんないのでパス。

 

PART 5 シンフォニック・ジャズのアルバム 〜 番外篇

CDジャケット

CD17 “三文オペラ/ジャズとクラシックとの出会い”
[1]ワイル:三文オペラより(マック・ザ・ナイフ/かわりにの歌/快適な生活のバラード/ポリーの歌/タンゴ/大砲ソング)(1925)
[2]ガーシュウィン:「アイ・ガット・リズム」による変奏曲 (1934)
[3]ストラヴィンスキー:ラグタイム (1918)
[4]ミヨー:バレエ音楽「世界の創造」(1920)
バーナード・ハーマン指揮 ロンドン・フェスティヴァル・レコーディング・アンサンブル
ピアノ:デヴィッド・パークハウス
録音:1971年8月 ロンドン、ウェスト・ハムステッド・スタジオ
デッカ(国内盤:ポリドール POCL3688)

 

 このCDは、ヒッチコック作品等で知られる作曲家ハーマンが臨時編成オケを指揮したフェイズ4録音。原題は“The Four Faces of Jazz”。クラシック音楽のアルバムとは言いがたいように思えたので終章の番外篇に入れたが、見方を変えればここまでの総集篇という側面も持っている。原題にある「四つの顔」とはつまり収録されている四曲、あるいはその作曲家のことを指す模様で、ここまで何度も出てきたガーシュウィン、ストラヴィンスキー、ミヨーに加えて、クルト・ワイル(ヴァイル)の「三文オペラ」抜粋が入っている。今回採りあげた各種CDにもっと登場してきてもよさそうな、「ドイツのガーシュウィン」とでもいうべき存在のワイル。彼のCDについては別の機会に改めてご紹介したいと思っております。

 以上のような「シンフォニック・ジャズ」の作品群とは少し違って、ジャズ・ミュージシャン側がクラシック音楽に挑戦した例もある。シンフォニックに限らなければ、かつてゆきのじょうさんが紹介されていた「ジャズで聴くバッハ」やジャズ・ピアニストによるモーツァルトをはじめ、枚挙に暇なし。CTIというレーベルなどは、1970年代にクラシック名曲のジャズ・アダプテーションを得意ネタにしていたほどだった。その中からオーケストラと共演したのがこの一枚。

CDジャケット

CD18 “ヒューバート・ロウズ/サンフランシスコ・コンサート”
[1]フィッシャー:ペンサティーヴァ
[2]サティ:ジムノベティ第1番
[3]マクダニエル:愛のためいき
[4]グルーシン:モダージ
[5]リムスキー=コルサコフ:シェエラザード
[6]アメイジング・グレイス
[7]ジェームズ:ザ・シカゴ・テーマ
[8]ビゼー:ファランドール
フルート:ヒューバート・ロウズ
キーボード:ボブ・ジェームズ
ギター:グレン・ディアドルフ
ベース:ゲイリー・キング
ドラムス:ハーヴェイ・メイソン
デニス・デ・コトー指揮 サンフランシスコ交響楽団のメンバー ほか
録音:1975年10月4日 オークランド、パラマウント・シアター(Live)
CTI(海外盤 CBS Associated ZK40819)

 

 ヒューバート・ロウズはジャズのフルート奏者だが、ジュリアード音楽院でクラシック音楽の教育を受けた後もジュリアス・ベイカーに師事していたという人。『アフロ・クラシック』や『春の祭典』といったCTIのアルバムではバッハやモーツァルト、ドビュッシーやストラヴィンスキーらの作品を題材にしたクールで静謐な室内楽ジャズを展開していた。このCDはCTIでのラスト・アルバムで、オーケストラと共演した総決算的なライヴ盤となっている。30名から成る弦楽奏者はCD15のルッソに続いてオザワ時代のサンフランシスコ響のメンバー、9名の管楽奏者はジャズ系もしくはスタジオ・ミュージシャンで、指揮者はバレエ界の人らしい。クラシック曲を題材にした[5][8]などは、のちにフュージョン・シーンの大物となるボブ・ジェームスのツボを心得たアレンジによってなかなかの聴きものとなっていて、ロウズの名人芸を鮮やかに引き立てている。まさに「シンフォニック」な「ジャズ」だ。なおLPと国内盤CDは[3][4][5][8]のみの収録で、他の四曲は海外盤CDだけのボーナス・トラックなので要注意。

 さてこういうものの中には、クラシック作品の有名旋律をテーマ部分の素材として使ったに過ぎない例もまた多い。聴いていて楽しいものの、音楽的アプローチとしてはやや安直な感がないではなく、もしかしたら上記のCD18にそういう印象を持つ人もいるだろう。既成曲ではなくオリジナル曲にオーケストラを大々的に取り入れた、よりクリエイティヴなジャズ・アルバムはないものか?

 たとえばマッコイ・タイナーの『フライ・ウィズ・ザ・ウィンド』(Milestone)。ピアノ・トリオにフルート(これもロウズ)を加えたジャズ・ミュージシャンに対して、オーケストラはまたまたサンフランシスコ響のメンバー。これが17人編成とは思えない迫力で熱く激しく煽り立てる。それに応えてマッコイのピアノがガンガン飛ばし、ドラムスのビリー・コブハムもハードに叩きまくるという大コーフンの内容で、「これぞシンフォニック・ジャズ!」な一枚。

 しかし・・・しかし、どうも何かが違う・・・。これはロックでいえば、たとえばディープ・パープルとロイヤル・フィルの共演盤(ロイヤル・アルバート・ホールでのライヴ)のようなイメージ。それはそれで好きなのだけれど、もうちょっと別の、フランク・ザッパやジョー・ジャクソンのオーケストラ作品のような「ゲンダイオンガク」ぽいジャズ・アルバムはないものか・・・。

CDジャケット

CD19 “TWO CONCERTOS〜協奏曲集”
クラウス・オガーマン
[1]ピアノ協奏曲
[2]オーケストラのための協奏曲
クラウス・オガーマン指揮(及びピアノ)ナショナル・フィルハーモニー管弦楽団
録音:(クレジットなし)
デッカ(国内盤:ユニバーサル UCCL1024)

 手持ちの中には、これがあった。ただオガーマンはジャズ・ミュージシャンというわけではなく、ジャズ〜フュージョンやボサ・ノヴァやポップスなど幅広いジャンルで活躍した名アレンジャー。ジョージ・ベンソンの『ブリージン』、マイケル・フランクスの『スリーピング・ジプシー』をはじめとする数多くの作品で、印象的なストリングス等の編曲を手がけている。ピアニストのビル・エヴァンスがグラナドス、バッハ、ショパン、フォーレ等を採りあげているアルバム『ウィズ・シンフォニー・オーケストラ』(Verve)や、バーブラ・ストライサンドの『クラシカル・バーブラ』(Columbia)も、編曲と指揮はオガーマンだった。レーガーとスクリャービンに影響を受けたという彼は「シリアス・ミュージック」も作っていて、そのうち二つの協奏曲を収録したのがこのCD。

 叙情的なピアノと流麗・精妙きわまる管弦楽によって奏でられるクールな[1]は、ジャズ色は薄いものの、シンフォニック・ジャズの極北ともいえるような逸品。ビル・エヴァンスとのもう一枚の競演作『シンバイオス』の第2楽章が基になっている。続く[2]は最新型のオケコンで、ここまでくるともう「ジャズ」じゃないな・・・と思いつつ第1楽章を聴き、第2楽章に入るといきなり耳に覚えのあるメロディとハーモニーが。オガーマンとマイケル・ブレッカーによるサキソフォン協奏曲集『シティスケイプ』に入っている「神々の出現そして不在part2」とほぼまったく同じではないか。こうなると、エンディングで鮮やかに「出現」するはずの聴きなれたテナー・サックスの「不在」がもの足りない。

CDジャケット

CD20 “オガーマン&ブレッカー/シティスケイプ”
クラウス・オガーマン
[1]シティスケイプ
[2]ハバネラ
[3]夜の翼
[4]神々の出現そして不在 part1
[5]神々の出現そして不在 part2
[6]神々の出現そして不在 part3
[7]神々の出現そして不在 part3(別テイク、海外盤のみ収録)
テナー・サキソフォン:マイケル・ブレッカー
クラウス・オガーマン指揮のオーケストラ
ピアノ:ウォーレン・バーンハート
ベース:エディ・ゴメス、マーカス・ミラー
ドラムス:スティーヴ・ガッド
パーカッション:ポリーニョ・ダ・コスタ
ギター:ジョン・トロペイ、バジー・フェイトン
録音:1982年1月4-8日 ニューヨーク、パワー・ステーション&メディア・サウンド
ワーナー・ブラザーズ(海外盤 8122-73718-2)

 というわけで、シンフォニック・ジャズとその周辺を巡る当ツアーの終着点は、奇跡の大傑作『シティスケイプ』とさせていただいた。64人編成のオーケストラと控えめなリズム・セクションがビロードのような背景を成し、その上にすっくと立つ雄弁なサキソフォンがエモーショナルに音を重ねていく。ゆったりとした別の時間が流れているような独特の世界が、ここにはある。一般にはジャズ〜フュージョンに分類されるアルバムなのだが、そんなジャンルの議論など不毛と思わせる問答無用の美しさ。大推薦盤です。

 

2014年2月17日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記